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家に帰るまでが冒険です  作者: 雲丹屋
第11章 真実の愛が生まれた地で

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実家

旧王都の南の守り、聖なる池であるティールタは、緑色の水が溜まったぱっとしない池だった。

池の周辺にはそれほど大きな建物はなく、白い土壁に草葺屋根の素朴な家がポツポツと立っていた。農家や手工業の職人の家が多いらしい。黒街や浄都と違って、どの家にも板壁の納屋と小さな裏庭があり、荷車やなにがしかの道具が置かれていた。

カーペットの織師達が歌う声が聞こえる通りを抜けた牛車は、彩色途中で下地を乾燥中の木工細工のパーツが並ぶ庭の前を通って、小さな水車のある家の前で止まった。

あたりの庭や道の土と同じ色の白褐色の牛に、おうおうと声をかけた御者は、ただの荷車といった感じの粗末な荷台に乗っている客達の方を振り向いた。

「ついたよ」

ヘルマンはズボンについた藁屑を払いながら荷台から降りて、親切な農夫に礼を言った。




ガイドのアンシュ青年の実家は、宝石屋と言っても、王都の洒落た通りにあるような貴婦人向けの店ではなく、加工や細工を行う職人の家だった。昼食の用意をしていた彼の母は、息子の思わぬ帰宅に驚き、その様子に狼狽した。

「アンシュ!あんたとうとうこんなことになって!だから無節操に女に手を出すなとあれほど言ったじゃないか」

どうやらこのガイドの青年は、いつか女に刺されるぞと常日頃から心配されるようなたぐいの生活習慣の人物のようだった。


ヘルマンは王国語の話せない彼女相手に、アバス老の助けを借りて、ぎこちないシダール語で、彼は通りがかった暴漢に襲われ、怪我をしたと説明した。出血はしたが、傷は深くなく、今はもう血は止まっていること、ショックで気絶しているが、命に別条はなさそうであることを、別れ際にヴァイオレットが説明してくれたとおりに、丁寧に言い聞かせると、アンシュの母はようやく少し落ち着いた。

医者の宛はあるか確認し、近所に住むというその医者をアバス老に呼びに行ってもらう。ヘルマンが、当座の治療費にと、アンシュの母にそれなりにまとまった金額を渡そうとしているところに、アンシュの父が血相を変えて帰ってきた。

「おい!うちのアンシュ(ろくでなし)が痴情のもつれで女に刺されておっ死んだってのは本当か?!」

どうやらこのガイドの青年は、両親や近所の住人から、ほぼ確信レベルで女癖が悪いと思われているようだった。




アンシュの父は、痩せぎすで頑なな印象の顔つきの男で、とても義理堅いようだった。意外にしっかりと王国語が話せる彼は、息子を家まで連れ帰ってくれたヘルマンに感謝し、差し出された金を固辞した。

「あなたは、愚息を救ってくれた恩人だ。これは受け取れない」

むしろもてなさせてくれと言って、彼は妻に、ヘルマンの昼食を用意するよう告げた。

「いや、それには及ばない。奥さんは息子さんのことが心配だろう。医者が来るまで側にいてあげてくれ。医者が来たら私はもうお暇する。それに彼は我々をガイドしてくれている仕事中に怪我を負ったのだ。どうかこれは受け取って欲しい」

押し問答をしている最中に、アバス老が帰ってきた。

「おい、医者を呼んできたぞ」

彼の姿を見たとたん、アンシュの父は驚きの声を上げた。

「アバスさん?!」

「あん?……おぬしは!」

怪訝そうに宝石職人の顔を見返したアバス老は、あんぐりと口を開いた。




木のテーブルに、皿代わりに敷かれた大ぶりの葉は、つややかな緑色だった。その上には、黄色くて細長い穀物が一盛りと、野菜やひき肉を炒めて香辛料で味付けした濃い色の辛い惣菜が3種類、指ほどの長さのずんぐりした黄色い果実が数本載っていた。

ヘルマンはふるまわれた昼食を前に、困っていた。


ガイドの青年の父親と、骨董屋の主人は、黒街での知り合いだったらしい。先程から何やら熱心に話し込んでいるが、二人ともシダールの下町言葉で話しているせいで、ヘルマンにはほとんど内容がわからなかった。

現在のシダールの公用語は王国語で、ジェラルドやヘルマンが利用するようなホテルやレストランの従業員は王国語ができた。シダールの上流階級や知識層が話すシダール語も非常に王国語に近いので、ヘルマンはそちらはなんとか話せた。そのためこれまで、商取引や諸々の手配に関しては困らなかったが、生粋のシダールっ子の下町言葉となるとお手上げだった。

昔、古王国に攻め入った南シダールの藩主国の流れを組むのか、王国語とは大きく違う言語のため、語彙がそもそもわからない。

今の主人のジェラルドや、その従者はどれも難なく解して、当たり前のように適切に使い分けて返事をしていたが、ヘルマンはついていけなかった。

あの二人がいない以上、自分でどうにかする必要があるのだが、なれない土地で急にこんなことになって、彼は弱っていた。


「(この食事もどうしたものか……)」

黄色い穀物は味が薄すぎるので量を持て余すし、逆に濃い色の料理は辛すぎる。手で食べるらしいのだが、どれも熱くてとても触れないし、冷めてからなんとか摘もうとしても、ボロボロ崩れてしまう。ヘルマンはこのシダール風の料理が苦手だった。

金属製の椀に注がれたとろみのある豆のスープを見つめて、これぐらいは食べられそうかと思案していると、この家の主人に王国語で声をかけられた。


「どうか気にせず食べてください。大したものが用意できなくて申し訳ないが妻の料理は家庭料理としては悪くないと思います」

彼は愛妻家のようだ。

ヘルマンは断りにくいすすめられ方に胃が痛んだ。そうとは知らずに相手はたいそう真摯に言葉を続けた。

「あなた方は息子の恩人です。私は昔、こちらのアバスさんのお知り合いのドクターに助けられて、今日はまた息子の命を救っていただけた。なにかご要望があれば何でも言ってください。私にできることであれば手を尽くしましょう」

どうやら彼は、ヴァイオレット嬢の父親であるウィステリア氏が黒街時代に治療した患者だったらしい。

関係者といえば関係者だが、特に何もやっていない自分が過剰な感謝を向けられていいのかと、ヘルマンは恐縮した。感謝されるべきは自分よりはむしろヴァイオレット嬢な気もしたが、ジェラルドの件でトラブルが発生している今、どこまでどうこの相手に話して、関わっていいか、さじ加減がわからない。アバス老が何を話していたのかまるでわからないのも不安だった。

ヘルマンは豆のスープの椀を見つめた。


「今、あなたは、とても困っていらっしゃるように見えます。なにか私にできることはありますか?」

重ねて言われて、ヘルマンはおずおずと顔を上げた。目の前にいる男は、とても芯が強くて誠実そうだった。この相手になら現在の窮状を打ち明けて、少しだけ助けてもらってもいいかもしれないと思えたので、ヘルマンは眼鏡の奥の目を伏せ気味に小声でお願いした。

「はい。お恥ずかしい話ですが、お察しの通りです。そのう……こんなことをお願いするのは心苦しいのですが……もしよろしければ一つお願いしてよろしいでしょうか」

「はい。なんでしょう」


スプーンください。


ヘルマンは、味の濃い副菜は主食の穀物とよく混ぜて一緒に食べると良いことを教えてもらい、初めてシダールの家庭料理をまぁまぁ美味しいと思って食べることができた。

ヘルマンさんは察しが悪い人です。

本人、大真面目なんですけどね。

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