旅の従者
街道沿いに旅をすること数日、耕地と牧草地のパッチワークの先に見えてきたのは、最初の目的地だという小都市だった。
石造りの鐘楼がある建物とその奥の少し大きな屋敷以外は、目立った建築物のないこじんまりとした田舎町だ。城壁はなく、腰の高さほどの古い石垣が申し訳程度に並んでいた。
「おー、騎士だ。かっけー」
石垣のところで遊んでいた子供の一人がこちらを見て声をあげた。
「おい、君。ひとっ走り行って、領主の屋敷のものに、これから伺うと伝えてくれないか」
小遣い銭をもらった子供は勢いよく走っていった。
「のどかな良い町ですね」
ここの領主は身分こそ伯爵で領地も広くはないが、昔から王都の膝元を守って来た家で、この平和さも代々の領主の手腕によるものらしい。
「"魔法伯"でしたっけ?ここの領主様。そんな感じには見えないなぁ。もっとなんかすごい町かと思った」
ロビンスはちょっと不満そうに言った。
「代々、強力な魔術師を生んでいる家系だが、魔術師は王都で働くからな。現当主も王都に詰めっきりだよ。それでこれだけ立派に治めているのだからすごい」
「はぁ~、そういうもんなのか」
「ということは、ご当主に用があってこちらにいらっしゃったわけではないんですね、バスキン様」
「えーっと、未来の英雄の従者探しだったっけ?隊長」
バスキンはロビンスをとがめるように見たが、渋々答えた。
「一応、機密なんだが……この先もずっと世話になるハーゲンには教えても構わんか。"勇者"殿のお仲間候補の下見と選出だよ」
「"勇者"とは?」
「将来、天より使わされる特別な才能を持った青年らしい。この世に現れる悪しき魔王とやらを退治してくれるそうだ」
「神託があったんだっけ?なんかぴんとこない話だよなぁ。魔獣の群れだとか、魔王が世界そのものを破壊するとか言われても……。だいたい、そんな災厄が起きたとき、独りぐらい強いのがいてなんとかなるのか?」
「だから、勇者をお助けするお仲間を用意せねばならんのだ、ロビンス」
「それなら、軍を用意した方がいいんじゃないか?」
「今、大規模に軍を編成し始めれば、周辺諸国に勘ぐられて、したくもない戦をすることになる。神託でも勇者の仲間は数名が指定されているだけだ」
「神託って、そんなに細かい指定が入るものなんですか」
「今回は特別詳細らしい。攻撃魔法を使える魔法使いに、回復魔法を使える聖者、盾となる戦士と、あとは斥候だったかな?すべて年若い清らかな乙女で揃えよと示されたとか……若い娘に大盾を持たせても、持ち上げられんぞとは思うのだが、形だけでも揃えねばならん」
バスキンは顔をしかめた。
「それで魔法伯のところって訳か」
「若い娘で魔術の鍛練をしているものなど、我が国ではここ以外では考えられん」
「伯爵にはお嬢様がいらっしゃるんですか」
「何人かいる。血統を残すため、子沢山な家系だからな。長女は婚約済みでもうじき輿入れだそうだが、次女が今年15才で素養があると聞いた。どんな娘だか確かめておかねばならん」
バスキンは気が重そうに伯爵邸の門前で馬を降りた。
「若い娘なんてどう話したものかわからんのだがな……ロビンス、一緒に来てもらっていいか。お前の方がそういうのは得意だろう。ハーゲン、馬を頼む」
川畑は黙ってうなずくと、馬を引いて屋敷の裏手に回った。
「王都からのお客様って、どんなご用事なのかしら。騎士さまがお二人だったわ。一人は怖いお顔だったけれど、若い方の騎士さまはかっこよかったわね。私が呼ばれたってことは、お父様がついに私を王都に呼んでくださるのかしら?それともあの若い騎士さまがプロポーズしに?以前一目見てから貴女が忘れられなくて……とか、いやーん。だったらどうしよう」
「お嬢様、お支度中は静かにしてくださいませ」
「このドレス地味すぎやしないかしら。リボンはもっと華やかなのにして」
「姉さま、お客様をお待たせしちゃいけないわ」
「うるさいわね。おチビはお邪魔にならないようにどこかにいってちょうだい。お前みたいな役立たず、我が家の恥なんだから」
姉に追い払われたミルカは、暗い気持ちで屋敷の裏庭に出た。三女のミルカは11才のわりには背が低く体つきも貧弱だった。魔法の素養にも欠けていることから、家では低く見られがちで、身の置き所に困ると、こうして裏庭に出て、庭の花木や馬屋の馬を眺めて過ごしていた。
馬屋の前では見慣れない馬達が水を飲んでいた。一頭の馬の膝や蹄の様子を、使用人っぽい青年がかがんで覗き込んでいる。
お客様の馬ね。怪我をしたのかしら?
