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家に帰るまでが冒険です  作者: 雲丹屋
第11章 真実の愛が生まれた地で

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浄都

タミルカダルから汽車で13時間。

カーシィ州のヴェナラスは大河のほとりにある河川交通の要衝だ。

亜大陸の北をほぼ横断する長大な恒河が、大きく湾曲する位置にあるこの街は、シダールでは聖なる街として有名であり、多くの人々が沐浴のために訪れることから浄都とも呼ばれる。


沐浴場はガートと呼ばれる石段で、巡礼者の宿坊や富裕層の邸宅などの脇に大小いくつもあった。人々は川底まで続く階段状の石畳を降りて、聖なる流れに身を浸し、水をおしいただき、あるいは頭からかぶり、あるいは口を漱いで、身を清めて太陽に向って祈る。特に日の出に向って祈るのが良いらしく、ガートは皆揃って河の同じ側……河に降りたとき日の出が見える側の岸に作られていた。

夜行列車を降りて、駅から宿に行くための小舟から見る早朝の街は鮮やかに輝いていた。

多様な神殿や彫像が並び、瀟洒な尖塔も頑丈な石壁も壊れかけのバラックも何もかもがごちゃまぜに密集している。全く統一性のない延々と続く混沌は、異様だが壮観だった。


「どの神様を信仰していても、ご利益があるっていうのがすごいな。おおらかというか大雑把というか……」

「聖なる恒河は母の如く寛容かつ包容力に溢れ、乙女の如く清廉にて、万民の罪を等しく洗いたもうと言うのだ。バカもん」

「シダールの人は、死ぬまでに一度はここで沐浴をしたいと思うそうだよ。もちろん他国から訪れる人も多いけれど」

「……私も沐浴して厄落とししたら、もう少し丈夫で健康になれますかね?」

一同は目の下に隈を作った秘書の顔を見た。夜行列車であまり眠れなかったらしい。いかにも胃腸の弱そうな顔だ。

「河に浸かるなら膝までにしておきましょう」

古美術商の老人と、ジェラルドが無責任に賛同する前に、従者のブレイクはヘルマンを止めた。

ちょうど舟の目の前の建物から住人が河に生ゴミを捨て、その脇のガートでは、水葬式の葬儀が行われていた。

透明度ゼロの河水はすべてを飲み込んでゆったりと流れていた。




老人が店を畳んでヴェナラスに巡礼に行くのに同行するという名目で、ジェラルド達は宝石職人の消息を訪ねにこの街に来ていた。くだんの職人はドクターウィステリアに代わりの柘榴石を渡した後、ヴェナラスに向かったという。正直、20年以上も前のことなので、見つけられる可能性は薄かった。しかし、「このまま黒街にいて、また妙なやつに襲われてはかなわん」という老人が、どうせなら死ぬ前に一度ヴェナラスに行きたいと言い出したので、観光がてらやってきたのだ。そういう意味では、巡礼&観光と人探しのどちらが建前かはわからない節はあった。


ちなみに、ヴァイオレット嬢はタミルカダルの富豪のヴィジャイ氏の家に引き続き滞在中であとから合流予定だ。

ヴェナラスでは富豪が所有する宿坊に滞在させてもらうことになったが、シダール風に男女別棟のところなので、彼女のための女性の召使いや護衛を手配してやるから、それからにしろとヴィジャイ氏に言われたのだ。たしかに襲撃される不安があるとき彼女を一人にするのは問題がある。

「でも、彼女を囲い込んで返さないのは単にあのスケベ面の色黒男の下心だ」とはジェラルドの談である。同族嫌悪とはこのことかと川畑は感心した。




眠そうなヘルマンを宿に残し、沐浴に行くという古美術商と別れて、ジェラルドは従者とともに街に出かけた。

建物は混み合っていて街路は狭い。人が二人並べば、もういっぱいという幅の道がほとんどである。おまけにその狭い道に時々、牛がいた。

「野良牛ですかね?」

「違うんじゃないかな。でも、邪魔だよね。牛はヴェナラスでは尊ばれているから邪険にもできないし」

なんでも恒河の源流は巨大な氷塊で、牛の姿をしているという。

「だから聖なる流れと同じように、牛の乳や肉も尊ばれるらしいよ」

「あ、食べていいんですか」

「名物だよ」

見れば、食堂らしきところに牛の看板があった。

「そこら辺の牛って、取って食われたりしないんでしょうか」

「よくそんな酷い発想ができるもんだなぁ。正当な所有者の許可を得ずに殺したり、他人に殺させたりしたら穢れるし、そんな不当な方法で得たものは呪われるから、誰もやらないよ」

