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家に帰るまでが冒険です  作者: 雲丹屋
第11章 真実の愛が生まれた地で

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屈服

アイリーンは明かりを消した部屋で、掛布を鼻の上まで引き上げた。目を閉じて、開けて、またギュッと閉じる。

どうにも隣室の彼が気になって眠れない。足音を忍ばせて扉まで行き、そっとノブを回して隙間から様子を覗った。


客間の大きな籐椅子に座った彼は、大きくて古い革表紙の本を広げていた。開いたページの上で揺らしている右手の付近で、チラチラと鱗粉のような光の粉が舞っている。なんだかその横顔はおとぎ話の魔法使いのようだった。

……悪い方の。


アイリーンはそっと扉を閉めようとした。

「御用でしょうか」

閉める前に、声をかけられた。


「何を読んでいたの?」

「教科書です。このところ勉強をさぼっていたので」

籐椅子から立ち上がった彼の手には、船でやっていた勉強会で使っていたテキストがあった。革表紙ではない普通の本だ。

「そう」

悪い魔法使いは、嘘つきだ。

サラリと隠し事をする彼に、アイリーンは、そういう人よね……と思った。


「何かわからないところはある?なんだか目が冴えてしまって眠れないの。聞きたいことがあるなら教えるわ」

見慣れた本を覗き込んでそう水を向けると、彼は「尋ねたいことは色々ありますが」と言いつつ言葉を濁した。

アイリーンは顔にかかる邪魔な髪を軽く耳にかけて、ちらりと彼を見上げた。

彼はなぜか一瞬言葉に詰まった後、スッと目線を外して「そういえば」と切り出した、

「謎解きゲームやパズル問題はお好きですか?」

「得意よ」

おかげさまで。と、心のなかで続ける。暗号解読に精通したのは、昔、この悪い男に仕込まれたせいだ。もともと資質があったと言われればそれまでだが、良家の子女が嗜む趣味としてはやや特殊すぎて、父親には青ざめられたが、それも今はいい思い出だ。


「でしたら、これを見てなにか思いつくことはありませんか?」

彼はどこからか黒い革表紙の手帳を取り出して、中の1ページを見せた。

単語としては意味をなさない数文字と、数字からなる文字列だ。

「……さぁ?流石にわからないわ」

「そうですか」

小首をかしげたアイリーンに、彼は「まあ、そうだろうな」という感じで落胆のかけらもなく頷いた。質問したくせに全く答えられることを期待していないその態度に、アイリーンはムッとした、

「地図はないの?座標だけでどこだかわかるほど、シダールには詳しくないのよ」

「座標?場所を示しているのか?!」

彼は驚いた声を上げた。

アイリーンはニンマリした。

「(ふふふ。優秀な教え子を褒め称えなさい)」

彼女はいい気分で、手帳の文字を指差した。

「これがどこの地域の地図かを表して、こっちがその地図の中での南北、こっちが東西の座標を示しているのよ」

「緯度と経度か。それにしては数字が若くないか?基準点はどこなんだ」

「基準点?地図の左上はどこかってこと?それは地図によるわ」

「んん?国際的な標準となる地点はないのか?」

「世界の中心がどこかという議論はまだ答えが出ていないし、古王国の全盛期ほどの権勢を持つ統一国家もないのに、そんなものあるわけ無いでしょう」

「なるほど」

「これは皇国軍が、使用していた型式の地図番号ね」

「何でそんなもの知ってるんだ」

「北シダールの攻防戦当時のものだからよ。王国軍はボンクラだけど、接収した拠点の残留品の解析ぐらいするわ。20年以上前のその手の情報なら一般人でも、ちょっと調べれば閲覧可能なの」

