百柱殿
馬車が向かったのは、この旧王都最大の神殿だった。
「立派なものですね」
「アシュマカを代表する大神殿でございます」
「でもこれは旧王国時代よりあとに作られたものだろう」
ガイドの説明に、ジェラルドは冷めた物言いで「南シダールの様式だ」と言って、巨大な楼門を見上げた。
石造の巨大な楼門は、幅の広い直方体の上部に高塔をいただく、多層構造の塔門だった。その高さは、15階から20階建てのビルにも匹敵し、外壁にはびっしりと隙間なく彫刻が施されていた。褐色の石の表面は風雨と日差しにさらされてザラついていたが、門の内壁は鮮やかな彩色がされており、極彩色の布飾りが、方々に垂らされていた。
「圧巻だな」
「ここは東門でございますです」
これと同じものがあと3つあって、神殿の敷地の四方に建っているという。
「バカげた労力だ」
ジェラルドは照りつける強い日差しに目を細めながら、呆れたようにそういった。
「邪教に墜ち悪政をしいた簒奪王を追い払った人々の信仰の現れでございますです」
ガイドのアンシュはおおらかな営業用の笑顔を浮かべて、彫刻されているのは神々の姿だと簡単な説明をしながら、正面の門へと一同を案内した。
「南門は一般の参拝者でも登れるでございますよ。よろしければ後でご案内しましょうでございます」
「登るって、あの四角い部分の上辺りかい?」
「いえ、塔のテッペンでございますです。中に螺旋階段があって、最上部まで登れるんでございます」
「へぇ、面白そうだな」
ジェラルドは、ここに来てからずっと今ひとつ浮かない顔をしていたが、やっと少し興味を惹かれたらしく、綺麗な青い目をパチパチさせて、塔を見上げた。
「狭くて暗くて長い階段なので、足腰と心臓の弱い方にはオススメできませんでございますけどね」
ガイドは、旦那様なら大丈夫だと笑った。
ヘルマンは口を開けて塔門を仰ぎ見、青い顔をした。ヴァイオレットはヘルマンの隣で「わたくしはとても登れそうにありませんわ」と言って、頬に手を当てて小首を傾げた。
「ヘルマンさん、皆様が登られるなら、待つ間、申し訳ありませんが、一緒に居ていただいてよろしいでしょうか」
「あ、はい。かしこまりました」
ヘルマンはホッとした顔で了承した。
その種の気遣いはとんとできないが、されれば気づく程度には勘のいい面々は、ヘルマンのために何食わぬ顔をしながらも、心の中でヴァイオレットに感謝を捧げた。
東門を通り抜けると、本殿があった。
ガイドの説明によれば、正面に見えるのは前殿と呼ばれる部分で、その奥に正殿があるらしい。
3方向に入口のある前殿は巨大な柱とレリーフで構成され、それらもまた精緻な人物や鳥獣の像で飾られていた。
正殿には概ね正方形の聖室があるそうだが、外からはあまりそのようには見えない。正殿の外形は、細かく面分割されてびっしりと彫刻で覆われているために、ほぼ円形に見えた。そして正殿と前殿の上には、砲弾形の高い尖塔が積み重なったような塔状部があり、見るものを圧倒した。
「この先が百柱の間でございますです。迷いのあるものでも、心を静謐にして祈れば、自分が依るべき神が見つかると言われていますでございます」
ガイドは、祈る人々の邪魔をしてはいけないので、声を出さないようにと注意して、一同を奥に案内した。
百柱の間と呼ばれるその空間は、ここまでの様式とは全く違う造りだった。
灰白色の滑らかな石で作られた太い柱が左右に並ぶ、その三身廊式の広間は晴朗でシンプルだった。天井は高く、全面の上部に採光窓があるため、中に入った者の視線は自ずと中央奥に安置された丸屋根の小廟に誘導されるようになっており、自然に厳かな雰囲気が醸し出されていた。
「いかがでございましたか?」
百柱の間を出たところで、ガイドは振り向いて口を開いた。
「天啓は得られましたでございますか?」