遠目に眺めていると、使用人の青年がこちらに気づいて軽く一礼した。
人見知りのミルカが、あわてて逃げようとすると、声をかけられた。
「こちらのお嬢さんだね。お邪魔しています」
思ったより優しい声の調子に振り返ると、人の良さそうな青年はちょっと困ったような照れたような顔をして立っていた。
ちゃんとこのうちの娘として、一人前の相手にするように話かけてもらえたのが嬉しくて、ミルカは青年の方に向き直ると、おずおずと挨拶を返した。
「お出掛けかな?お屋敷の馬に乗るならこの子達は移動させるよ」
「いえ、いいの。見に来ただけだから。私、馬には乗れないわ」
大きな男の人はみんな怖かったが、この青年は不思議と怖くなかった。
「もっと近くで見るかい?」
「いえ、危ないからあまり近づいてはダメって言われているの」
「そうだね。馬は怖がりだから、後ろから急に近づくと驚いて蹴ることがあるから」
「……馬が、私を怖がるの?」
ミルカは不思議に思った。あんなに大きな体の馬がちっぽけな自分を怖がるなんてことがあるんだろうか。
「馬だってよく知らない相手は怖いよ。しかもとっても緊張して警戒している誰かが急に近くによって来たら、どうしていいかわからなくなる」
「あなたも?」
「そうだね。でも、うーん……少しお話をして優しそうな方だと思ったからから、お嬢さんはもう平気かな」
青年はぎこちなく微かに笑った。
ミルカはちょっとほっとした。
この人も私とおんなじなんだわ。
そう思ったら、青年に親近感がわいた。
ミルカはもう少し近くによって、青年が馬の世話をするのを眺めた。
青年は馬の世話が終わると、木陰の石段に座って、本を読み始めた。
ミルカは青年の近くに座った。
「何のご本なの?」
「神様とこの世界についてかかれた本だ」
きれいな姿勢で座って本を開いている青年は、まるで聖堂でお話をする祭司様のようだった。
「あなたは聖堂の人なの?」
「いや。でも神様がどのようにこの世界を創ったのか知ることは、聖職者でなくても大切なことだから、こうして折に触れて学んでいる」
ミルカは青年の横顔を見つめた。
「神様がどのようにこの世界を創ったか……?」
「世界の理を学ぶと、何が善きことで、何が理から外れているのかが分かるようになる」
ミルカは、大人が祭司様に悩み事を相談するように、この青年になら、ずっと不安に思っていたことを尋ねてもいい気がした。本を読む青年のすぐ脇に座り直して、ささやくように尋ねた。
「……魔法って、世界の理から外れた行いなのではないのかしら?私たち、魔法を使っても大丈夫?」
青年は、本から顔を上げてミルカの方を見た。
「お嬢さんは魔法が嫌いなのか」
ミルカはぎゅっと手を握りしめてうつむいた。
「せっかく魔法の才にあふれているのにもったいない」
"才にあふれている"なんて初めて言われたのでびっくりして顔を上げると、青年はこちらに身を乗り出して、眩しい綺麗なものを見るように彼女をじっと見つめていた。
「あっ……でも私……みそっかすで、全然上手く魔術が使えないの」
体の奥まで見透されているような視線に、頭がくらくらしてくる。
「それはお嬢さんが魔法が悪いものだと思っているからじゃないかな。魔法はこの世界の理のひとつだよ。神様が世界を創ったときに、この世界には必要だと思ったから魔法が有るんだ」
青年は低いけれどとても優しい声でそう教えてくれながら、ミルカの頭をそっと撫でた。
「魔術は、人がこの世の魔法という理に従って、なにかをなすための技術なんだろう?君が魔法を怖がっていたら使えない。おいで」
ミルカは青年に手を引かれて立ち上がった。手を引かれるままに繋がれている馬の傍らまで行く。
青年はミルカをそっと抱き上げて、馬に近付いた。
「馬と同じだよ。怖がらずによく理解してちゃんと扱ってやれば、従ってくれる。ほら、撫でてあげて」
ミルカはそっと馬を撫でた。
「……この馬、さっきあなたが脚を見ていた馬ね。どこか怪我をしているの?」
「変な歩き方をしていたから気になっているんだけど、どこが悪いのかわからないんだ」
ミルカは馬の首に手をあてたまま目を閉じた。
「左の前足。蹄より少し上の辺り……」
「えっ」
青年は馬をなだめながら、ミルカが言った場所を確かめた。
「ここだ。毛足に隠れて分かりにくいけど傷が腫れてる」
「お願い。私に治させて。小さな傷なら治せると思うの。やってみたい」
「お願いします」
青年は馬が暴れないようにしながら、ミルカが馬の脚に近づいても大丈夫なようにしてくれた。
神様が、この世界には必要だと思ったから魔法が有る。
『できるよ』
『信じて』
誰かが耳元でささやいてくれた気がした。
馬の怪我を直したミルカを、青年は興奮ぎみに誉めちぎった。
「すごい。素晴らしい。薬もなしであっという間に治すなんて、魔力でこんなことができるとは知らなかった」
ミルカは恥ずかしくて耳が熱くなった。
「でも、私、魔術の炎を飛ばしたりするのは怖くてできないの」
「そんなこと生きていくためにたいして重要じゃない。だが、お嬢さんのこの技術はすごい。君が恐れずにもっと人の身体の仕組みや怪我や病気のことに詳しくなったら、どれだけ素晴らしいことができるかと思うと、もう言葉にならない」
青年は抱き上げたミルカを讃える眼差しで見上げた。
「妖精も君を愛している。自信をもって自分の力を使うといい」
ミルカは血が全部頭に上ってしまったような心持ちでくらくらした。顔が熱くて、胸がドキドキする。
青年の言葉が何度も頭のなかでリフレインした。
旅の騎士達とともに青年が去ったあと、ミルカは青年が読んでいたのと同じ聖典の写本を手に入れた。本はミルカの宝物となった。
馬の治療あたりの会話妖精語入り全文
「お願い。私に治させて。小さな傷なら治せると思うの。やってみたい」
『え?傷って魔法で治せるのか?カップ、キャップ』
『なおせるよー』
『ボクたちもちょっとならできるよー。なおそうか?』
『バカ、ちっちゃい子が頑張ってやってみたいって言ってるだろ。やらしてあげろ』
「お願いします」
『ほら、お前ら、応援してあげろ』
『ボクたちでもできるよ。簡単だよー』
『おーさまを信じてー』
『なんかもうちょっといい応援の仕方はないのか』
この後、やる気を出したミルカがすごい勢いで治したので、3人でめちゃめちゃ誉めた。




