難儀
一度、家に戻って身支度をしてくるというマユーリを送りがてら、川畑は買い出しに出かけた。
黒街ほど混沌としてはいないが、それなりに賑わう通りで買い物を終えた頃には、すっかり日が暮れて暗くなっていた。王都のようにガス燈があるわけでもないので、店や生活の明かりはランプが主流だ。弱いオレンジ色の明かりが届かないところは、墨を流したように真っ暗だった。
入り組んだ街路を抜けて、宿に向かう途中、人気のない暗い路地で川畑は足を止めた。両側に迫った民家の壁の窓の一つから洩れる弱い明かりに、寝そべっている牛が1頭うっすら照らされている。その先に数人の男がたむろしていた。顔はわからないが、どうもこちらを見ているようだ。
「(どこの人だろう?)」
背後からも数人やって来る気配があった。前の奴らの仲間だろうか。出入り口を塞がれた格好だ。
「(雇われたゴロツキかな?プロかな?)」
川畑は牛の隣にしゃがんで、靴紐を整えた。
「よう、ニイチャン。ちょっとツラかしてもら……」
「(プロじゃなかった)」
川畑は牛の尻を蹴飛ばした。驚いて立ち上がった牛の背を踏み台にし、脇の建物のわずかな軒庇や窓の半開きの鎧戸を利用しながら、屋上に上がる。
突進してくる牛を慌てて避けながら怒鳴る男達を尻目に、屋上から屋上へと渡ってその場を後にする。
「(黒街での騒動を知っていて俺にただのゴロツキをあててくるなら、時間稼ぎだろう)」
付き合う必要はないので、さっさとジェラルドのところに帰ることにする。
ここで自分を足止めして、本体がジェラルドのところに行っていると困る。そうでなくても、ジェラルドは自分の都合で夕食の時間が遅れることには無頓着だが、待たされるのは嫌いな質だ。
登ったところは平たい屋上があるところだったが、この街の建物は地元風も宗主国風も伝統も近代もごちゃまぜだ。安い板張りの屋根や、寺院風の古い瓦の屋根を伝って、2ブロック程を斜めに横切れば、どれほど夜目が効くものでも、もう元のところから視線は通らない。そろそろ降りるかと思ったところで、川畑は背後からの飛来物に気づいた。
隣の屋根に飛んだタイミングだったため、とっさに空中で体を捻って躱す。
大屋根に転がると、本来、着地するはずだったところに、クロスボウ用の太矢が刺さった。
「(あれ?プロがいた)」
間髪をいれずに飛んできた2射目も、足止めにしては殺意が高かった。
「(まいったな……どこまでOKだろう)」
愛用の暗視、消音の夜歩きセットを隠密行動レベルに変更。常時発動の認識阻害を弱から強にする。光学迷彩は保留。代わりにターゲットの強調表示を追加。などとちょっとしたアシストを翻訳さんにお願いしながら、川畑はポケットから手袋を取り出してはめた。
「男二人で夜の河を見ても、真っ暗なだけで、なんの面白みもないな」
「はあ、すみません」
宿の部屋のテラスで不貞腐れていたジェラルドは、向かいの席でとりあえず謝るヘルマンに顔をしかめた。
「ヘルマン。君はもう少し図太くなり給え。自分が悪くないことまで謝るな」
「すみません」
「なんだかなー」
ジェラルドは自分のグラスに酒を注いだ。
「君もグラスを取ってこい。部屋のバーカウンターっぽいところにあっただろう」
「いえ、まだ体調が本調子でないので酒精は控えさせていただこうかと……」
「難儀な男だな」
また謝りかけたヘルマンを手で制して、ジェラルドはグラスをあおった。
「茶を淹れさせようと思ってもブレイクの奴は帰ってこないし……まったく。自分が戻るまで出かけるなと言って、自分は女と出かけたっきりってのはどうなんだ」
「女と出かけたって、相手は母親ぐらいの歳なんでしょう?堅物の彼に、そういう言い様は気の毒ですよ」
「あいつが堅物なもんか。むっつりスケベか、そうじゃなくても無自覚タラシだろう。誰彼かまわず世話を焼いて拾ってきやがって」
ヘルマンは、あの従者が”拾ってきた”のに該当するのは、自分と老人なので、単に親切なだけなのでは?と首をひねった。
「まったく。昔の知り合いだかなんだか知らないが、今の主人の僕を蔑ろにするなと切に問いたい」
ヘルマンは、この人も変な人だなと思ってジェラルドを見た。相手は自分の奴隷なのだから、命じればいいだけなのに、好き勝手させた挙げ句に、まるで構ってもらいたい子供のような態度ですねている。
「いっそ鎖でもつけて飼ったほうが楽かな?」
「変ですよ。犬じゃあるまいし」
「犬ほど主に忠義立てしてくれないものなぁ、あのバカ烏。でも檻や鳥籠は持ち歩きに不便だし」
ヘルマンは、小さな鳥籠に手乗りサイズのブレイクが入っているところを想像して、頭を振った。発想がおかしい。
「相当、酔ってますね。そんなに沢山お酒を召されたんですか?」
テーブルの上の酒は、きつい蒸留酒のようだ。
「お水をお持ちしましょう」
「ブレイクが、自分が用意した水以外は飲むなと言ったんだ」
なんで主人が従者の指示に従っているんだ?と思いながら、ヘルマンは水差しを取りに立ち上がった。
「ヘルマン。従者でない君がそんなことまでする必要はない。……ブレイク!さっさと帰ってきて茶を淹れろ!!」
酔ったジェラルドが大声で叫んだとき、何かが上から落ちてきた。
「はい、旦那様。ただいま」
宿坊の屋上からテラスに落ちてきたらしい従者は、目を回している何者かを手早く締め上げながら、通常運行の無表情でそう応えた。
「何だそいつは?!」
「招かれざる客です。襲撃されました」
「ポイしなさい」
「いいんですか?」
「何でも拾って来るんじゃありません」
「そうですか。では」
ブレイクは襲撃犯だという男を、テラスから河にポイっと捨てた。
ドボンと低く水音がした。
「おい、ここ3階……」
慌てるヘルマンをよそに、ブレイクは何事もなかったかのように茶を入れに行った。
これは鎖や籠でなんとかできる奴じゃないと、ジェラルドとヘルマンは諦観した。
ヘルマンさんは、ガーの存在を知りません。




