ヌシ
帽子の男はひどく慌てていた。
「なんでこんなところにいるんですか!?どこのどなたか知りませんが、いや、まずいでしょ、これ!」
「いや、俺だって好きでここにいるわけでは……」
お前のせいだろ、と言いかけたのを飲み込む。どうも帽子の男の様子が先程とは違う。確かに服装も体格も同じだが、馴れ馴れしくヘラヘラ笑っていた軽い雰囲気がない。明らかに、川畑の存在に戸惑って焦っている。
別人なのか?と顔をよく見てみるが、どうにも印象の薄い顔なのでよく思い出せなかった。
「どこから入ったんです!というか、こんなところに穴開けたの誰ですか?」
「知らん。俺は巻き込まれただけだ。お前でなければ、多分お前の同僚?だと思うんだが」
「私じゃないですよ!誰ですか?始末書ものだ。こんななんにもない安定してたところに部外者を放り込んだりして」
帽子の男は、泣きそうな顔で辺りを見回した。
「ああ、大変だ。こりゃ主が黙っちゃいないぞ」
「ヌシ?淵の底でとぐろ巻いている奴か?」
黒くて巨大な長い影が深みで蠢いているイメージを思い浮かべるが、どう話が繋がるのかわからない。
「うわあ、そんな勝手なイメージで……って、あなた、結構ここまで勝手にいろいろしてるでしょ。主っていうのはこの異界を治める主人だから外部のものが無茶すれば、当然怒るんですよ。」
「勝手な無茶……」
確かに自分の家に他人が入り込んで、床にガムテープを張ったり、カッターナイフで傷をつけたりしていたら腹が立つだろう。
「なるほど。そりゃ悪かった。謝りに行った方がいいな」
「……いや、もう謝るには遅そうです」
帽子の男は顔をひきつらせて、川畑の背後を見つめた。微かな地鳴りにイヤな予感を覚えながら振り向くと、向こうの砂丘が盛り上がって、何かが現れようとしていた。
灰色の砂山が崩れ、中から黒くて巨大な何かがせり上がってくる。
そういえば、古いSF映画だか小説だかにこんなのがいた気がする。
「砂虫?まじか」
蛇よりもミミズに近い形の、目鼻のない巨大な頭部?が現れる。
「主だ!」
帽子の男が悲鳴をあげた。
砂の間から高く持ち上がった長い体の先端が、ゆらりと川畑達の方に向く。
「怒ってるのかな?」
黒い頭部が十字に裂けた。
「怒ってますね」
4つに裂けた口が、花が咲くように開いた。
「逃げろ!」
びっしりと歯のようなものが並んだ巨大な口がこちらに向かって襲いかかってくる。
川畑は必死に走って初撃をかわした。
頭部が突っ込んだ衝撃で砂が舞い上がる。川畑はダンボールを盾に、降りかかる砂から目を庇いながら後退した。
「やばいな、最初から丸飲みする気じゃないか」
「ここの主は単純で、知能がないも同然ですからね。話し合う余地とかは全然ないですよ」
川畑を飲み込み損ねた主は、そのままゆっくりと蠢きながら砂に潜っていく。
「幸い、デカぶつだけに小回りは効かない。体表を蠕動させて砂の中を進むなら、水棲生物ほど機敏な襲撃はできないはずだ」
「詳しいですね」
「あの手の生物のなんかやたら詳細な設定資料集を見たことがある」
「謎のリソース!信用できるんですか!?」
「映像とサントラは良かったけど、映画としてはいまいちだったような……」
「こだわりが凄い原作の映画化にありがちな……じゃなくて、カッターナイフなんて持ち出して、なにやってるんですか!?」
「奴が世界の主で、話し合いが通じない相手なら、逃げ続けても消耗するだけだろう」
「だからって、いくらなんでもダンボールの盾とカッターナイフで戦うのは」
心配そうに見上げてくる男に、川畑は真面目な顔でひとつ頷いた。
「これベニヤ板も切れるちょっといいカッターだから」
「だからなんだって言うんですか!!」
「来るぞ!避けろ」
再び襲いかかってくる巨体を、砂丘沿いに走って避ける。主は、川畑達をとらえ損ねた口を地表間際で閉じて、長い半身を蛇のようにくねらせた。目のない頭のどこで見ているのかわからないが、確実にその頭部は川畑を狙って追ってくる。川畑は、急に砂丘から離れるように向きを変え、加速した。
「わ、急に曲がらないで!おいていかないでくださ……あれ?」
並走していた帽子の男は、川畑の動きに追従し損ねて悲鳴を上げたが、すぐに主が男を無視して川畑を追うように身をくねらせたのに気づいた。
「そら、こっちだ!」
離れた先で川畑がダンボール板を振って主を挑発している。
「無茶ですよ~!」
主はその長い体の大半を砂から出して川畑の方に襲いかかった。
「そのとおり。無茶だ」
ずうんっと、主の頭部が硬い地表にぶつかった。
「こっちは砂じゃない。潜って移動はできないぞ」
「だからといって動けない訳じゃないですよ!逃げてください」
川畑は、再びゆっくり開こうとしている主の口元に目を凝らしながら慎重に身構えた。
「普段なに食ってるか知らないが、これだけの巨体を激しく動かすには相当のカロリーがいるだろう。それに、打ち上げられた状態で少ない接地点で身体を支えるのには、向いてないんじゃないか?その構造は」
ミミズの動きは小さいからこそ成立するところもある。蛇はあれで肋骨持ちの脊椎動物だ。
「横っ腹がたわんでるぞ、環形生物。重力に歪んでもその口は上手く開くようにできてるか?」
まるで言われて気づいたかのように、主の身体は川畑の言葉にあわせて力を無くし、横たわったまま、たわんでいく。
それでも主は川畑を呑もうと口を開けた。
「いいのか、お前。弱点そこだろう」
川畑は、びっしり歯の生えた口内に持っていたダンボールを叩き込んだ。それを足場に、自分から踏み込む。狙いは口内の一点、なぜかそこだけ妖しく光っているところだ。
「発光理由がチョウチンアンコウじゃないことを祈る!」
川畑はその発光器官にカッターナイフを深々と突き刺した。




