森番への試練
迷落の森。
王国の西方にある山嶺の裾野に広がる森林地帯だ。王家の直轄領で一般人は立ち入り禁止。中に入るには許可証を得た上で、森番の指示に従う必要がある。
森には洞窟があり、その奥には迷宮が広がっているという。入る度にその様を変える不思議な迷宮は、精霊の世界への扉にも繋がっているという伝承があるが、悪しきものが誤った方法で封印を解くと、魔なる力が森にあふれ、狂った魔獣が森から出て人里を襲うらしい。
「だから、我ら森番衆はけして不審者を森にはいれないんだ!……って、ああっ!?」
「はい、タッチ。また、オレの勝ち」
「ぐあああっ!ずるい!!そんなのずるい」
「あっち向いてホイのときにも思ったけど、お前、フェイントとかブラフに弱すぎないか」
「うるさい!お前がずる賢過ぎるんだ」
天気も良いので、午後は外遊びにした。単純な鬼ごっこやかくれんぼは、勝負にならなかったので、家の前庭でカンケリもどきをして遊ぶことになった。
「単純なルールだろ。お前が俺を見つけたら、このバッテン印の着いた薪を、ここの丸の中に立てて、足で踏んで、俺を指差しながら名前を呼べば、お前の勝ち。お前が勝つ前に、森の木の葉っぱを持ってこの扉にタッチしたら俺の勝ち。このルールなのに、目の前で茂みががさがさいっただけで、扉の前を離れて茂みを見に行ったお前がアホだよ」
「うぐぐ……もう一度だ!」
「じゃぁ、スタート。んで、タッチ」
「はぁっ!?」
川畑は葉っぱをヒラヒラさせながら、扉に寄りかかって笑った。
「俺、まだ葉っぱ持ってるし」
「ずるい!それ、さっきのだろ。そんなんなしだ」
「負けたからって追加ルールを作るのは小者のやることだぞ」
「普通ダメに決まってんだろ!」
「森番の裏をかきに来るような連中が"普通"なんてものを考慮してくれるもんかなぁ」
川畑はわざとらしく溜め息をついて、葉っぱを捨てた。
「これでいいだろ。じゃあ、スタート」
言うと同時に、ソウが踏もうとしたバッテン印の着いた薪を拾って、家の脇に積まれた薪の山に放り込む。
「ああっ!」
ソウが薪を探している間に、一番近い木まで走る。
賢者の実験での無茶振りに付き合っているせいか、以前より身体の動きが軽く感じる。
葉をちぎって戻ると、ソウが立てた薪を踏もうとしているので、薪を蹴り飛ばしがてら、軸足を払う。胸ぐらを掴んで、背中から落とし、地面に押し付けて息が出きったタイミングで、飼い葉の山に投げ込んだ。
「タッチ」
「くっそお!もう一度だ」
ソウは頑張った。
薪を森まで放り投げられようが、家の中から扉にタッチされようが、攻守入れ換わっても瞬殺されようが、めげずにチャレンジを続けた。
そしてついに……。
「シーザー、見つけた!」
立てた薪に片足を乗せ、まっすぐ指を指して、ソウは叫んだ。
「……残念。それ俺の名前じゃない」
「はぁ!?だってお前、最初の説明のときそう言ってたじゃないか」
「あれは例だよ。まさかお前が俺の名前わかってないとは思わなかった。俺の連れの騎士さん達がさんざん呼んでただろう」
ソウは顔を真っ赤にした。
「そんなもの聞いてないよ」
「日頃の注意力や観察力がお察しだな、おい。そんなんで大丈夫か、跡取り」
「うるさい!名前教えろ」
「パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・レメディオス・クリスピン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンディシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ」
川畑は指を指したままのソウに正面から近づき、その手を掴んだ。
「覚えた?」
「パ……ピ……覚えられるか!バカぁ!!もう一度教えろ」
