庭園
「では、成り行きでそのまま?」
「はぁ」
ヴァイオレットは「まぁ」とだけ言って、申し訳無さそうに身を縮める大柄な青年に、少しだけ咎める視線を向けた。彼はしおしおと項垂れた。
タミルカダルで幼なじみと旧交を温めていた彼女は急遽この水上宮で合流することになったと電報を受けた。幼なじみが手配してくれた小型艇でこちらに来ると、なぜかジェラルドの従者のはずの彼が、アイリーンのエスコート役をしていた。
本来は秘書のヘルマン氏がその役のはずだったのだが、到着時のゴタゴタで、誤解があったという。
「ヘルマンさんはどうなさっていますの」
「風邪をこじらせたのか、熱がまだ引かず奥で寝込んでいます」
「あらまぁ、お気の毒に」
ついでに水に中って腹もこわしたようで、とても起きて宴会に出れる状態ではないらしい。
「そういうことでしたら、仕方がないですわね」
ヴァイオレットは頬に手を当てて思案げに首を傾げた。
「そういうわけですのでご協力お願いします」
口裏合わせを頼まれて、ヴァイオレットは「いいのかしら」と困惑気味に了承した。
とはいえ、よく考えればそういう自分もジェラルドの婚約者という偽の肩書を名乗っているのだから、あまり偉そうなことは言えない。
「お互い、あまり目立たないように控えめに過ごしましょう」
「肝に銘じます」
偽のペアを組む相方が華やかすぎる二人は、私達は地味に無難に後ろの方にいましょうと誓いあった。
山嶺から恒河へ注ぐ清流の1つを堰き止めてできた人工湖に造られた水上宮は、青い水面に浮かぶ白い瀟洒な宮殿だった。敷地内にはいくつもの楽園式内庭が設えられ、華やかな花木と泉池や噴水が配されていた。
婚礼の宴が始まるのは夕刻以降だということで、招待客は皆、思い思いに穏やかで快適な時間を過ごしていた。
「せっかくだから、庭園を見に行こうじゃないか」
ジェラルドの提案で訪れた中庭は、見事な四分庭園で、正方形の庭が水路によって4分割されていた。庭の中央の池には丸い小島があり、白大理石の園亭が建っていた。中庭の四方の、上方が馬蹄形アーチになった開口部からみると、ピッタリと額縁に入った絵画のように見えるように計算された造りだ。噴水越しに見える白い園亭は、ベールをまとった貴婦人のように美しかった。
「綺麗ね。でも、人が渡るようにはなっていないみたい」
「ああ、あれは渡るときには橋をかけるんだよ。僕達はあちらで休もう」
ジェラルドは庭園の四隅にある黒大理石の小亭の1つを指差した。
「シダールの大富豪のこういう道楽をみると、王国が、やれ古王国の正当な後継者だ、宗主国だと言っても、結局の所、戦争で追いやられた敗残者が北方の僻地の小島に落ち延びて作った国だというのがよくわかるな。富の集積のレベルが違う」
「ジェラルド。王国貴族がそういう発言を聞いたら、不敬罪で罰せられますわよ」
「人間、ホントのことを言われるほど腹が立つことはないってことだ」
ジェラルドは肩をすくめた。
「でも、別に僕はまるっきり悪口のつもりで言ったわけでもないんだよ。標準的な王国の王侯貴族が領地から取る税のレベルでは、そこまでの贅沢はできないってだけだからね」
王国は寒いし、土地も広大ってわけじゃないからとジェラルドはわざとらしく顔をしかめてみせた。挙げ句、貴族が浪費しすぎて農奴が反乱した共和国や、ろくに小麦も育たない皇国よりはマシだけどと笑った。
「まぁ、衣食住、特に建築の芸術性は、お金があるかどうかよりも、贅沢の仕方を知っているかどうかの問題よね」
アイリーンは美しい庭園を愛でながら一つため息をついた。
「こういう庭園は、パトロン側が少なくとも3代以上十分な富をこういうことに継続的に費やしていて、生まれたときから最上質の美しいものに囲まれて育った審美眼の持ち主が十分な人数いないと造れないわね」
「一人の天才ではダメなのかい?」
「その千人、万人に一人の天才が職を得て才能を磨いて評価されて、アイディアを実現するに足る人数の職人がきちんと工房を維持していけるだけの仕事が発注され続けていることが必要なのよ。センスと技術は知識と経験で磨かれるものだから」
「ああぁ、確かに一人の道楽者と一人の天才がいるだけでは、宮殿は無理だね」
川畑は彼らの後ろで大人しく黙って話を聞きながら、壮麗な魔王城に改装された妖精王の城を思い出していた。
「(道楽者と天才の度が非常識だと城が建っちゃうこともあるんだよなぁ)」
おそらくかなりの趣味人の道楽者で、悔しいけれど多分天才な変人が一人で改変して創造した城は、とても調和が取れていて美しかった。
「(センスは知識と経験で磨かれるもの……か)」
せっかくいいものに触れる機会なのだから、しっかり観察して学んでおこうと川畑はあらためて、庭園と宮殿を視た。
「(あとでアバスさんに調度品の解説を聞いてみよう)」
古美術商のアバス老は到着以来ずっと、ホテルビュッフェに放たれた欠食児童のように、あちこちに飾られた花瓶や、調度品を観て回っていた。
「(アバスさんと二人で邸内を見て回ったら変かなぁ)」
余所事を考えていたせいで、川畑は最初、自分が話しかけられていることに気づかなかった。
「すみません。なんでしょう」
「あなた、ダンスは踊れる?」
今夜パーティでエスコートしなければいけない女性から、この質問をされたら「いいえ」とは言えなかった。
ただ、その夜に踊る羽目になったダンスは、思ったのとちょっと違っていた。




