湖上城
ゴトゴトと荷車は山道を進んでいた。
「(気が滅入るな)」
拘束されて木箱に詰められたジェラルドは、荷車が大きく揺れるたびに箱の内蓋に頭をぶつけた。
一般的な成人男性よりも身体は丈夫な方だが、長時間の拘束と監禁に加えて、この地味なダメージの連続はかなり堪えた。
「(酷い目は子供時代にコンプリートしたつもりでいたが、これは久々にひどい)」
ジェラルドは、なかなか助けに来てくれないバカ野郎をうらめしく思った。
ジェラルドを拐った奴らは、彼が貴重品を何も持っていないのを知ると、腹立たしげに彼に暴行を加えた。
身代金が目的なら従者を呼べといったが、取り合ってもらえなかった。それどころか、黒髪の大男なら偽の手紙で追い払ったなどという。どうやら単純な金銭目的の誘拐ではないらしい。
そのうち想定外のことが発生したのか潜伏先のアジトはバタバタし始め、ジェラルドは汚い小部屋で一時放置された。隙をみて逃げようとしたが、ふと「助けが来ていたら下手に動くのはまずいかな?」などと余計なことを考えてしまった。空の上にだって助けに来てくれたのだから、この程度の隠れ家なら、どうにかして来てくれそうに思えたのだ。
おかげでジェラルドは、逃げるタイミングをすっかり逃してしまった。誘拐犯達も思惑違いが重なったらしく苛ついていた。どうやらジェラルドの連れや荷物を捕獲しようとして見失ったらしい。
「(あいつ、僕より他の面々を助けるのを優先したな)」
ジェラルドは、ちっとも助けに来てくれない従者を思い浮かべて、機嫌が悪くなった。
彼は、従者が颯爽と現れてさっさと自分を助け出してくれるという理想をちょっと脇に置いて、この機会に誘拐犯達を自分の目的に利用する算段をつけ始めた。
「ねぇ、王国語がわかる人はいないかい?1つ提案があるんだけど」
シダール語のスラングはわからないふりをしながら、ジェラルドは頭脳労働をしていそうなまとめ役っぽい男を呼んだ。
口車には自信があった。
「(あいたたたた。身体が軋む)」
気を失うように寝ること数度。ようやく揺れない場所で目覚めたジェラルドは、久々の光に目を細めながら、ゆっくりと身動いだ。
木箱は荷車からは降ろされたようで、内蓋も開けられている。腕や足に掛けられたロープはそのままで、顎を抑える口枷も外されていないので、ろくに身を起こすことも、声を上げることもまだできないが、爽やかな空気が吸えるのはありがたい。
ジェラルドが横たえられた箱は木陰に置かれており、空気は涼やかで適度な湿度があった。
食事を取っていたらしい男達は、ジェラルドが目覚めたのに気づくと、ふらつく彼を無理やり立たせて、木々の向こうを指差した。
「湖上城だ」
木々の間から覗く青い湖水の先に、灰色の塔と城壁の一部が見えた。
「望み通り、ここまでは連れてきてやったのだ。失われた神殿への道を教えてもらおうか」
ジェラルドはくいっと顎を突き出して、口枷を外せと身振りで要求した。
ジェラルドが誘拐犯共に持ちかけたのは、彼らが信仰する女神を祀る古い神殿に案内するという話だった。
ジェラルドは彼らがシャーマ派ならその場所を知らないし、知りたがっているであろうことはわかっていたのだ。
「あんたたちが血眼で追っている宝石は、近年作られた柘榴石の模造品だ。そんなものより由緒ある神殿を探したほうが、聖なる遺産は見つかるぞ」
自分の連れの女性達や荷物を探しても価値のあるものは得られないと、ジェラルドは誘拐犯のリーダーと思しき相手に説いた。
「僕は王国で保存されていた古い文献で、古王国時代の神殿での祭事の記載を見つけた。湖上城から神殿に向かう道も、神殿内部のことも知っている。アシュマカには湖上城の在処を調べに来た。お前たちが僕を湖上城に連れていくことができるのなら、古王国時代でもごく一部のものしか存在を知らなかった隠された神殿に案内してやる」
リーダー格の男は、最初はジェラルドを信用しなかったが、うっかり彼との会話を続けてしまった。
結局、彼らはジェラルドの提案を呑んだ。
湖上城はその名前のロマンチックな響きと、古王国の滅亡のきっかけとなった南シダールの英雄の雪山超えの武勇伝に出てくる場所であることで有名だ。
「とはいえ、がっかり遺跡なんだよな」
もともと辺鄙な山奥の小さな砦程度の代物である。近くで切り出した灰色の四角い石を積んだだけの無骨な小城で、特徴といえば塔が1つあることぐらい。その塔もさして高くはなく、階上に狭苦しい小部屋が1つあるだけの、粗末な塔だ。アシュマカの他のきらびやかな建築群と比べ、明らかにみすぼらしく見るべきところのない城で、しかも英雄に攻め落とされたあとは誰も再建せずに放置されたため、行くものも絶えてなく、道もすっかり失われていた。
「湖上城にはよらない」
「いいのか?」
「あそこには何もない」
ジェラルドは湖水よりも青い目で冷ややかに、湖畔の城跡を眺めた。
「方角と現在位置はわかった。このまま神殿に向かう」
あまりに道が悪くて、これ以上は荷車で進めなくなったところで、一行は徒歩に切り替えた。
繁茂した下生えをナタで刈りながら、元は道だったのか疑わしいような森の中を長時間進み、シャーマの男達の忍耐が完全に切れそうになった頃、ジェラルドは梢の合間に見えた岩山を指差した。
「あの山だ」
特徴的な尖った稜線の岩山は、雪を頂いていた。




