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家に帰るまでが冒険です  作者: 雲丹屋
第10章 太陽の炎が消えた時

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再会

「旦那様、ご無事ですか」

「(いやいや!無事じゃないよっ)」

ジェラルドは猿轡を外していなくて良かったと思った。そうでなければ確実に悲鳴をあげていただろう。

彼の従者は、手早くパイロットの銃を取り上げて、抵抗するところを軽く制圧してから、ひょいっと身軽に後部席までやってきた。


お前の居るところだけ地上と同じなのっっ?!と聞きたくなるくらい普通に機体の上にいる従者は、片膝をついてジェラルドに手を差し伸べた。

「墜ちる前に出ましょう」

「(いやいやいやいや!もう落ちてるよね?絶賛、落下中だよね?!)」

後部席に沈み込んで、機体の内壁に手足を突っ張っていたジェラルドは、開口部から見える空と地面が現在進行系でぐるぐる回っていて、しかも地面がみるみる近づいているという事実に泣きそうだった。


従者は仔細構わず、ジェラルドを引っ張り出して、抱きかかえた。

その時、体にかかる重みと風の向きが変わった。ほぼ墜落していた機体が安定し、機首が持ち上がって水平飛行に転じる。パイロットが意識を取り戻したらしい。

がっしり抱きかかえられていたジェラルドは脚を踏ん張ることも、どこかに捕まることもできなかったが、もし抱えられていなかったら、急な変化に体が機体に叩きつけられた挙げ句、空中に放り出されていただろう。

「(わー、何だこのホールド力)」

彼の従者は、成人男性一人抱えているとは思えない安定感で体勢を維持した。ジェラルドはこの際、恥も外聞も気にせず、従者にしっかりしがみついた。どう考えても今の状況では、これが一番頼りになる命綱だ。


「男に抱きつかれても嬉しくないですが、しっかり掴まっていてください」

従者はジェラルドを片手で支え、もう片方の手で上方の主翼を掴んで後方に身を乗り出した。

群青色の複葉機が近くを飛んでいる。

地上には点々と小さな湖が見え、大きくうねった河が流れている。湖沼地帯だ。

「この高度でパラシュートって大丈夫なのかなぁ。最悪、水に落ちれば多少はなんとかなるか」

何やら不穏なことを呟いている従者に、ジェラルドは猿轡をした状態で可能な限りの声で訴えた。

「んー!んんんーっ!」

「はい?後ろ?」

振り返りざまに従者は、思い切り体を捻って仰け反った。

ジェラルドの頭の後ろをゴツい靴がかすめた。

「ん〜っっ!!」

従者は狭い機体の上でたたらを踏んで、2発目の蹴りを入れてきた黒コートの男と、位置を入れ替わった。

「旦那様、操縦桿、頼みます」

「んんっ?!」

従者はジェラルドをぽいっと操縦席に放り込んだ。

「んん、んんんー!」

無茶、言うな!と文句を言いながら、ジェラルドは操縦席に座った。ベルトで下げていた鞄が背中と腰に当たって痛い。捨てようかとも思ったが、貴重品や機密書類だとまずいので、ベルトを外して抱え直す。ゴソゴソした拍子に鞄が操縦桿に当たって機体が傾いた。ジェラルドは慌てて、とりあえず操縦桿を握った。まともに操縦できる気は全然しないが、操縦席が無人の飛行機の翼の上にいるより、操縦席で自分で操縦桿を握っている方が、多少はマシな気がした。




川畑は、黒コートの男が仕掛けてきた足払いを、主翼を掴んで避けた。

浮いた足を掴んでくる手を蹴り払おうとするが、逆の手で横から払われて、体勢が乱れる。不安定ながら着地したところに、すかさず低い位置から蹴りが来る。

強い。

単に攻撃が素早いとか、威力が凄いというわけではなく、攻撃がいやらしく上手い。

嫌なタイミングで嫌な手を連続で使って来るので、一つ一つはたいしたことない攻撃なのに、防戦一方で翻弄されてしまう。足場が悪くて、気を使うことが多い状況ではどうにもやりにくい相手だった。

