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家に帰るまでが冒険です  作者: 雲丹屋
第10章 太陽の炎が消えた時

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抗議

「納得いかん」

ジェラルドは寝癖のついた頭のままで、不機嫌にドスンと座った。


「なんで僕がこんなトカゲ顔の中年眼鏡と差し向かいで、朝食を食べなきゃいけないんだ」

「トカゲ顔の中年眼鏡……」

ヘルマンは、ショックを受けて、船酔いで青ざめてやつれた顔を引きつらせた。

「確かに顔の作りはあなたほど整っていませんが、年齢はたいして変わらないでしょう」

「……だいぶ違うよ」

ツルンとした童顔のジェラルドは不貞腐れて、行儀悪く頬杖をついた。

「30手前と20代半ばは誤差です!」

「誰が30手前だって?」

「……まだ今月は20代です」

「うわぁ……老けて見えるってよく言われない?」

「これでも”若手の有望株”で通ってました!!」

「今の銀行業界って新規参入難しいのかなぁ。若手の定義が高齢化してるだろ」

「大きなお世話です」

ヘルマンは、ジェラルドのカップに、乱暴にコーヒーを注いだ。


「ぬるい」

ジェラルドは一口飲んで文句を言った。

「こんな大きな客船のルームサービスで熱々のコーヒーが来るわけないでしょう。それに二度寝してこんな時間まで起きてこなかったんだから自業自得です」

「ブレイクが起こしに来ないのが悪い。あいつ、僕を放っておいて、いつまで遊び呆けているんだ」

「そういえば、いつもは今ぐらいの時刻には帰っているのに今日は遅いですね。あとで、アドラー嬢の部屋に行って様子を見てまいります」

「ああん?なんでそこでアドラー嬢が出てくるんだ?」

「あれ?ご存知なかったんですか?毎朝、アドラー嬢の部屋でウィステリア嬢と一緒に勉強会をなさっているそうですよ」

ジェラルドは、コーヒーカップをガシャンとソーサーに置いた。

「なんで主人の僕がこんなトカゲ眼鏡と二人っきりでいる間に、僕の従者が僕の世話もしないで、美女二人にちやほやされているんだ!」

あ、”中年”はとれた、とヘルマンは思った。




「ちやほやされているわけではないですよ」

遅参を謝罪した従者は、困惑顔でそう申し開きした。

「じゃあ、今日は時間も忘れて何をしていたんだ」

「申し訳ありません。少々、命題に対する考察と議論が白熱しまして」

ジェラルドは訝しげに眉を寄せた。

「マナーや一般教養の講義でか?今日はどんな内容だったんだ」

「物質の形状に対する浮揚力の発生についての講義で、その重心点と力場発生範囲の算出方法について、オーニソプターへの応用事例と理論的最適値の話になったのですが、材料強度と駆動系の限界が現状での機械的限界を……」

「待て待て待て!」

ジェラルドはべらべら説明しだした従者を止めた。

「一般教養?」

「アイリーン様がお詳しいので深掘した考察や応用課題に話題が発展することがあります」

ジェラルドは、社交界の華がふさわしいプラチナブロンドの美女の姿を思い出した。彼女の顔と専門の技師や研究者のような話題が結びつかない。何より……

「ヴァイオレットはその話題についてこれるのか?確か彼女は貴族子弟の家庭教師といっても、そこの家の坊っちゃんが行った学校の初年度で習う基礎ぐらいまでしか教えられなかったと言っていたじゃないか」

「旦那様、ヴァイオレット様が教えていた”坊っちゃん”というのは、18歳で王立大学の学士課程を終了し、皇国の工科大学に留学した秀才ですよ」

「は?」

「”坊っちゃん”の学習進度に合わせて、家庭教師として予習と研鑽を重ねた結果、王立大学の専門課程までは面倒をみきったそうですが、さすがに皇国の工科大は資料が手に入らず、初年度程度までしか追いつけなかったと嘆いておられました」

「な!?」

王立大学はもちろん、皇国の工科大学といえば最難関で超一流の名門である。独学でその一般教養過程全般をマスターして、生徒を指導したとか、もうありえないレベルの才女であることは間違いない。

「ヴァイオレット様の講義は、確かで広範な知識を複合的に学習できるので大変興味深いです」

ジェラルドはこの底知れない従者が、嬉々として難解な専門知識に飛びついているところが想像できた。正直、ついていけないレベルの熱意に溢れているであろうことが想像に難くない。


「興味がお有りなら、旦那様も参加なさいますか?それでしたら、時間を午後にして、お二人をこちらの部屋にお呼びしますが」

「いや、遠慮しておこう」

ジェラルドは冷静になった。

これは危機管理すべき事案だ。うまく回避せねば、女性陣とこの従者から、話題についてこれない可哀想な劣等生扱いされる羽目になることが目に見えている。

彼自身、人より十分に高度な教育も受けたし、知識も広いし、頭の回転もいい自信はある。だが、だからこそ!そこで「あら、残念。仕方ないわね」扱いされるのはプライドが許さなかった。


「せっかく都会の喧騒を離れたんだ。僕はこの船旅をもう少しのんびりと優雅に過ごしたいな」

ジェラルドは微笑みながら、全力で逃げをうった。

「承知しました」

従者は重ねて誘おうとはせず、あっさり引き下がった。




「では旦那様、本日の午後はこちらに出掛けてみてはいかがでしょう?」

従者は船内案内の多色刷りリーフレットを差し出した。

「シダール風呂?」

「シダールにある公衆浴場をモデルにしているそうですよ。蒸気式の蒸風呂で、リラクゼーションのための健康体操とマッサージがセットだそうです」

運動不足の旦那様や、船酔いで弱ったヘルマンさんの体調も改善すると思うからと、従者はやたらと熱心に風呂を勧めてきた。そういえば、この従者は屋敷にいたときも、風呂に入れると妙に喜んでいるフシがあった。

「それじゃぁ、午後にでも行ってみようか」

ジェラルドは暇つぶしのつもりで、軽く了承した。

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