冒涜
小さな燈明の火が心もとなく揺らめいた。先程、急いで火を点けたのでたいしてオイルを入れていないのだ。
ジェラルドは、燈明を床に置き、小瓶のオイルの残りを注いだ。
祈りの間の、この燈明が置いてあった場所に戻れば、油壺や蠟燭がしまってあるだろうが、この神殿に長い間誰も訪れていないのであれば、それらは使い物にならないだろう。
来た道は戻れそうにないし、早めに別の出口を探さねば、とジェラルドは灯りを手に立ち上がりかけた。
「動くな!」
警告と同時に銃声が響いた。
「灰色背斑熊の死体を重しに使え」
作業用のカンテラが運び込まれ、堂内をあかあかと照らした。
「一種の片持吊橋だな」
毛皮のついた襟のコートを着た男は、徽章のない黒い軍服を着た部下達に、橋桁にあたる幅の狭い板をワイヤーロープで固定させた。
「そろそろ動いていいかな?鼻の頭が痒いんだけど」
小さな燈明を跪いた膝の間に置き、両手を頭の後ろにまわした姿勢で待たさせているジェラルドは、対岸の毛皮襟コートの男に声をかけてみた。
「その痒い鼻を撃ち抜かれたくなかったら我慢するんだな」
扉の脇、ぎりぎりに立っている男の脇で、ライフル銃を構えた狙撃手がこちらを狙っている。先程から何回か貰った威嚇射撃の腕からして、その気になったときには外さないだろう。
「灯りの位置を少し変えるのもダメかい?脚が熱いんだ」
コートの男はジェラルドの頼みを聞き流してタバコをふかした。
「頭上の構造物の止め方を教えろ」
「そちら側の扉を閉めればじきに止まる」
「じきとはどれぐらいだ」
「さあ?一晩ぐらいかな?」
コートの男は吸っていたタバコを間隙に向かって投げた。
人の頭の高さあたりで回転している黒い重量物が、まだ火の残る吸い殻を虚空に跳ね飛ばした。赤い光点は谷底に向かって落ちていき、すぐに見えなくなった。
「橋桁の固定作業終わりました」
「念のために、さっき浮き上がっていた床板の上に重量物を載せておけ。そこいらの死体でかまわん」
コートの男は斥候兵を数人先に渡らせて橋桁をさらに固定させた。
「やあ」
明かりで照らされた橋を、身をかがめて渡ってきたコートの男に、ジェラルドは声をかけた。
「僕をここに連れてきた誘拐犯達はどうなった?」
「向こうの部屋の奴らなら灰色背斑熊にやられて全滅していたぞ」
「おやおや」
「白々しい。お前がやったのだろう」
「まさか」
ジェラルドは肩をすくめようとして、黒軍服の部下に銃を突きつけられた。
「どうやらおたくら、誘拐された観光客を助けに来てくれた公僕ってわけじゃなさそうだね」
ロープで後ろ手に拘束されたジェラルドは、立ち上がるように命じられた。
「ジェラルド・ホーソン。先導しろ」
「しかも、僕の名前までご存知とは……嫌になるね。どこからつけていたの?そのカッコ、ひょっとして香辛料まみれになった人の同僚?」
「軽口を叩くな」
ジェラルドは銃口で小突かれながら、祈りの間へと続く通路を歩かされた。
「女神像はどこだ」
祈りの間はがらんとした石室で、燭台や杯を載せた低い台が1つあるきりだった。
「ここにはない」
殺気立つ黒服達をなだめるように、ジェラルドはすぐに補足説明をした。
「女神像は一番奥の部屋だ。この祈りの間は待機用の前室にすぎない」
「奥の部屋?ここは行き止まりではないのか」
「ここからは見えないが、その台座の向こうのアルコーヴの柱の陰に、奥の間に続く通路がある」
コートの男は部下に命じて、壁が奥まった部分を確認させた。
「ありました。奥に続いています」
コートの男はジェラルドを見下ろした。
「なぜここの構造に詳しい」
「昔からお勉強のできる良い子だったんだ」
ジェラルドは脇腹を銃口で小突かれてニヤニヤ笑いを引っ込めた。
「古書に記載があった」
「古書?」
「古王国時代末期のタイトルもない非公式文書だ」
「信じろと?」
「別に。あんたたちと信頼と友愛に満ちた関係を築きたいとは思っていない」
コートの男はジェラルドの挑発を聞き流して、奥の通路へ進めとの指示を出した。
通路を抜けると、広い空間に出た。
「在りました。女神像です」
角灯の明かりに多肢三眼の女神像が浮かび上がった。
男達はどやどやと広間に踏み込んだ。
「降ろせ」
コートの男の命令で、部下は等身大よりも一回り大きな石像を台座から下ろそうとしたが、重くて難航した。
「引き倒せ」
女神像は首にワイヤーロープを掛けられて引き倒された。
残響が響く広間で、黒服の兵士は女神像のもげた頭部を蹴り転がして仰向けにした。
「ありました」
「確保せよ」
女神の頭部は砕かれた。
「こちらです」
コートの男は、女神像の頭部から取り出された宝石を角灯にかざした。
「たしかに赤いように見えるが……ここでは真贋はわからんな。先に戻って博士にお届けする。本隊は今少しここを捜索してから帰還せよ。本隊の指揮は以後、お前がとれ」
「はっ」
宝石をケースにしまう男を見ながら、ジェラルドは苦々しく吐き捨てた。
「神を恐れぬ所業だな。盗人め」
「神など、信仰がなければなんの力も持たぬ非実在に過ぎぬではないか。こんな廃墟に放置された貴重な資産を科学と世界の発展のために有効活用してやろうというのだ。盗人などと、無知からの不当な言いがかりは止めてもらおう」
「神に捧げられた宝石を売り払った金を、どこかの研究施設にでも投資する気か。無駄なことを。貴様らの給料を切り詰めたらその程度の費用ぐらい出るだろう」
ジェラルドの発言にコートの男は大笑いした。
「ものを知らんバカな度し難いな。まぁ、頭にカビの生えた王国人には、我が国の先端科学は理解できぬから仕方ないか」
「この男はいかがいたしましょう」
「本隊で身柄を拘束。尋問せよ。たいしたことを知らんようなら適当に処分してかまわん」
金目当てで誘拐された観光客が殺されたりするのは、シダールではそれほど珍しいことではないと言い残して、コートの男は数名の部下とともに広間を立ち去ろうとした。
「アドリア博士によろしく」
ジェラルドの声に、コートの男はすごい形相で振り返った。
「帰還後にそいつを念入りに尋問せよ。薬物の使用を許可する。絶対に生きて逃がすな」
「了解しました」
冷たい石の床に乱暴に引き倒されたジェラルドは、諸々の推論を組み立て直しながらコートの男が出ていくのを見送った。




