飛行士
複葉機のパイロット、スティーブン・ジョーンズは、予定通り無理のない無難な技をいくつか披露して、臨時滑走路に着陸した。祭りの主催者が用意した機体は、派手なペイントで飾りがいっぱいついていたが、そこそこの性能で、それなりに飛ばしやすかった。
海軍の未使用乾ドック脇にある資材置き場を片付けただけの滑走路をゆっくりと回って、祭りの会場の近くに戻る。
たしかこのあとはこの機体も”花車”として展示すると言われている。
車じゃないぞ、とは思うが、クライアントに噛み付いてもしょうがない。一流ではなくなった自分を雇ってくれる相手に、いけ高に振る舞うような真似はできなかった。
フェンスの向こうで、キラキラした目で飛行機を眺めている子供達に、こんなもんじゃないんだ、と言いたかったが、それもまた言ってもせんのないことだ。
会場にいるはずの主催者のところに行こうとしたスティーブンは、ゴーグルを外しながら、ふと、子供達に混じってとんでもない美人が熱心に飛行機を見ているのに気がついた。
彼女はどこかのお嬢様なのだろう。上品な服装で脇に従者を連れていた。普段は楚々とした美女なのだろうが、今は頬をやや高調させて熱っぽい目で飛行機と……彼を見ている。
スティーブンはちょっと緊張して、でもそれを表に出さないように気をつけながら、何気ない風を装って、彼女の方に歩いていった。会場に用があるのだから、別にそちらに向かって歩くのは当たり前だ。
パイロットなどしているとそれなりにモテはしたが、生まれが下町で口下手なスティーブンは、付き合って楽しい男ではないらしい。特に事故以降は無意識に僻みや引け目が態度に出るせいか、近頃はめっきり女っ気と縁がなかった。
それを差し引いても、これ程美人のお嬢様に憧れの眼差しで見つめられる機会なんてそうそうはない。彼は少し浮ついた気分で彼女の前まで行って声をかけた。
「やぁ、楽しんでい……」
「ねぇ!あの機体、木製半張殻構造ね。エンジンはなん馬力?相当重いの?重心バランスがやや前よりよね。あの木材の強度ってどれくらいの加速に耐えられるの」
怒涛の質問にスティーブンは青灰色の目を白黒させた。
「220馬力のエンジンを左右2本のエンジン架で支えている。総重量は3500。エンジンだけなら800程だ。こいつは借り物なんで強度の数値までは知らんが、最高時速は170k、上昇率は毎分で120」
「おおぉ」
お嬢様、となぜか従者も、感嘆の声を上げる。こんな数値を聞いて面白いんだろうかと思いつつスペックやら構造やらの説明をしていたスティーブンは、つい「近くで見てみるか?」と言ってしまった。
「複座式……ということは、もしかしてお願いすれば、乗せて飛んでもらえたりするのかしら?」
スティーブンを質問攻めにしていた彼女は、キラキラと瞳を輝かせながら、期待でいっぱいの表情でスティーブンに尋ねた。
数値と専門用語と機械屋、飛行機屋のスラングしか話せないのに、こんなに熱心に話を聞いてくれて、些細なことにいちいち感動してくれる女性なんて、存在するとすら思ったことがなかった。スティーブンは完全に彼女の虜になっていた。
「これは借り物で、このあとは展示だと言われているから……」
それでもそこは流石に職業上、断らざるを得ないと判断できる程度には冷静だった。
が、このまま別れるのはいかにも惜しい。スティーブンは上手くすればもう少し彼女と一緒にいる時間が増やせる可能性を思いついた。
「でも、このすぐ近くにある格納庫に、俺の飛行機があるんだ。そっちなら載せてやってもいい。教習用の訓練機だから、こんなに派手ではなんだが、それでも良ければ」
「ありがとうございます!」
なぜかお嬢様ではなく従者の方が、スティーブンの両手をとって、礼を言った。
「是非、お願いします」
「あ、ああ。それじゃぁ、まずはここの主催者さんに一言挨拶をしてからだな」
スティーブンが当初やろうとしていたことを思い出して、祭りのメイン会場の方に振り向いたとき、銃声と悲鳴が混ざった派手な破壊音が響いた。
その黒コートの男は、大人しそうな若いご婦人と泣きじゃくる女の子に銃を突きつけて、人垣を分けながら飛行機の方にやってきた。片手には何やら大事そうに鞄を持っている。
「待て!二人を解放しろ。人質には僕がなる」
恐れて遠巻きに見る人々の間から、一人の若い男が両手を上げて進み出た。
黒コートとその金髪の若い優男の間で何やらやり取りがあった。黒コートは優男の隣にいた眼鏡の男にベルトとタイを外させて、それで優男の両手を縛り猿轡をするように指示した。
黒コートは婦人と子供に銃を突きつけたま、飛行機の側まで来て、優男に後部座席に上がるように指示した。鞄を放り込み子供を抱えたまま自分も飛行機に乗り込みながら、黒コートは子供を解放しろと唸る優男を銃床で殴りつけた。優男はぐったりしてシートに沈んだ。
飛行機のエンジンが始動し、ゆっくりと動き出す。
黒コートは邪魔な子供を、操縦席から外に投げ捨てた。




