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家に帰るまでが冒険です  作者: 雲丹屋
第11章 真実の愛が生まれた地で

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入浴

渡り板から足を滑らせて転落したヘルマンを助けに飛び込んだ川畑は、水から上がるとすぐに浴場に案内された。

それも召使い部屋付きの狭い浴室ではなく、来客用だかこのうちの主人用だかのとてつもなく贅沢なところだ。溺れたヘルマンは水から上がるとすぐに医務室相当のところに連れて行かれてしまったので、彼は一人で入浴することになった。


地下に造られたその空間は呆れるほど豪奢だった。中央の広い冷水浴槽は生花が浮かんでいて、プールか中庭の池ですと言われたほうが納得できるサイズだった。もちろん温水浴室やサウナも完備されており、川畑は浴場専属の召使いたちにかしずかれて、ホスピタリティ溢れるラグジュアリーな本格スパというものを思う存分体験させられた。

ここの宮廷料理のフルコースもかくやというメニューを体験してしまうと、豪華客船のシダール風呂がヤカンの湯で作った安売りカップ麺ぐらい、なんちゃってな代物であることが良くわかった。


好奇心と入浴の誘惑に負けて、最初に「自分はただの召使いなので」と断り損ねた川畑は、完全に客人扱いで、どこかの貴族か富豪と間違われているような歓待を受けてしまっていた。

初めは足を洗う少年一人だけが担当だったのに、あとから若い女の子が何人も追加でやってきて、あれこれ世話をしてくれたし、オイルマッサージ室では途中で担当が新人から達人風の人に変わったし、瞑想室とやらでは、奥から”お師様”と呼ばれている老人が出てきて、魂のリラクゼーションについて篤々と語られてしまった。


「(最後の方は風呂というよりヨガ行者の精神鍛錬みたいなノリだったな)」

体機能の制御だの生命エネルギーの循環だのは、川畑としては散々やってきた得意分野なので、”お師様”のお話もよくわかったし、「やってみなさい」と言われたこともちょっと集中すればこなせた。が、一般の客人相手にあれはリラクゼーションプログラムというにはちょっと小難しいのではないかと思われた。

「明日も来なさい。明日はもう少し深い話をしましょう」と言われたので、湯治のように毎日少しずつ進めることが前提なのかもしれない。

来客は多そうなので、全員にこんなもてなしをするとなると大変だろう。本来は希望者だけか先着の予約での受付のメニューもあるのに違いない。

今日はたまたま他の人の少ない時間帯だったので、丁寧なサービスが受けられたようだと、川畑は幸運に感謝した。


「お楽しみ頂いておりますか」

「ええ、とても」

「なにかご要望はお有りでしょうか。何なりとお申し付けください」

川畑は少し考えた。このくらいパーフェクトなスーパー浴場に来たのに、アレにまだ入っていない。

「では露天風呂……屋外で夜空の見えるところで温浴のできる設備があれば」

「かしこまりました」

聞いてはみるものだ。やっぱりあった、と川畑は内心でガッツポーズをした。

「どのような様式がお好みでしょうか。参考までにこれまで入られたことのあるものをお聞かせいただけますか」と案内役のスタッフは尋ねてくれた。なんと好みに合わせて用意してもらえるらしい。これは期待できると川畑はテンションを上げた。

「そうだな庭園風呂なら岩風呂が定番だが、ここの立地じゃ無理そうだ。桧風呂……香りの良い木で作った浴槽で入るのも好きなんだが、それもここでは木が手に入らないだろうしな。あとは大きな陶器の壺の浴槽も子供の頃は好きだったんだが、いかんせんこう体が大きくなるとゆったり入るというわけにいかないから……うーん。別段、泡の出る風呂とか、浴槽内をライトアップとか、そういうのは今日は求めていないので、普通に落ち着いてゆっくり入れるものなら何でもいいよ。湯温は屋内の温浴室よりも少し熱めにしてもらえると嬉しいが無理なら普段どおりでいい」

つい口数が増えた川畑に、案内役はいささか面食らったようだが、「ただいまご用意いたします。こちらでお待ち下さい」といって、川畑をカウチに案内した後、下がった。




「おい!早くしろ。まだ準備できないのか。手の空いているやつを駆り出せ」

「どこの御曹司だか知らないが、相当の贅沢に慣れた相手だ。絶対に当家が見くびられるような落ち度を晒すなよ!」

なにせ相手は、庭園に湯をはり、香木で浴槽を作るような道楽者だ。人が入れるほどの大きさの陶器の壺などという、とてつもなく高価なものを浴槽にして、子供の頃から日常的に使っていたらしいから筋金入りだ。


