検問所の雑役夫
「俺ゃあ、いろんな奴の身元を引き受けて仕事を回して来たがよ。仕事引き受けてからうちに身元保証してもらいに来た奴は初めてだ」
口入れ屋の奥の一間で、店主のフロマは苦笑した。
「その衛兵やら、隊長さんやらに保証人になってもらった方が手間がないんじゃないか?」
「なんかあったとき迷惑をかけちゃ悪いだろう」
川畑は悪びれずに答えた。
「おいおい。なんかやらかす予定なのか?」
「"局"が何をさせたいのか、詳細を聞いてないからな」
時空監査局の現地協力者だという男は顔をしかめた。
「俺は表でも裏でも汚い裏仕事は回してねーよ」
「迷惑をかける予定はないが、ここと接点がないままで情報がもらえないと困る」
「そりゃまぁそうか。こっちもあんたから報告をもらわにゃならんしな」
フロマは小さな革表紙の本と、雑貨の入った背負い袋を川畑に渡した。
「当座の金と身の回り品だ。着替えは適当に古着屋で見繕え」
「この本は?」
「ここの神の聖典の簡易版写本だ。一般人が持っていてもさほど奇異じゃない奴だから人目のあるところで読んでかまわない」
川畑は本のページをめくった。
中程に見開きで白紙の箇所がある。
「落丁……ではないな」
じっと見ていると、白紙のページに文字が浮かんだ。目次のようだ。文字に触れると、表示内容が変わった。タッチパネル方式らしい。
「俺には読めないが、あんたたちにはそこに字が見えるんだろう?必要な情報はそいつを読んでくれ。もちろん現地で起きている話なら、うちで聞いてくれればいい」
「わかった。ありがとう」
「住む場所は決まったのか?」
「兵舎の一角にある部屋に案内された。先任の雑用係が使っていた部屋らしい」
「厚待遇だな。ずいぶん信用されたもんだ。どうやって取り入った?」
川畑は首をかしげた。
「さぁ?大人しく真面目に働いたからじゃないか」
大人しく真面目に働いた結果、川畑は順調に仕事をこなした。彼の実務能力に準じて、"雑用"の定義は拡大解釈され続けた。
「いやぁ、検問所に代筆屋さんが常駐してくれると助かるわ~」
「おーい、訛りの強い西方語の商人が来たんだけど通訳頼めるか」
「すまん。後で月報の検算してくれ」
何せ会話と読文は翻訳さん任せで何でも無難にこなせたし、書き取りも、必要な文字列の形状がうっすら表示されるので、上をなぞれば下手なりに一応書けた。
算術は、記述方式に洋算と和算程度の違いはあったが、ルールさえ覚えれば、数学は得意だったので、速さと正確さが重宝された。
デスクワークだけではなく、掃除や馬の世話などの肉体労働も黙々と真面目にやるので、衛兵の新人たちはずいぶんと楽ができた。
無口でやや無愛想だが、嫌な態度は取らず、差し出がましくないが、気がつくといろいろやっておいてくれる彼は、実に便利で気にならない男だった。
しばらくすると、川畑は王都内外の諸事情にかなり詳しくなった。
「(社会が未成熟だからコンプライアンスや情報セキュリティの感覚が希薄なんだろうか)」
いつも通り隊長宛の文書を届けた帰りに王城の中庭を歩きながら、川畑は知覚を拡張して、周囲に人目がないことを確認した。
「(このあたりに転移ポイントを持っておくと、後で役に立ちそうだな)」
数に限りがある履歴とは別に、転移座標を保存しておく方法は習得済みだ。
川畑は、木と木の間の目立たないところを通るタイミングで転移した。
「たちの悪い男だなあー」
「ただの勤勉な労働者に何をいうか」
マグカップを受け取りながら、賢者のモルは、テーブルに置かれた木皿からクッキーをつまんだ。
「勤勉な労働者は毎日ここでお茶休憩しない」
「適切な休憩は作業効率を上げるんだぞ。弟子の俺が管理してやらんと先生は仕事と休憩の調整もできんだろうが」
