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家に帰るまでが冒険です  作者: 雲丹屋
第10章 太陽の炎が消えた時

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安否

「とにかく、ご無事で何よりでした」

胃腸の弱そうな秘書は、しみじみと頭を下げた。

「心配しすぎだ。ちょっと散歩に出かけたようなものだよ」

ジェラルドは船室のソファーで悠々と新聞を広げた。半泣きで騒いだ過去はあっさり棚に上げたらしい。


なんとか無事に戻った一行を乗せて、ドライトンベイをたった船は一路、シダールへ向かっていた。

「やっぱり新聞にも載ってない」

騒ぎの翌朝、乗船前に入手した新聞には、事件については何も書かれていなかった。

ジェラルドはニヤニヤしながら、新聞を畳んで、テーブルの上に放り出した。

「昨日の今朝では、まともな記事は載らなくて当たり前ですが、祭りの記事はあるのに、なんの言及もないのは不思議ですね。記者が間に合わなくて、記事が没になったんでしょうか?あんなに大騒ぎだったのに」

秘書のヘルマンは、新聞を手に取って首を捻った。




ジェラルドを乗せた飛行機が飛び立ち、アイリーン達が物凄い勢いで車で走り去った後、現場は大混乱だった。

何やら強面の男達がいっぱい来て、群衆の統制と事実関係の捜査を始めたが、ヘルマンはそんな厄介そうな相手に捕まらないうちに、ヴァイオレット嬢を連れて、さっさとその場を立ち去っていた。警察だか軍だか知らないが、ベルトもタイも抜かれた状態で、拘束されて長々と尋問されてはたまらない。


ヘルマンは、群衆にまぎれてその場を離れて、祭り会場を出たところで辻馬車をひろった。商店の多い繁華街へと告げて、人通りの多いメインストリートで馬車を降りると、そのまま馬車が行ってしまうまでゆったりと歩く。

ベルトがないので、ズボンがずり落ちないか心配でゆっくり歩いていただけだったが、不審に思われずに人混みに紛れるのには良い行動だった。

手頃な店で無難なベルトとタイを購入し、ようやく人心地ついた彼は、手軽に食べられる食料品を買ってきてくれたヴァイオレット嬢と落ち合ってから、馬車で宿に向かった。


宿は今夜泊まるために予め手配してもらっていたところで、船から着替えなどの荷物も届けてもらっている。ジェラルド達も戻ったら、ここに来るだろう。何も寒空の下、鬱陶しい連中に囲まれて待つ必要はない。飛び出していった連中と違って、どのみち待つ以外に何ができるというわけでもないのだ。

怖い思いをして不安そうな様子だったヴァイオレット嬢には、軽く食事を取らせて落ち着かせた。あとは自分に任せてひとまず寝室で休むようにいうと、彼女はおとなしく了承してくれた。