最初から悠揚迫らぬ物腰だったので、これは大物かもとスタッフを増やしたが、彼はそれが当たり前のように顔色一つ変えなかった。身分の低い客の中には、女性スタッフが付くと、恥ずかしがったり、逆に下卑た要求をしたりするものがあったが、彼はそういう様子もなかった。淡々とサービスを受けながら、十分にそれらを満喫しているところは、明らかに接客される側のマナーを心得ている上流階級の人間だ。

少しは驚くだろうと、氷室の氷を砕いて果汁をかけた氷菓(シャーベット)を出せば、「湯上がりにはカチカチのアイスクリームが定番だが、こういうシャーベットもなかなかいいね」と言う始末。

「クリームがカチカチに固まるほど冷やすってどうやるんだよ?!そんな贅沢な氷の使い方できん」と厨房係はキレかけた。

「待て、生国は北方かもしれんぞ。王国や皇国の北では通年で氷雪がある国もあるというから」

「だとすれば、そのような寒冷地で、熱い湯をなみなみとはって、屋外で入浴したあげくに、冷たいデザートを食べることを習慣的に行える身分だということだぞ」

自分たちが仕える主人も相当非常識なレベルの大富豪なだけに、召使いたちは盛大な誤解による妄想を逞しくした。


マッサージ担当は、件の客人は筋肉の付き方は見事なものだが、その手や足はもちろん全身の肌が、労働階級のものではありえないほどきめが細かくなめらかだったと証言した。……自分の世界に戻ったときに、異常な風貌になっていたくない川畑は、自分の体の状態を普通の学生だった初期値から変えないことに執着して特殊能力を総動員しているし、鉱山労働時は偽体を使用していたので、肉体的変化は一切反映されていないのだから当り前である。


さらに、この家の主人の精神修養の師を務め、”お師様”と呼ばれる高名な導師は、かの客人を一目見るなりわざわざ瞑想室に出向き、長く語り合った挙げ句に、「必ず明日もかの方をご招待しなさい」と上機嫌で言いつけた。

”お師様”直々に「くれぐれも失礼のないように」と言われてしまったので、家名どころか出身国すらわかっていないが、貴人待遇は確定であった。


浴室スタッフは可能な限りの労力を動員し工夫を凝らして、美しい露天風呂をこしらえた。




湖に張り出したテラスに設えられた四足の大ぶりな浴槽にはたっぷりと熱い湯がはられ、その周囲にはつややかな観葉植物の鉢が並べられて、脇には衝立代わりに見事な花房の下がる蔓のカーテンが配されていた。明かりは、小さな器に入ったキャンドルが要所に置かれているだけで、星空を楽しみながら入浴が楽しめる趣向になっている。

どこからか聞こえる妙なる調べは、シダール琵琶と鉄琴の生演奏だ。

「(これは風呂に関してはエウロパのリゾートホテルを超えたかもしれない)」

このところ辛いことが多かった川畑はしみじみと風呂を楽しんだ。


冷たいお茶か、何かお薦めのものがあればそれを、とオーダーしたら出てきた飲み物を飲みながら、川畑は一息ついた。琥珀色のトロリとした飲み物はなんだかわからないが、とりあえず美味しい。ここしばらく飲食をしていなかったので、先程のシャーベットといいこれといい、久々の口福だ。

いつもなら川畑は現地産の物は体内に入れずに魔力変換するのだが、ここの物は上質で安全そうなので、今夜はマッサージ用のオイルも飲食物もそのまま楽しんでいた。

「(流石に湯あたりしたかな。少しふわっとする)」

川畑はグラスの中の残りをぐいっと飲み干すと、控えていたスタッフに部屋に戻ると告げた。


「こちらをお召ください」

そう言って浴衣の代わりに着せられたのは、シダール風の装いで、おそらくとても高級なものだった。

水に落ちて、代わりに貴族っぽい服を着せられるとは、まるっきり長靴を履いた猫の主だと、川畑は思った。

「これは、カラバ公爵と呼ばれたら、うっかり返事しそうになるな」

粉屋の息子どころか奴隷身分なので、詐欺加減は自分のほうが甚だしい。

後で怒られるかもしれないが、高級品だけあって着心地は抜群なので、今はこのご厚意に甘えようと、一杯加減で上機嫌の川畑は、スタッフにされるがままに身支度を済ませた。


全身磨かれてツヤツヤで、髪も整えられて、上質な装いをゆったりと着こなした川畑は、完全にどこかの富豪か上流階級の御曹司だった。

上背がある立派な体格のため、シダール上流階級の衣装はおそろしく見栄えがした。




「お部屋にご案内します」

そういわれて川畑が案内されたのは、アイリーンのいる部屋だった。

「公爵だと?!」

「はい。呼ばれても返事をしないよう気をつけなければと小声でしたが仰っていました」

「そうか……お忍びか」

そして積み重なるいらない誤解。

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