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家に帰るまでが冒険です  作者: 雲丹屋
第10章 太陽の炎が消えた時

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Intermission

「(川畑くんに会いたい)」


会えなくなって、まだほんの少ししか経っていないのに、ノリコは深刻な禁断症状に見舞われていた。丸一日べったり川畑と一緒に過ごす記憶を、毎夜毎夜、偽体から送られていた日々は、忘れるには濃厚すぎた。


窓から見える隣家の百日紅の花も暑さで元気がないように見える。

自室で勉強していたノリコは、課題を解くのを諦めて、ペンを置いた。開いてはいるものの遅々として進まない課題は、全然、身になっていない。これでは単なる時間の浪費である。

「(川畑くんに教えるためなら、いくらでも覚えられたのになぁ)」

ノリコは幸せだった記憶を反芻した。


異世界の男子寮や宇宙豪華客船という非常識な空間で、好きな人と二人っきりで毎日やったのが、高校の授業内容の勉強会というのも色気のない話だが、それでも嬉しかった。なにせ川畑は元の普通の世界の受験対策知識に飢えていたから、ノリコの教える内容をそれはもう真剣に聞いてくれたのだ。

彼は感性はちょっと人と違うところがあるが、地頭は良いので、覚えもいいし質問も鋭い。テキストの持ち込みができない状況で、迂闊な理解度では教える側として太刀打ちできないので、ノリコは必死に勉強したものだった。


「(ご褒美がないと責務が果たせない人間にはなりたくないんだけど……)」

それでも、好きな人の真剣な顔を間近で見られて、「なるほど」「わかりやすい」「ありがとう」と言ってもらえるご褒美があるのとないのでは、モチベーションはかなり違う。

「(時空監査官の次の課題まだかな)」

このまま川畑に会えない日々が続くと干からびそうだとノリコは机の上に置いた写真立てを眺めた。


「やあ、こんにちは」

祈りが届いた訳ではないだろうが、ひょっこりと帽子の男が顔を出した。

「ノリコさん、お暇そうですね。小課題やりませんか?」

先日、思わぬトラブルで中断することになった時空監査官採用課題の追試分はまだ調整中だが、それとは別に適性試験の小課題がいくつかあるという。


「川畑くんに会える?」

ノリコは身を乗り出して尋ねた。

「えーっと、そうですね。今回の小課題は被験者の知人の協力が必要なので、それを川畑さんにやってもらうことにすれば会えますよ。そうしますか?」

「ぜひそれでお願いします!」

食い気味に答えたノリコは、その後、小課題の内容を聞いて、頭を抱えた。




「本当に、こんな格好で川畑くんのところに行って、こんなセリフをいうの?」

ノリコは逃げ出したい気持ちになった。が、すでに衣装を着た偽体に入って準備用の空間にいるので、逃げるに逃げられない。

「時空監査官は、現地での潜入業務中に自分とは異なるキャラクターの人物を演じる必要があることもありますからね。同僚などの知人の前でも与えられた役割をきちんとこなせるかどうかというのは重要なファクターです」

「それにしてももうちょっとマシな選択は……」

「えー?ダメですか?条件的には結構いい選択だと思いますが」


被験者の世界の風俗に準拠し、被験者に知識がある人物像で、かつ、絶対に被験者は自発的には行わないであろう行動を取る個性の役割を演じること。役のシチュエーションは、できるだけ被験者の実生活時点の時節、気分などから遠いものを選択することが望ましいが、被験者に似合わない不自然な役は割り当ててはいけない。


