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家に帰るまでが冒険です  作者: 雲丹屋
第10章 太陽の炎が消えた時

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下心

車輪の刻むリズムが変わる。

市内を外れて石畳の質が変わったらしい。

2頭立ての4輪馬車は、軽快に街道を進んでいた。

「暖かいいい天気で良かったね」

オープントップの馬車の革張りのシートで、ジェラルドは隣の同行者に微笑みかけた。

「そうですね」

旅装のヴァイオレットは緊張した面持ちのまま遠慮がちに応えた。

「郊外に出ると空の色が違う」

自分が見つめていると、ヴァイオレットが落ち着かない素振りを見せるのに小さく笑ったジェラルドは、「ほら」と言って青空を指さした。うつむき気味だったヴァイオレットは、つられるように空を見上げた。

「きれいですね」

「ああ。きれいだ」

ジェラルドはヴァイオレットの方にわずかに顔を寄せて、とろけるような甘い声で囁いた。たちまちヴァイオレットの頬が赤くなる。ジェラルドはスッと元通りに座り直して、気楽な口調に戻った。

「汽車もいいが、こういう天気なら馬車も楽しいね」

彼は御者台の御者に、雇い主の夫人への感謝を伝え、御者は軽く頭を下げた。

ヴァイオレットを家庭教師として雇っていたアメリア夫人は、彼女のためにリージェントポートまで馬車を出してくれたのだ。




さんざん迷った挙げ句、結局、ジェラルドはヴァイオレットとともにタミルカダルに行くことにした。

もちろんヴァイオレットには事前に相談した。

帽子についている小さな飾り石が高価な宝石であり、今後の生活のお金のためであれば行く必要はないことを、ヴァイオレットに説明したところ、彼女はしばらく考えてから、きっぱりと行くことを選択した。

「わたくしは父が何をして、何を残したのか知りたいですわ」

そう言い切った彼女からは、日頃の控えめな様子の内に、しっかりとした芯があることが伺えた。挙げ句、彼女は帽子の宝石が高価ならば、もしも父の遺産が大したものでなくても今回の旅情にかかった経費とお礼はできそうだと言い出して、ジェラルドを慌てさせた。

ヴァイオレットに話していない事情を抱えたまま、ジェラルドは当初の予定通り旅行の準備を進めた。




「この調子なら、昼にはリージェントポートに付きそうだ。乗船手続きは先に行った僕の秘書が進めてくれているだろうし、時間には余裕があるから、あちらについたら良さそうなレストランでゆっくり昼食を取ろう」

前回は名物の魚料理を食べそこねたからそれにするか、しばらく離れることになるから王都風の肉料理がいいか、などと他愛ない話をしていたジェラルドは、馬車の速度が落ちたのに気づいて前方を見た。

「どうした?」

「旦那様、車が停まっております」

御者台の御者の代わりに、その隣に座っていた従者が振り向いて答えた。

「車?こんなところで?」

「はい。故障かもしれません。御婦人がお一方、脇に立ってこちらに手を振っておられます」

「停めろ」

ジェラルドの指示で、馬車はゆっくりと速度を落として、車の少し手前で停まった。




「随分、小さいな蒸気車ではないのか」

路肩に停まっている車は、汽車が路上を走るような代物でも、大型の蒸気バスでもなく、細い4輪のタイヤと、軽量なベンチシートからなる小さな車だった。市内用の2人乗り馬車の馬を外して、エンジンをつけたような物だ。