「なるほど」

ヴェナラスで他人の牛を盗むのは、普通の人はもちろん悪人でも考え付きもしない程、非常識で”罰当たり”な行為らしい。




川畑の元の世界である現代地球的な感覚と、この世界の宗教の感覚はだいぶ違うようだった。

ヴェナラスには色々な神の神殿があった。一つの敷地に複数の神が祀られているところも多い。

そのように神は複数いるが、根本的に異なる宗教というのは存在せず、多神教が一つあるだけ。一神教という概念は存在しないし、神話体系が異なる神や、架空の神という概念が理解できない感じすらあった。

そして、食習慣に関する禁忌どころか、そもそも宗教的な禁忌自体がほとんどないらしい。神によっては”記憶を失う程酒を飲まない”とかいうたぐいのゆるい節制の教えはあるそうだが、基本的に自由だという。

「神は食事を必要としないし、人みたいな生活をしないから、ルールを決めるほど興味がないんだと思うよ」

と、ジェラルドは評した。


「神々は神々のルールで人を裁くから、人は人のルールで人を裁くだけで良い。人が神のルールで人を裁くのは、神から指示があったときだけだ。そんなときだって、神はただの人ではなく自分に親しい眷属を使うことのほうが多い。だから、神の禁忌というものは人の日常生活なんかには出てこないものなのさ」

ジェラルドや、神殿にいた人達の話を聞く限り、宗教戒律でモラルやコンプライアンスを規定する発想は、この世界の人にはなかった。


神々自身も善悪がはっきりしているわけでもなく、論理的な行動規範で道徳的に振る舞う存在ではないらしい。

善神と悪神が対立するタイプではなく、ギリシャ神話や八百万の神のような、なんとなくいろんな性質の神がいるパターンだ。

国教だの民族固有の神というものも基本的にはなく、王国でもシダールでも、神のバリエーションは同じ。ただし、お国柄や風土によって神殿や神像の装飾は様式が異なるのか、ジェラルドは色々な神殿を見て回って、「原色!」「なぜムチムチ?」「まさかの金ピカ」と大受けしていた。




「それっぽい女神像はないですね」

「当たり前だ。こんなところで普通に祀られているなら、秘教扱いされない」

ジェラルドは苦笑いした。

「昔は王にも加護を与え信仰された古い由緒ある神だが、今は知るものも稀だ」

「なぜ、そんなことに?」

「狩られたからさ」

ジェラルドはガートの向こうに光る川面を見ながら、そっけない口調で言った。

「今、この辺りの神殿に祀られている神々の眷属は、互いに他の神の眷属と交わって血を混ぜることを選んでね。そのせいで今はどこの神殿に行っても生粋の眷属なんてお目にかかれない。その代わりどこの国のどんな人でも、親族の信仰に関わらず、突然、ある神の信徒になるし、改宗したり、複数の神を奉じることもできる」

ただし、どこの神に属する眷属でも、それほど大きな違いはないし、力も弱い。

「古の女神の眷属は違ったんですね」

「他と交わるのを良しとせずに、かなり特殊で厳格な契約で血族を残していたようでね。その一族の血は、薄まらなかったが広まらなかった」

そして超常の能力を有し続けた。

「それで狩られて、さらに数が減ったんですか」

「そうもなるよなって感じだけど。当事者はたまったもんじゃなかったろうね」

ジェラルドは青い目を河の流れに向けたまま、まるっきり他人事の言い様で呟いた。

「ただ、最近は科学だ技術だと、派手に目を引く力が現れたせいで、神々を深く信仰する人自体が減っているから、他の神々だってこれからどんどん求心力を失っていくと思うよ」

「そんなことになって、この世界は大丈夫なんでしょうかね?」

「さあ?それは神のみぞ知るところじゃないか?」


神々は知らなくても、時空監査局は知っていそうだと、川畑は思った。

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