輪舞
「始まるわよ」
座って坏の中身をちびちびと楽しんでいた川畑に肩を寄せて、アイリーンがささやくとほぼ同時に銅鑼がなった。
長い詠唱のような朗々とした独唱で始まった調べは、たちまちアップテンポに変わった。揃いの衣装を付け、足に鈴飾りをつけた踊り手達が、広間を2つに分けるように中央に並んだ。
踊り手らは一糸乱れぬ見事で複雑なダンスを披露したあと、両側に並んだ各人らの方に向き直って、もっとずっと単純なパターンを繰り返すダンスをみせた。
手拍子と合いの手に合わせて、男性親族が皆立ち上がり、踊り手達の前に進み出た。恭しく礼をした踊り手は、先程の繰り返しパターンを始めた。心得ているらしきシダールの男性諸氏は、曲に合わせて同じダンスを始めた。
広間の端から金色のリングを両手で捧げ持った子供が現れた。
可愛らしい衣装を着て花冠を被った子供は、広間の中央まで来ると、金色のリングを振りながら、微笑ましい感じの踊りを一生懸命踊った。その子が踊っている間は、周囲の全員は踊りを止めて、見守った。
その子は踊り終わるとリングを高く掲げた。周囲から拍手が上がる。
曲は再び基本のリズムに戻り、中央に立っている人々はまた踊りだした。
立派に自分の役割を果たした子供は、晴れ晴れとした顔で親族席の中にいた男性の一人にリングを手渡した。
子供の親らしきその男性は、子供の頭を撫でると、悠々と広間の前方中央に歩み出た。人々の注目が集まる中、男性がリングを掲げる。周囲のダンスが止んで、全員が見学モードに入った。
おそらくはこのあたりの段取りは打ち合わせ済みなのだろう。勇壮な音楽に切り替わり男性親族代表といった感じの男性のソロパートが始まった。
「彼は花嫁の兄よ」
アイリーンが小声で教えてくれた。
ファーストソロは花嫁の親族が務めて、リングを花嫁に渡す流れだという。
「このあと、女性親族が踊り手に加わって花嫁を取り合って、ダンス対決をするの。花婿側が負けると、花嫁は実家に連れ戻されちゃうから、彼女は次に花婿にリングを渡すってわけ」
「ダンス対決の勝敗はどう決まるんだ?」
「拍手の量よ。甲乙つけがたい場合はその場で一番身分が高位のものが決めるの。でも最初のこのあたりは、定形のしきたりだから、事前に決められた通りに進むわ」
たしかに場はアイリーンの解説通りに進んだ。歌とダンスは事前にきちんとプロの監修でプランが立てられているのだろう。新郎新婦の身内という素人がやっているにもかかわらず、ミュージカルの1幕のようだった。
花婿が素晴らしいダンスを披露して、花嫁を取り返して抱きしめ、二人で愛の歌を歌い終わったところで、親族一同は一度席に戻り、またプロの踊り子さんたちのみのダンスになった。
「さぁ、ここからはシナリオなしの無礼講よ。とりあえず次に銅鑼が鳴ったら全員立って踊ること」
アイリーンは、隣に座っているジェラルド達にも声をかけた。
「あとはリングが回ってきたら頑張ってね」
「アイリーン、私とても皆さんの前で一人で踊るなんてできませんわ」
「そういうときはね……」
アイリーンがヴァイオレットに説明しようとしたところで銅鑼が鳴った。
招待客一同は立ち上がって踊りはじめた。王国人の一部の客はぎこちなかったが、大半の客人は慣れた様子で、楽しそうに踊った。
曲はいくつかあり、それぞれ別の振り付けだったが、どれもそう難しくはなかったので、ジェラルド達も、踊り子や他の客の見様見真似で、すぐに一通り踊れるようになった。
金のリングは次々と人の手を渡り、受け取ったものは、1,2フレーズを自由に踊った。振り付けは皆即興なのか手や腰を数回適当に振るだけのおじさんもいた。
夫婦は二人で踊るのもOKらしく、ある老夫婦の仲睦まじいダンスに皆は喝采した。
若い独身者は、なかなか気合の入ったダンスをするものが多かった。踊りきったあとに、リングを掲げながら意中の相手に手を差し出し受けてもらえると、夫婦や婚約者でなくても一緒に踊れるらしい。
「(鳥の求愛ダンスみたいなものか)」
どおりで踊れる人が多いわけだと、川畑は納得した。
リングは、身内や知人同士らしい人々の間で回っていたが、ある若い娘さんに回ったところで風向きが変わった。
ハイティーンっぽい彼女は、年格好に似合わない大人びたダンスを踊りながらまっすぐジェラルドのところにやってきて手を差し出した。
本来なら婚約者を連れている男性に誘いをかけるなんて、とんだ無作法である。だが彼女が、いかにも背伸びがしたい年頃っぽい様子であったことと、ジェラルドとヴァイオレットが傍目にはあまり婚約者同士に見えないことから、特に咎めるものは出なかった。
ジェラルドは「やぁ、これは可愛らしいお嬢さんのお誘いだな」とおどけて、ちらりとヴァイオレットの方に振り返った。ヴァイオレットは微笑んで「踊ってあげなさいな」といった。
ジェラルドは少女の手を取って、人の輪の中ほどに出た。
キラキラの金髪の王子様顔のジェラルドが笑顔で少女と踊るのを、会場中の独身女性が見た。
猛獣の狩りが始まった。
「流石にこれが続くのは無理!」
立て続けに3人と踊ったところで、ジェラルドは音を上げた。
なにせ、リングを次の人に渡しても、あっという間に戻ってくるのだ。お嬢さん方のお誘いを断れないジェラルドは、そのたびに笑顔で応じていたが、慣れない胡座で違和感のあった腰と膝は、連続でのダンスに悲鳴を上げた。
夫婦者の男性側にリングを渡そうとしたところ、その奥方がさっと前に出てジェラルドのリングを持っていない方の手を取って「ご一緒させていただきますわ」と言ったところで、彼の忍耐力は切れた。
なんとかそのアグレッシブな奥方と笑顔で踊りきったジェラルドは、金色のリングを握りしめ、決死の形相で自分の身内のところに戻ってきた。
「拍手してないで、次はお前やれ!」
ジェラルドは右手でリングをブンブン振りながら、他人事の顔をして拍手していた川畑の手を、左手で掴んでぐいっと押し下げた。
場内が一瞬ザワッとした。
「……ジェラルド。それ、ダンスの申込みよ」
「え?」
アイリーンの言葉に、男二人は自分達の状況を確認した。
ジェラルドは、リングを持ってない方の手で、川畑の手を握っていた。
「うぇぇ」
彼らは顔を見合わせた。
打開策は思いつかなかったが、音楽が続いている以上、進行を止めるわけには行かないことだけはわかった。