その脇に立って手を振っていた御婦人も華奢だった。周囲にボイラー係はもちろん、運転手の男の姿も見えないところをみると、その御婦人が一人で運転していたようだ。


「どうなさいました」

ジェラルドが声をかけると、青いドレスを着たその御婦人は、手を振るのを止めて、馬車の方に歩いてきた。

「すみません。車が動かなくなって困っております。助けていただけませんか」

見れば若い女性だ。ヴァイオレットより数歳下かもしれない。帽子とベールではっきりとは見えないが、それでもわかるほどの相当の美人だった。

「それはお困りだったでしょう。もう大丈夫ですよ」

ジェラルドは笑顔全開で、彼女の手助けを請け負った。




「(おおお、ダイムラー……いや、ベンツの初期型みたいだ)」

川畑は車をしげしげと見ながら密かに感動に打ち震えていた。

博物館で見入ったことのある車によく似ている。クラッシックカーの実走行パレードも何度か見に行ったものだが、こうして郊外の長閑な路上で見るのはまた格別だ。

見れば空気入りでない細いタイヤが、ぬかるみにはまり込んでしまっている。古い街道の敷石を近隣の農民が建材に持ち去ってしまうことがあると聴いたことがあるが、そのたぐいでできたのだろう。街道の端のそのあたりだけ石がなく、ぬかるんでいた。

これでは女性一人ではどうにもならない。

馬車で少し引けばなんとかなりそうなので、川畑は御者に馬車を少し前に出してもらった。

幸い車の方には、牽引用のフックがあったので、そこにロープをかけて、馬車に繋いだ。

川畑は上着を脱いで袖をまくった。

「(ああ、このピカピカのライトとか、ツヤツヤの木製ベンチシートの座面だけ黒革とか、何よりこの黒いフレームの質感がたまらん)」

川畑は憧れの実車に触れる多幸感を噛み締めながら、車体をしっかり支えて、持ち上げた。

「牽いてください」

大型の馬車馬が引くと、車は簡単にぬかるみを抜けた。


「ありがとうございます」

「いえいえ、これぐらいお安いご用ですよ」

あちらでは礼を言う女性に、ジェラルドが快活に答えている。

特に問題もなさそうなので、川畑は女性のことは色男にまかせて、屈み込んで車体の下部を覗き込んだ。

構造がむき出しで機構がとてもわかり易いのが素晴らしい。

前輪の柔らかいリーフバネ。クランクレバー風の舵取りハンドル。

川畑はこっそりハンドルのレバーを動かしてみた。

「(やばい。差動(ディファレンシャル)歯車(ギア)、ちゃんとついてる)」

古い懐中時計を分解して組み立てるときのワクワク感で胸が熱い。

川畑は、魔女ヴァレリアの作るオーバーテクノロジーのトンデモマシンも好きだが、こういうのも大好物だった。


「エンジンをかけてみてください」

クラッシックな4気筒エンジンが動くところが見たいという下心だけでそう頼む。

「そうだね。壊れていないか確認したほうがいい」

真面目な方に勘違いしてくれたジェラルドの言葉を女性は了承した。

彼女が運転席に座ったところで、川畑はフライホイールを回した。エンジンが軽やかに回り始め、その振動で車体全体が小刻みに震える。

ところが女性が運転席のそばのレバーを動かすと、エンジンは異音を発して止まってしまった。何度か試したが、うまくいかない。

「まぁ、困ったわ。今日の夕刻までにリージェントポートに行かなくてはならないのに」

「それでしたら、我々の馬車でお送りしましょうか」

ジェラルドは、困りきった様子の青いドレスの女性の手を取った。

「でも、車をここに残していくわけにはまいりませんわ。叔父からの借り物ですの」

「車も牽いて行けばいい。私達の目的地もリージェントポートですから」

「お嬢様は馬車にお乗りください。牽引中の車のハンドルは私が」

川畑はここぞとばかりに立候補した。煩悩は顔にも声にも全く出さないように気をつける。ここは、単なる従者の気遣いと思ってもらいたい。

彼女はちょっと驚いたように川畑をじっと見つめたが、ジェラルが「どうぞ遠慮なさらず」と促すと、提案を受け入れてくれた。


川畑はいそいそと車を馬車につなぐと、泥だらけの靴を脱いで、足をきれいに拭き、新しい靴下に履き替えてから車に乗った。


車の乗り心地はけして良くはなかったが、川畑はリージェントポートまでの道中を幸せに過ごした。

煩悩まるけ。

自動車博物館っていいですよね。


このあと年代が合わないマシンを出しても、異世界だからで押し切るゆるい世界観で参ります。よろしくお願いいたします。

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