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家に帰るまでが冒険です  作者: 雲丹屋
第11章 真実の愛が生まれた地で

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推定無罪

解像度が違った。


狭い船室に一つだけある椅子に座っていたアイリーンは、身支度の途中なのか、まだ王国風のかっちりした上着を着ておらず、柔らかな色合いのブラウス姿だった。髪を梳いていたところらしく、その豊かな髪は緩やかに波打ちながら、白金の滝となって、胸元におりていた。髪を下ろした彼女は、いつもよりも幼く見えて、年上は好みじゃない川畑からみても、有り体にいってめちゃめちゃ可愛かった。


川畑は内心の動揺を面に出さないように努めながら、軍用の飾り気のないカップをテーブルに置いた。

「いい香りね……」

カップを手に取った彼女から、お茶のものではありえない、なんとも言えない甘いような芳香が立ち上っている気がして、川畑はくらっとした。

「美味しい。ありがとう」

こちらを見上げて微笑んだアイリーンが放つ、物理現象とみまごうばかりの魅惑のオーラに、川畑は圧倒された。


ぶっちゃけ、川畑は色恋沙汰に疎い。

色恋沙汰というか、もともと女性への興味や関心が薄めだ。

女子の多少の美醜の差はよくわからないし、関心がないので細かいオシャレには気づかない。知っている女の子が多少髪型を変えてもまずわからないし、逆によく知らない相手の場合、髪型や服装が違う写真を見せられると別人だと思う。ちなみにアイドルやグラビアの女の子は、見分けがつかないし、ろくに名前も覚えていない。


しかし、可愛いとか美人だとかは、このレベルになると、興味のあるなしに関係なく、ぶん殴ってくるものなのだと、彼は思い知った。


「(え?これ翻訳さんの補正ゼロ?)」

川畑はまじまじと、目の前の相手を見つめた。

「(というかまさか補正ゼロだから、こうなのか?)」

確かに目の前にいるのは、前から知っているアイリーンだ。

しかし受ける印象と情報量がまったく違った。”金髪美人のお姉さん”というカテゴリーのステレオタイプに分類されて、単純化されて処理されていた相手が、圧倒的なリアリティで存在している。川畑にとっては、いつもモニタの向こうだった女優さんが急に隣に座っているようなものだった。


彼の場合、他者の個体識別は、外観だけではなく、体構造や魔力も含む高次元複合体全体を漠然と知覚して行っている。

設定がゆるい世界の眷属は、概ね情報量が少なくてフィクションのキャラクターっぽい大雑把な存在であることが多く、リアルな他者として考えにくい。

今いる世界は比較的しっかりした世界だが、人物はそこまで詳細ではないとこれまで川畑は感じていた。しかし、どうやら彼女に関しては実際はそうではなかったらしい。

「(マッサージしたとき、全身確認したのに気づかなかった)」

ふと、あのとき自分が彼女にしたことを思い出してしまって、川畑はとっさに奥歯を噛み締めた。あわてて血流を意識的に整えて、あらぬところに血が上るのを防ぐ。

「?」

カップを手にした彼女が、こちらを見て不思議そうに小首をかしげる。うん。可愛い。

あのときは体調を整えてあげることや、覚えたばかりの技術を試してみることなどに気を取られていたが、()()()()にあんなことやそんなことをしたかと思うと、クラクラする。

絶対に自分の現状の狼狽は悟られたくないので、川畑は努めて冷静かつ穏やかに「では、お(ぐし)を整えさせていただきます」と口にした。

そして、口に出してしまってから後悔した。




実は川畑は、以前、別の世界で彼女の髪を結ったことがある。

今の世界に来る前に、時空監査局の仕事の手伝いで、こことは違う世界の彼女に少し関わったのだ。

もちろん、髪型や服装はおろか、年齢も身分も違うので、単によく似た人である可能性はある。ノリコが持っていた写真に、川畑そっくりの男が写っていたように、別世界に似た個体が存在する可能性はあるからだ。それに、もし同一人物だとしても、相手の記憶が、川畑が会った彼女と連続しているかどうかについては確証がない。

ただ、こうして解像度が上がった状態であらためてみると、世界がまるで違うのに彼女の一致率は高く、しかも彼女からは少し時空監査局が干渉した異世界転移個体の雰囲気を感じた。


なぜ別の世界に同一人物が存在しているのかについては、さっぱり事情がわからなかったが、二度と会えない相手だと思っていたので、また会えたのは実は少し嬉しかった

しかも、この世界の彼女は、かなり自由な身の上で、のびのびと幸せそうにしている。


最初に出会ったとき、彼女は時空異常に巻き込まれていて、なかなか苦しい立場にいた。川畑は時空監査局がその異常を修正するまで、彼女が自棄を起こさないように、陰ながら見守って、不要なストレス源を排除する仕事を請け負っていた。

可能な限り直接接触は避けていたので、言葉を交わしたのは数度しかない。でも、当時かなり年下だった彼女は、とても健気で、賢くて、いい子だったので、川畑は一方的に親近感を抱いて、ちまちまと世話を焼いていた。

彼女が笑顔でいるだけで、川畑は妙な達成感と満足感を感じた。



叶うなら、あの後どうなったのか彼女から話を聞いてみたかった。

とはいえ、時空監査局の関与が不明なので、実はこの件はあまり踏み込まずにそっとしておくべき事案だった。異世界間の転移者の情報管理は、世界同士の因果関係に関わるので、わりとデリケートな問題なのだ。

特に彼女は自身の所属する世界に対して影響力の高い個体だったので、ここで川畑と”再会”したと、完全に相互に認識して確定すると、あちらの世界とこの世界の時間軸上の関係性が固定されるおそれがある。

この世界の持続的発展のために、大規模に介入中らしい時空監査局にとって、それがどの程度の問題なのかわからない以上、黙っているに越したことはなかった。




そういう状況ではあったものの、川畑は前の世界での彼女と自分の関わりを連想させるシチュエーションに陥ってしまった。

ここはさっさと簡単に済ませて退室するのが吉だというのは自明だった。


わかってはいた。

重々わかってはいたが……素晴らしいプラチナブロンドを好きにして良い誘惑に川畑は抗しきれなかった。

長い髪を手に掬うと、白いうなじからの優美なラインが見え、彼女が微かに洩らした甘い吐息を耳が拾ってしまった。……破壊力が凄まじすぎて、思わず真顔になるレベルだった。


「(これはオーダされた仕事だから)」

心のなかで言い訳しながら取り掛かった時点で、完全に有罪(ギルティ)だった。

推定無罪;有罪が確定するまでは無罪として扱われるべきという考え方


この二人の以前の話はこちら

https://book1.adouzi.eu.org/n1849hd/



浮気じゃない……浮気じゃないんだ!

……だって付き合ってないし。


はい、アウト。



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