川畑は強引に踏み込んで、相手の胸ぐらを掴んだ。

無理やり引き寄せて、有無を言わさず機体後部に押し付けるように組み伏せる。

至近距離で対面する形になったとき、一瞬、男の動きが止まった。


「マーリード?」

「……ジン」


動揺がそのまま風になったような突風にあおられて、機体が激しく傾いた。

川畑は振り落とされないよう機体に身を伏せた。耳元で「生きてやがったか」という呟きが聞こえた。ハッとしたときにはもう、男はするりと拘束から抜け出していた。川畑は急いで手を伸ばしたが、引き戻すことはできなかった。

男は、機体前方に抜けると、操縦席で悪戦苦闘しているジェラルドの抱えていた鞄を取り上げた。

「んーっ!」

「旦那様!」

黒コートを着た男……鉱山で川畑の面倒を見てくれていた鉱夫のジンは、振り返って川畑を見た。

なんで?も、どうして?も、喉に詰まって口から出なかった。

川畑は一瞬、次の行動を迷った。

ジンはニヤリと笑って、虚空に身を躍らせた。




「ブレイク!助けて!!」

ジンの後を追って飛び降りかけていた川畑は、猿轡を外したジェラルドの叫び声でギリギリ踏みとどまった。

「(いかん。優先順位を間違えるな。今の仕事は彼の護衛だ)」

自分から飛び降りたなら、無事に着地する勝算はあるはずだ。自殺する男ではない。

「(気にはなるが、私情より任務を優先せねば)」

ジンを助けるために自分が飛び降りたら、この飛行機は墜ちて、ジェラルドは助からない。川畑は気を取り直して並列思考を整理し直した。


自分の星輝体領域に展開していたアトモスの属性術式を再確認し、機体周辺の気流を不自然にならない程度にコントロールする。自分が上に立っているせいで生じる抵抗や乱流の影響をできるだけ少なくして、周囲の風を飛びやすいものに安定させてやれば、素人のジェラルドでも水平飛行ぐらいはできるはずだ。

知覚可能域の下の方で、パラシュートが開くのがわかって、川畑はホッとした。ついそちらにまで干渉しそうになって、川畑は慌ててこの世界の3次元断面への星輝体の接触範囲を縮小した。能動的な影響範囲はできるだけ小さく、目立たないようにしないと、この世界の主達に目をつけられるからだ。

「(パッシブなら、まぁ、視野半径内ぐらいはいっか)」

川畑はジンの件は意識の隅に追いやって、ジェラルドのサポートに専念することにした。


「旦那様、ゆっくり旋回して、もとの会場まで飛んで帰りましょう。できそうですか?」

後部座席に滑り込みながら声をかけたら、ジェラルドは涙目で振り返った。

「無理だ」

「旦那様ならできます。頑張れ」

あまり心のこもっていない激励に、ジェラルドは首を振った。

「ダメだ。燃料がもうない」

「なるほど」

操縦席の前の燃料計と思しきメーターは限りなく0に近い値を示していた。

川畑にとっては、航空機の上から見渡す限りの範囲を知覚領域にして、任意のターゲットの位置情報をトレースするぐらいは、意識の隅っこでできる些事です。

……常識人の伊吹風紀委員長あたりが聞いたら、「んなわけあるかバカ」と怒りそうですが。


判断基準が、木星サイズ(地球半径の10倍以上)の巨大ガス惑星のジェット気流を操って、超高速の宇宙船の航行を管理するのに比べれば……なのでしょうがない。

ちなみに彼はなんでもないときでも、周囲の物質や魔力の状態を五感以外の知覚で認識しています。日常的に扱う情報量が馬鹿みたいに多いと帽子の男に嘆かれるのはそのせい。

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