ちょっとってどれくらいだという顔で見つめる相手に、アイリーンは少し弁解めいた口調で付け足した。

「うちは叔父様が軍の関係者だから。……皇国軍の最新の地図コードは流石に知らないわ」


「だとすると、この番号の地図があれば、この座標が表す場所がわかるということか」

「逆に言うと、地図がないとどこなのかは全くわからないということよ」

最新の地図なら、入手方法もなくはないだろうが、古い地図は多くが失われていて入手が難しいという。元は軍事機密情報だから当たり前だ。


「地図を探すとすれば、古くて皇国軍関係の施設……」

「あるいは王国軍の資料庫かしら?」

「ドライトンベイに軍の施設は?」

「海軍基地、王立航空工廠、それから軍の武器保管所付属工房の王立陸軍士官学校」

「なんだ、最後のそれは」

「工兵や砲兵、それから技術工作兵や情報部のごく一部の士官候補生のための学校よ」

「工房内に?」

「特殊で専門的な分野に特化した教育機関だから生徒が少ないの」

「なんでそんなものの存在を……」

「あら。興味のある分野の雑学をいつどうやって仕入れたかなんて、いちいち覚えているものじゃ無いでしょう」

全面的に同意できる回答だったので、川畑は黙って納得した。


「では、これはそこの資料庫から盗まれたものの可能性が高いか」

彼はどこからか地図の書かれた紙を取り出した。

「えっ?今、どこからそれを出したの?」

「手品です。すごいでしょう」

平坦な声で真顔でそう返した相手に、アイリーンは「こいつ、説明する気ないな」と察した。

「ふーん」

彼女は彼の手から地図を取った。

「当たりだわ。これは皇国軍の旧型式の地図よ。残念ながら番号が違うけれど。……他にはないの?」

「入手できた書類のうち、地図はそれ1枚だ」

アイリーンは手を出した。

「ちょうだい」

地図以外の残り全部の催促に、川畑は困ったような呆れたような顔をした。

「今日はお疲れだったのでは?もうお休みになったほうが良い時間ですよ」

アイリーンは、都合のいいときだけ従者に戻ろうとする男に、ぐいっと顔を寄せた。

「これ、ドライトンベイで手に入れたのよね?なら、おそらくだけど、私が協力したおかげなのでは?」

川畑は視線を逸らせた。


アイリーンはこの秘密だらけの相手を困らせてやることにした。

「私、こういう中途半端な謎の出され方、スッキリしなくて嫌いなの」

「いや……でも、これは全部明かしてもたぶん解けない話で……」

「ぜんぶ教えて」

アイリーンは、隠し事の多い悪い魔法使いを懲らしめるつもりで、囁くように強く繰り返した。

「ぜ·ん·ぶ·お·し·え·て」

悪い男は喉の奥で変な音を立てて呻いた。

「(もうひと押し?)」

アイリーンは、彼の上着の胸元の刺繍のラインを、ツーっと指で辿った。

「知りたいことが色々あるんでしょう?」

薄手の上着の下で、彼の身体が緊張で強張るのがわかった。警戒されすぎてもいけないので、アイリーンは少し甘えるように彼の肩にもたれかかって、相手を甘やかすような声で説得を試みた。

「あなたが知りたいこと、私が教えてあげられるかもよ」

「……いいのか?」

「いけないことなら、しないの?」

長い沈黙があった。




「教えないでいたら、どうなるか興味が出てきた」

「その場合、あなたがどうなっちゃうかは心配じゃないの?」

「むしろ、そちらが大丈夫か心配だ」

「じゃぁ、焦らさないで」

「焦らしている気は……」

此後におよんで韜晦する相手に、アイリーンは焦れた。

「よし。決めた。こうなったら躊躇せず実行しよう」

アイリーンは、ぎょっとした相手の手を引いて、寝室に連れていってベッドに無理やり寝転がらせた。

「ちょ……何を……」

「男に口を割らせる手段って、知識で知っているだけで実践したことのない方法がいくつかあるんだけど、どれから経験したい?」

「できれば捕虜の人権に配慮したものを」

「あらぁ?捕虜に人権なんて概念、聞いたことないわ。どこの世界の話?」

アイリーンはベッドに乗り上げて、横たわる彼の胸の上に片方の膝をついた。

「今、気づいたんだが奴隷身分ってそもそも人権ないのでは?」

「そうね」

「ひょっとして俺って自衛する権利もない?」

「抵抗しちゃだめよ」

アイリーンは逃げ場を塞ぐように、相手の顔のすぐ脇に手をついて、上から覗き込んだ。彼女の長い髪がふわりと両側に流れ落ちて、彼が彼女以外を見ることを禁止した。

「どうしてやろうかしら」

隣室のランプの薄明かりを背景に、彼女はとてつもなく蠱惑的に微笑んだ。


川畑は白旗の代わりに、残りの書類を差し出した。

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