ヘルマンは、徹夜で待つことを覚悟して、ポットいっぱいのコーヒーを用意した。


はたして、ジェラルド達は何食わぬ顔であっさりと帰ってきた。

「ああ、疲れた。お腹がぺこぺこだ」

というジェラルドに、用意しておいた軽食を出せば、彼は美味しそうにそれを平らげた。

「塩味のブリオッシュで作ったサンドイッチって、なかなかいけるね。山羊のチーズのやつも、サラミとオリーブのやつも旨いよ」

彼は怪我もなく上機嫌で、とても逃走犯の人質となって飛行機で連れ去られたところを救出されたばかりのようには見えなかった。

「面倒事に巻き込まれずにここでこうして待っていてくれて助かったよ」

逆に安否を気遣われて、拍子抜けしたヘルマンは、そのまま気が抜けてぶっ倒れたのだった。




「あそこで君が倒れたのには驚かされたよ」

「ご迷惑をおかけしました」

「君はもっと気楽に図太く生きられるようにならないとね」

ジェラルドは、恐縮するヘルマンを笑い飛ばした。テーブルにお茶の用意をしていた従者は、控えめにコメントした。

「それでも、気を張る必要がある間は、落ち着いてきちんと対処できる強さは立派だと思いますよ」

ジェラルドはちょっとムッとした様子で傍らの従者を見上げた。トラブルの最中に散々大騒ぎした覚えがあるので、皮肉られたように感じたのだ。

従者は別段その視線に反応するでもなく、きれいな所作で茶器を並べた。

「カップは2つ?お嬢さん方は今日はお茶に来ないのかい」

「はい。御婦人向けの詩の朗読会があるそうです」

ヘルマンは菓子皿に甘味ではなくナッツが盛られているのを見て、なるほどと思った。


「そういえば、アドラーさんはあの後どうしていたんだい?」

ヘルマンは、茶を注ぐ従者に尋ねた。

「彼女は先にお戻りになっておいででした」

「ヘルマン。君は寝込んでいたから、昨夜のことは知らなかったね。彼女の安否は昨日のうちにブレイクに確認に行ってもらっていたんだ」

ジェラルドは、アイリーンが展示車をジャックして暴走したことは知らなかったので、気楽に言った。

「そうか……今更思い出したように尋ねるのもなんではあるのだけど、ご無事だったかい?その……後始末とか」

ヘルマンはいささか心配そうな顔をした。

「ええ。面倒事の始末は旦那様の護衛の方に任せたと仰っていましたよ」

「護衛?」

「何で彼女が僕の護衛のことを知っているんだ」

従者は「ああ」と言って、訂正した。

「彼女は、相手が旦那様の護衛だとは知らなかったそうです。ただ、私とパイロットさんを飛行機のところまで連れて行ったあとで、船で見た覚えのある人物がやってきて、旦那様の行方の手がかりを尋ねたので、知っている範囲のことを教えて後を頼んだと仰っていました」

「船で見た覚えがあるって?」

「あの鷲鼻の方です」

ヘルマンはシダール風呂のときに後から来た客のことを思い出した。そういえばデッキや食堂などでも、度々、見かけた気がする。

「あの方、護衛チームのリーダーですよね?北に向かったと言ったら車ですっ飛んでいったそうです。今朝は船に戻ってきていなかったから、旦那様を救出するために国境付近まで行ってくださったのかもしれないですね。今度あったらまたアップルパイを差し入れしておきます」

ジェラルドとヘルマンは、苦いものを飲んだような顔をした。

「なにはともあれ……彼女が妙な厄介事に巻き込まれなくて良かったよ」

「そうですね……」

ヘルマンとジェラルドの間で、従者は黙って一礼した。




「さっきの話だけれどさ」

気を取り直してお茶を楽しんでいたジェラルドは、唐突に切り出した。

「騒ぎが新聞に載っていなかったのは、記者のせいじゃないよ」

「どういうことです?」

不思議そうな顔のヘルマンに、ジェラルドは内ポケットから数枚の書類を差し出した。

「軍の介入だね。あの男は軍の機密情報だかなんだかを持ち出したみたいだ」

渡された書類に目を通しかけていたヘルマンは、慌てて書類を伏せた。

「何を持ってきちゃってるんですか?!」

「いやぁ、だって暇だったし」

盗品の鞄と人質を無配慮に後部座席に放り込んだ犯人が悪いと、ジェラルドは言い切った。

「私のベルトで縛られていませんでしたか?」

「ゆるゆるだったぞ。うまい具合に偽装して縛ってくれてありがたかった」

ヘルマンは困惑気味に「どういたしまして」とだけ返した。

「……あの鞄、鍵付きでしたよね」

「3桁のダイヤル式だろ。あれくらいすぐに開くよ」

従者は特にコメントは返さず、テーブルに伏せられた書類を手に取った。

「地図と、設計図と、論文か報告書の一部ですね。全部半端な中抜きで1枚ずつですが」

「風で飛びそうだったから、鞄はすぐに閉めたんだ。これはその時に外にはみ出したやつさ」

鞄の端でシワをつけてしまったから、鞄を開けたことがバレないように、そっと抜き取ってポケットにしまったのだという。

「推測ですが……残りの鞄の中身を検めた者は”よりによって大事な部分がない”と思うんじゃないでしょうか」

「女神様が、悪漢の手に重要書類が渡らないよう、僕に託されたんじゃないかな?」

ジェラルドは天使のような微笑みを浮かべた。

従者は細かい文字で埋まった書面をざっと見終わると、得意げなジェラルドを見下ろした。

「それが良いかどうかはともかく、たしかに旦那様は女神様のご寵愛を受けていらっしゃるようですね。ここで言及されている大鴉の血(レイブンブラッド)とは、赤いアダマスのことでしょうから」

「モテる男はつらいね」

ジェラルドは肩をすくめ、ヘルマンは腹を押さえて突っ伏した。




川畑が自分の部屋に戻るまでには、まだまだかかるようだった。

次回、シダール編。(章分けました)

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