「この条件ならこれでしょう。季節感は真逆で、浮かれた格好で、ノリコさんは絶対に自分からは着なさそうだけど似合ってます」

「ううう、恥ずかしいし、やりたくない……」

「まさにそういうことをやらせて、できるかどうかを試す試験なので諦めてください」

代案はこれですと言ってボンテージと網タイツを提示されたノリコは、大人しく最初の案を承諾した。


「私はノリコじゃなくて、この役ですって言って、川畑さんを言いくるめられたら合格です」

「このバカバカしい設定で、あの川畑くんを言いくるめるって、無理すぎない?」

「ん~。それもそうですね」

帽子の男は、人差し指で自分の鼻をトントンと叩きながらしばし考え込み、「ひらめいた!」と無邪気に叫んだ。

「暗示にかかりやすくするアイテムがあります。事前にそれを使って川畑さんを人並みに丸め込みやすくさせておきましょう」

「それは……大丈夫なの?」

ノリコは不安そうに尋ねた。

「もちろんです。古龍(エンシェントドラゴン)を丸め込んだ実績もある効果バツグンの品ですから安心してください。なんなら濃い目に使っておきましょう」

びっくりするほど不安は解消されなかった。

「大丈夫。川畑さんって意外と勢いで押し切れます。音声遮断と人避けの結界発生装置も強力版をサービスしますから、思い切って行ってきてください」

寮生活でお世話になったものよりひと回り大きな黄色いアヒルのオモチャ(人避け結界発生装置)を手に、ノリコはなんとも複雑な気持ちで足元に開いた穴を見下ろした。




穴を抜けて出た先は飾り気のない狭苦しい小部屋だった。壁は金属製で小さな丸い窓がある。なんとなく揺れているので、大きな船かなにかの中なのかもしれない。窓からかすかに入る月光らしき明かりは、作り付けで幅の狭い寝台に横になった人物をうっすらと照らしていた。

「(うわぁ。寝ている川畑くんだ)」

ノリコはちょっと感動した。

あれだけ同室で暮らしていたのに、夜間はメンテナンスモードに入る偽体の仕様のせいで、ノリコは川畑が眠っているところをほとんど見たことがなかったのだ。

「(やっぱりカッコいいなー。これこのまま寝顔見てるだけってダメかな。うーん、でも声も聞きたいな……川畑くん、声もすっごく良いんだよね……)」

ノリコはしばらくの間、”個人の感想です”と注意書きを入れても人様にはお見せできないような益体もないことをあれこれ考えながら、眠る川畑の姿を堪能した。


「(とはいえ、このままでは課題が達成できないな。やるしかないか)」

ふと見れば、川畑の枕元には怪しげな小さな香炉らしきものが置いてある。これがきっとドラゴンもイチコロだったという例のアレだろう。

ノリコは気を引き締めて、支給された小道具のプラカードを握りしめた。

川畑を言いくるめて、自分の話を信じさせた挙げ句”ドッキリ大成功☆”と書かれたこのアホなプラカードを出せばミッションコンプリートだ。


「(イヤすぎる……)」

ノリコはいつでも取り出せるように、寝台の脇に隠すようにして、そっとプラカードを立てかけた。

「(でもこれは課題だから)」

ノリコは割り切った。

「(よし。やるぞ)」

ノリコはポケットから小さな球状のアイテムを掴み出しでスイッチをオンにして空中に浮かべた。それはミラーボールのようにあたりに賑やかな明かりを撒き散らした。




「起きて、起きて」

ノリコは眠る川畑を揺り起こした。川畑はボンヤリと顔を彼女の方に向けて、光球の眩しさに目を細めた。

「ハーイ!ねぼすけさん、おまたせ!!」

「え?のりこ??」

寝ぼけているのか川畑は戸惑ったように不明瞭に呟いた。

「なんで()()()()()()()?」

「それは私がクリスマスの精霊だからだよ!今日は良い子の君にプレゼントを持ってきたんだ!やったね」

この台本と衣装を用意したやつの首を掴んでガクガク揺さぶりたいとノリコは真剣に思った。

「……君の学校、ミッション系でそういうなんちゃってクリスマスNGじゃなかった?監査官の採用試験の一環?」

そのとおりです!