「私に休憩を取らせるために帰ってきてると言い張る気か」
「適切なタイミングで休憩を切り上げて、仕事に戻らせるために帰ってきている」
「鬼か!?」
「今日も追加資料持ってきたから」
「うえ、これ公文書の写し?お前なんで王城の書庫にフリーパスで入ってるの」
「隊の報告書用の資料を借りに行った時に、棚の整理を手伝ってやったら、書記官がいつでも来ていいって言ってくれた。セキュリティがザル過ぎる」
「どこから突っ込んでいいかわからなくて、コメントに困る」
「とにかく、弟子の言いつけた仕事なんだからきちんとやれよ、先生」
「あれ?"弟子"と"先生"って言葉の概念、私間違えて覚えてる?」
「仕方がないなぁ」
お茶を飲み終えた川畑は、モルの頭をてしてし叩いた。
「今夜帰ってきたときは、また先生の実験に付き合うから」
「ううう、黙って大人しく言いつけに従うお前が見たい……」
モルは、頭に置かれた手を両手で掴んで、不満そうに口を尖らせた。
川畑は苦笑した。
「じゃぁ、今日の実験のときはそうしてやる」
するりと手を抜いて、消えてしまった弟子のことを考えながら、モルは両手で顔を覆って、足をじたばたさせて悔しがった。
そして、元通り誰もいなくなった静かな部屋で、結局、黙って資料を手にとって分析を始めた。
「たちの悪い男だなあ」
妖精王は杯を揺らしながら眉をひそめた。
「モルルの奴、こっちは約束通り、ひたすら黙って全部の要求に従ったのに、途中で突然怒って泣き出したんだぞ。挙げ句に謝られても、何を許して欲しいのか訳がわからん」
妖精王は、この目の前の、いつもまったく思い通りにできない男が、自分の命令に黙って大人しく従い続けるところを想像してみた。
「賢者のところにお前を行かせたのは失敗だったなぁ。悪いことをした。今度、お詫びの品でも送っておこう」
「なんならこの後届けようか?」
「……傷口に塩を塗る趣味はない」
妖精王は渋い顔をした。
「それで、王国での仕事は順調なのか?」
「ようやくとっかかりが掴めそうだ。どうやら俺はずいぶんと早い時期に王国入りしたらしい。お陰で準備段階から一口のれそうだが」
「話を聞く限りでは、その世界はここの主筋にあたる関連世界だ。数は多くはないが妖精も棲んでいる」
「そうなのか。まだ妖精の話は聞いたことがないな」
「あの世界の人間はあまり妖精が見えないようだからな。良いことを思い付くことを、"妖精のささやき"というらしいが、妖精の助言を自分の思い付きと一緒にするとは、失礼な話だ。とは言え……あちらで大事があれば、こちらも影響を受けるから、無茶はしてくれるなよ」
「ああ。今回は、あの世界の住人の方が無茶をしないか見張る仕事の手伝いだからな。脇役らしく大人しくしているよ」
妖精王は疑わしげな眼差しを投げ掛けながら、杯を干した。
「私はしばらく妻と旅行に出かける。お前が来たら要望にはできるだけ応えるように妖精たちには言っておくから、私の留守中に彼らを虐めんでくれよ」
「妖精を虐めたことなんてないぞ」
川畑が目を向けると、扉の隙間からこちらの様子を伺っていた妖精達が、あわてて顔を引っ込めた。
「おい、今そこにいた青いのと黄色いのこっちに来い」
「ひぃい!」
「スミマセン!ボクたちなんにもしないからユルシテ」
川畑は手のひらサイズの小妖精を二人捕まえて、妖精王の前に連れてきた。
「ほら、なぜかこいつらが一方的に怯えているだけだ」
「うわぁぁん。ごめんなさい!タスケテ妖精王さまぁ」
「ああ、……うん。まぁ」
みんなこないだのお前の大暴れ知ってるからなぁ。
妖精王は遠い目をしてため息をついた。
妖精達の間で川畑のあだ名が"魔王"なのは、黙っておこうと妖精王は思った。




