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家に帰るまでが冒険です  作者: 雲丹屋
第10章 太陽の炎が消えた時

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素性

「実はこの帽子を見た時点では、博物館ですり替えられた石はアダマスだと思っていたんですが、違いましたね。そちらの”太陽の炎”は石の質が少し違いますし」

「そもそも、なんでお前はそんなことがわかるんだ」

ヘルマンは疑わしげに従者を見た。アダマスの質だの特性だの普通に使用人が持っている知識ではない。

従者は答えたものか少し迷ったようだったが、ためらいがちに口を開いた。

「以前、剛石鉱山で働いていたんです。アダマスについてはそれなりに知っています」

「アダマスの産出する剛石鉱山だと……?」

そんなところの鉱夫がまともに解放されることはまずない。鉱山の場所は極秘だからだ。

「ブレイク。お前、あの奴隷商の店に売られる前にそんなところにいたのか!?」

「奴隷!?」

ヘルマンは衝撃的な単語の連続に、愕然とした。ずり落ちた眼鏡を直しもせずに、呆然と従者の顔を見つめた。

黒髪の青年はいつもの無表情を少し崩した。

「ああ、そうか。リチャードには言ってなかったけど、俺、旦那様に買われた奴隷なんだ」

ヘルマンはヨロヨロと椅子にへたり込んだ。

従者は水差しとグラスを取って、ヘルマンの脇に行った。

「でもお前……その立ち居振る舞いとか、言葉とか、鉱山労働者や奴隷のものじゃないだろ」

「マナーは、旦那様のところで促成で詰め込まれた」

きれいな所作で水を注いだ従者は、グラスをヘルマンに差し出したが彼は受け取らなかった。仕方なく従者はグラスをテーブルに置いた。

「いや…しかし……」

言葉に詰まったヘルマンのずれた眼鏡を直そうと、従者は手を伸ばした。ヘルマンはビクリと身を引いた。

従者はそんな彼の様子を見て、スッと手を引くと、数歩下がった。

「ヘルマンさん。私は奴隷ですが犯罪奴隷のたぐいではないのでご安心ください。前科持ちではないし、逃亡者というわけでもありません。鉱山は、知人とのちょっとした貸し借りのために行くことになっただけです。これで元は普通の学生だったんですよ」

「学生……?」

「大学に行くための勉強もしていました。最近はそれどころではなかったので、今、受けても無理でしょうけれど」

少し自嘲気味の口調で穏やかにそう言った青年に、ヘルマンは声を失った。と同時に、彼は罪悪感で胸が詰まって、鼻の奥がツーンとした。

ヘルマン自身が苦労して身につけたから知っているが、この青年のような所作は、一朝一夕で身につけられるものではない。多分に生まれ育ちが影響するのだ。当たり前のように大学に行く気だったと言うところをみると、それなりに良い階級の家の出だったのだろう。

それが、家だか悪い友人だかのトラブルで奴隷にまで転落したとは。かなり知的で将来有望な若者だっただろうに、もはや大学に行くという夢も果たせない。

先程、奴隷と聞いて自分がしてしまった反応が、これからずっと彼が受けるであろう世間の評価であることに、ヘルマンは胸が痛んだ。

思わず蔑視と恐れをストレートに示してしまったことが悔やまれた。彼が親しい口調で”リチャード”とファーストネームで呼んでくれることは、もうないかもしれない。


「すまない」

ヘルマンは何に対する謝罪か自分でもわからないままそう言って、グラスの水を飲んだ。




ジェラルドが書斎にこもったところで、従者はヘルマンに声をかけた。

「ヘルマンさん。今夜から2階の客間をお使いください。マーサ夫人にベッドを整えてもらいました」

「いいのか?」

確か主人の隣の部屋はだめだといわれたはずだ。ヘルマンがあの屋根裏部屋でも構わないというと従者は頭を下げた。

「その節は失礼いたしました。ヘルマンさんは正式に旦那様の秘書となったので、2階の部屋をお使いいただいて問題ありません。不快な思いをさせて申し訳ありませんでした」

「いや、別にあの部屋は不快ではなかったから」

「しかし、あそこは奴隷の身の私が使っている部屋なのです。断らずそのようなところで過ごさせてすみません」

旦那様が無頓着で、自分も奴隷制度に馴染みがない土地で育ったので、そういう身分上の礼儀に関して至らないところがあったと、従者は謝罪した。

ヘルマンは、この従者が自分との間に取った距離をもどかしく感じながら、聞き捨てならない点を質した。

「お前の部屋って……だったら、昨夜お前はどこで寝たんだ?」

「寝ていません」

「え?」

「ああ、お気になさらないでください。寝台が空いていたとしても、昨夜は眠らなかったので」

従者は、襲撃者の残党の始末が確認できるまでは保安上眠れないと、さらりといった。

「え?え?それはいつまで?そんな無理をしていたら、お前の体が保たないだろう」

「お気遣いありがとうございます。体は無理が効く方なので大丈夫です。それほど時間もかかりません」

ジェラルド付きの警備の者たちは優秀だから心配ないと、従者は説明した。

「優秀な警備がついているなら、お前が寝ても構わないだろう」

従者は困ったようにやや眉を下げた。

「彼らは優秀なんですが、担当外はあまりやってくれないので、その分は自分でしておく必要があるんです」

「担当外?」

「……ヘルマンさんをカモろうと狙っている奴らの始末とか」

ヘルマンは目の前の青年をまじまじと見つめた。彼は視線が合わないように床の隅の方に顔を背けた。

「ああ、でも大方終わっていますし、すぐに見せしめ効果も出るでしょうから、ヘルマンさんはもう普通に生活してくださって結構ですよ。ただ、今日ぐらいは外出が必要なときは言ってください。できるだけお供します」

どこからどう突っ込んでいいかわからず、ヘルマンは口を開けたり閉めたりした。

それをどう受け取ったのか、青年は気遣わしげな顔で、早口にフォロー…だと本人は思っていることを並べたてた。

「すみません。嫌ですよね。すぐ、もう今晩中にはなんとかします。抑止力もわかりやすく効果が上がるレベルに変更しておきます。もちろん、ヘルマンさんの名前が広まったり新聞沙汰になったりすることはないように手配することをお約束します。そうだ。旦那様担当の警備の皆さんにもご協力いただけるよう、隊長さんを探して直接、頼んでおきますね。皆さん、けっこう甘味が好きらしいので、菓子折りでも持っていきますよ」

ご贈答品として人気のある菓子の店を尋ねられて、ヘルマンはなんとか老舗の菓子屋の名前だけは答えた。




その日、ジェラルド付きの警備部隊の隊長は極秘の拠点に差し入れられた高級焼き菓子の詰め合わせを前に頭を抱え、翌朝には、新聞が暗黒街で大規模な内部抗争があったことを報じた。

自称、元普通の学生

(今のところ、魔法や転移は使っていないので、本人的には通常能力による活動です。……翻訳さん?基本能力ですよ)

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