ノリコは起き抜けなのに的確なツッコミに泣きそうだった。

「アハ。なんのことかな?精霊には試験も学校もないからなんのことかなわっかんないなー」

脳が溶けそうな想定応答例文を答えながら、ノリコはこうなったら勢いで押し切ろうと思った。


「それにしてもクリスマスってどういうことだ。そっちはもうそんなに時間が経っているのか?いや、俺もいろいろしているけれど、同時性は別時空で意味がないだろう。そんなに先の時点ののりこと因果が発生すると、その間ののりこに会えなくなるから、困るんだが……」

「深く考えちゃダメーっ!!」

小難しい事を言いながら身を起こしかけた川畑の肩を、ノリコは寝台に押し付けた。

「これは夢です。夢だからいろいろ変だけど気にしないでください。そして私はクリスマスの精霊です!」

「お、おう……」

「わかりましたか?わかりましたね。私はクリスマスの精霊」

「クリスマスの精霊?ディケンズ?」

「スクルージさんは関係ありません」

ノリコは眉間に力を入れて、ぐいっと川畑に顔を近づけ、凄んだ。

「……了解です」

「私の姿がこのように見えているのは、あなたがそう望んだからです。私はあなたにプレゼントを届けに来たクリスマスの精霊だから、それでちっとも変じゃないのです」

ノリコは自分でもまったく理解できない謎理論を一気にまくし立てた。


「だって夢だし!」

「夢……そういえばDの奴が、睡眠を取らないと体に悪いから、安眠できていい夢を見られるアロマを試してみろとかなんとか言って、怪しいもんを置いていったような……」

「いい夢が見られて良かったですね!」

ノリコはヤケになって叫んだ。ドラゴンでも丸め込めるはずの薬なら、もう少し効いて欲しい。


「夢か……」

「そうそう」

「夢ねぇ……のりこがミニスカサンタで現れる夢?」

川畑はノリコをあらためてじっくり上から下まで2周見た。ノリコは恥ずかしくて逃げ出したかった。どう考えても理性と節度を重んじる川畑がこんなアホな夢を見るはずがない。

課題失敗でいいからここは素直に事情を話して謝って、これ以上軽蔑されるようなマネを重ねるのはやめよう。

ノリコがそう決心したとき、川畑はポツリと言った。


「やべぇな。俺の妄想」


「え……?」

「プレゼントってなに?」

「え?ああ、プレゼント?えーっと」

ノリコはそういえばプラカードとアヒル隊長ぐらいしか持ってこなかったなと思って焦った。それらはどちらも寝台の上の川畑からは見えないところに隠して置いたし、光球は上でキラキラしている。

「あれ?私、手ぶらですね」

目の前でオタオタするノリコを見て、川畑はうっすらと笑った。

「我ながら欲望に正直すぎる夢で笑う」

「はい?」

川畑は、普段ノリコがちょっと見たことがないような顔で、どことなく悪い感じの笑みを深くした。

「精霊さん」

「何でしょう?」

「プレゼントありがとう」

「どういたしまして?」

「ありがたくいただきます」

川畑は自分の肩に手をついて、上から覗き込むようにしていたいたノリコの体を、ぐっと抱き寄せた。


寝台脇に立てかけられていた”ドッキリ大成功☆”のプラカードがパタリと倒れた。







「すみません。ノリコさん。偽体のエラーで試験時の記憶のフィードバックはできないそうです」

帽子の男は申し訳無さそうに、頭を下げた。当然、課題も非達成である。

「そうなんだ。残念だったな……課題はともかく、川畑くんに会いたかった」

「それはまたそのうちということで」

彼の話では、暗示をかけやすくするために使った薬の影響か、川畑が想定外の行動に出た上に、偽体にもエラーが発生したという。

「やっぱり小細工はしちゃだめなんだよ」

ノリコはしゅんとしおれた。そんな彼女を元気づけるためか、たんに天然かわからないが、帽子の男は陽気で呑気な口調で「そうそう」と切り出した。

「おわびというわけでもないですけれど、これをどうぞ。川畑さんとペアの手帳です」

おそろいのもう一つを川畑に渡したと帽子の男は説明した。

「ここのページに書き込んだ内容は、相手の手帳に表示されます」

同時性はないのでリアルタイムでの会話は難しいが、いつ届くかわからなくていいならメッセージ程度のやり取りはできると、彼は手帳の中ほどのページを開いた。

「相手が書いた文字はこうするとここで読めます」

そこには川畑の文字が書かれていた。


”ごめん。本物の君に会いたい”


「私もだよ」

ノリコは手帳の文字をそっと撫でた

メリークリスマス

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