そのまま後ろ手に捻り上げて、抱き込むように背後から拘束して口を塞いだ。
「ウソだよ。こんな状況でお前に自分の名前を教えるわけないだろ」
肩越しに顔を覗くと、悔しさからか顔を真っ赤にしたまま、涙ぐんでいた。
「呼吸が荒いぞ。落ち着けよ。ピンチのときこそ冷静にならないと。……名前の代わりにシーザーって男が残した言葉を教えてやろうか」
そっと拘束は外すが、暴れられても面倒なので、両手は重ねたまま扉に押し付けて、見下ろす。
「……何て言ったんだ」
大人しく聞き返すのが、可笑しくて、思わず口角が緩んだ。
「来た。見た。勝った」
「ろくな男じゃねーな!そいつ」
「皇帝になって、世界一の美女に言い寄られた」
「刺されて、死ね!」
「ブルータスお前もか……さて、お遊びはここまでにしよう。少し馬達にも運動をさせてやりたいしな。手伝ってくれるか?」
「誰がやるか!」
結局、ソウは打ち解けてくれることはなかった。
「今、戻った」
「いよう、ゲンさん、ただいま。留守中なんかあったか」
「お帰りなさい、バスキン様、ロビンスさん。こちらは特になにもありませんでした。そちらはいかがでしたか?」
「いやぁ、森番殿の案内のお陰で無事だったが、我々だけではとても無理だな」
「くだんの洞窟も少し入っただけですぐ出てきたが、ありゃぁヤバイわ。斥候のプロがいないとダメだ」
川畑は桶に汲んできた水で、バスキンの足を洗いながら二人の話に黙ってうなずいた。
「迷宮の深部まで案内できるものとなると、森番衆でも難しいらしい。森番殿には何とか若い者達を鍛えてもらうようお願いしたが、"試練"に間に合うかどうか……」
「森番殿のご子息も、若いながら大層な努力家です。この先の鍛練次第では試練に望みうる優秀な若者となるでしょう」
「そうか」
「お疲れでしょう。お食事は?」
「軽く携帯食をかじったきりだ。腹へったよ」
「なにか暖かいものを用意します」
川畑が炊事場にまわると、扉の脇にソウが立っていた。
「ゲン。さっき言ってたのホントか」
「聞き耳を咎めることはしないが、こんなにすぐ自分からばらす必要は無いんじゃないか?」
ソウは決まり悪げに爪先をもじもじさせた。
「オレ……見込みある?」
昼間ちょっとからかい過ぎたかな、と思ったので、川畑は優しくしてやることにした。
「このままちゃんと鍛えればな」
暗い静まり返った炊事場で、ソウの長く伸びた前髪をすいてやった。
「お前、ここ怪我してるぞ。ちょっと待て、今、薬を塗ってやる」
薬籠から小さな二枚貝に入った傷薬を取り出して、額にできた傷に薄く塗る。
「他に怪我しているところはないか」
頬や首元を確認すると、ソウは少し硬い声で「ない」と言って身をよじった。
「小さな怪我でも甘くみずにきちんと治せよ。この薬、あと少ししか入っていないけどやるよ。よく効くから」
桜色の小さな二枚貝の薬入れをソウの手に握らせると、川畑はソウをじっと見ながら、小さな声でゆっくりと話した。
「お前はちゃんと鍛えれば強くなれる。だから無茶はするな。視野を広く持て。よく見聞きし分かれ。すぐにかっとなるな。ただし情熱は絶やすな。現状を把握して、可能性を考えろ。想定外でうろたえるな。そして、これが一番大事なことだが」
「何?教えて……」
「よく知らない男の言うことをなんでも信じるな」
少し口角を上げると、ポカンとしていたソウが、ぎゅっと口を引き結んだ。
「絶対、ぜぇえったい!すごくなってやる!お前がそんなこと言ってオレをからかわなくなるぐらいすごくなって、褒め称えさせてみせるからなっ!覚えてやがれ!!」
「頑張れよ。跡取り息子」
ソウはキッと川畑を睨み付けると、表に駆け出して行った。
川畑はかまどの火をおこした。
翌朝、ソウは見送りには出てこず、川畑達は迷落の森をあとにした。