ニコニコしながら妙な口調で言うせいで、ちっとも神聖さや信仰への敬意があるように感じられないが、これは彼の個性で、悪気はないのだろうと思われた。
「残念ながら、宗教的体験はなかったよ。俺は神々からは遠い存在らしい。アンシュ、さっきの場所が聖室なのか」
「いいえ、聖室は一般の立ち入りは禁止でございますです。紹介状を頂いておりますので必要なら許可をもらってきますが、聖室での祈祷をご希望でございますですか?」
「僕はいい」
ジェラルドは素っ気なく断った。
「お前も神と対話がしたいわけではないだろう」
「聖室で祈祷すると神と対話ができるのか?」
「壁や床に神聖な術式の文様が仕込まれていて、聖別された空間だからな。通常よりも神々の意思が認識しやすくなる。資質が薄いものでも、言葉やビジョンの断片くらいは拾えるだろうよ」
お前には必要ないだろうと言われて、川畑は少し考えた。
面白そうだが、うっかりこの世界の神々と交信して、妙なことになっても困る。今は潜入任務中なわけだし、異世界人がここの神様に信仰を捧げるのは筋違いだ。
「(どっちかというと俺は”神殺し”だからな)」
悪影響を与えないために、川畑はあらためて自分の干渉範囲と知覚領域をぎりぎりまで制限した。
結局、聖室には入らないことにした一行は、正殿を出た。ここで一行は、南門に登る組と土産物屋を観に行く居残り組に別れることにした。
南門組はジェラルドとアイリーン。
居残り組は、ヘルマンとヴァイオレットとアバス。
川畑は南門組についていこうとしたが、アンシュに止められた。
「中の階段はものすごく狭いから、あんたのガタイじゃキツイぞ。止めとけ」
アンシュは川畑だけに聞こえるよう小声で耳打ちした。妙な敬語ではないあたり、マジなのだろうと思って、川畑は渋々、登楼を諦めた。
「塔門の中は真っ暗で装飾もないし、上に登っても単に周囲の景色が見えるだけだからな。それならオーニソプターからの展望のほうが良いし安全だ。塔門の上は手摺りもなにもないただの狭い出っ張りなんだぜ」
というわけで。と、アンシュは川畑の脇腹を小突くようにして、ニヤリと笑った。
「彼女は俺がばっちりサポートするから安心して下で待ってな」
そりゃぁもう手取り足取り……というアンシュの手付きと顔つきが完全にアウトだったので、川畑は憮然として眉を寄せた。スケベ心丸出しなのに、顔のベースがそこそこ整っていて愛嬌があるので、下品に見えないのが腹が立つ。ついでにジャックに似ているせいで、腹は立つけれど憎らしく思えないのが釈然としない。
「俺も行く」
「通れないから待ってろ。詰まるぞ」
思いっきり嫌そうな顔をした川畑に、アンシュは取ってつけたように「でございます」と言った。
「では、旦那様、お嬢様、行きましょうでございます。あとの方は土産物でも見繕っていてくださいでございます。あ、ただし宝石関係の土産物は買っちゃだめでございますですよ。ここいらの露天売の宝石はみんなまがい物か粗悪品でろくなもんはないでございます」
「そうなのか?”宝石の国”というぐらいだから一つぐらい宝石の付いた小品を買ってみてもいいかと思っていたのだが」
ヘルマンがアイスブルーの目を丸くした。
「パチモンを掴まされた思い出を作りたいのでなければ止めておくことをお勧めしますでございます。なにか宝石を買いたいのであれば、うちの実家が宝石屋なんで、後でうちにご案内しますでございます」
プロが目利きした確かな品を卸価格でお売りしますと言うアンシュは、シダールの市場のそこかしこにいる客引きと何ら変わりない商魂たくましい観光ガイドだった。
「わかった。わかった。後で君の実家で宝石は買わせてもらうから、まずは僕らを南門に案内してくれ」
「はい、旦那様。こちらでございます」
珍しく正しい言い回しで、アンシュはにこやかに応えた。




