錯誤
ジェラルドは目を細めてアダマスを眺めた。
「つまりさ。本物はアダマスなんだよ」
従者は黙って続きを促した。
「グートマン卿が言っていただろう。このカッティングは"女神の瞳"の様式だって。それは秘教の主神の像を作る際に目に嵌め込むための形なんだ」
ジェラルドはハンカチを取り出すと、ケースの中の石をハンカチ越しにつまみ上げた。
「"女神の瞳"ってのはさ、形、大きさ、それに素材も厳密に決められている……つまり神像に使えるのはアダマスだけ。だから神像から抜き出されたとしたら、その宝石はアダマス以外にはあり得ないんだ」
「古代遺跡の司祭をどうこうの話はでっち上げだったんじゃないんですか?」
従者は書棚の隅に置かれた図書館の本に目をやって首を傾げた。
「正確ではないがわずかな真実の下地はあるんだ。"太陽の炎"はもともと滅びた王国の隠された神殿の石像から抜き出された石さ」
ジェラルドは感慨深そうに石を見つめた。
「赤いアダマス……同じ形をしていても秘教の関係者にとっては、他の石とは意味が違う」
「まぁ、アダマスというだけで、他の宝石とは市場価格でも一線を隔しますけどね」
身も蓋もないことをいう従者に、ジェラルドは嫌な顔をした。
「でも、だったらなおさらわからないな。なぜグートマン卿はあの尖晶石版を"太陽の炎"として博物館に展示したんですか?秘教の信者であるならアダマス以外はニセモノだとしか思えないんでしょう?」
「だからこそさ。考えてもみなよ。"太陽の炎"は呪いの宝石として有名になってしまっているんだよ」
「ああ、そうか」
「でっち上げだが、広まった悪名はタチが悪い。そんなものが主神のシンボルに擦り付けられて平気なわけないだろう」
「それで、呪いの石はそもそもニセモノだということにしたかったのか」
「卿なりの正義感と義務感だったんだろうさ……ただし、独断の」
「なぜそういいきれるんですか?」
「石をすり替えられた後、グートマン卿が怯えて引きこもったからさ。警告かもしれないと受け止めたんじゃないかな。なんたって素材の違う石を"太陽の炎"として展示したら、すり替えられたんだからな」
「正しい規格を熟知しているものでないと造れない模造品とすり替えられたからか……。ひょっとして、その秘教の皆さんって背信者に結構過激な手段をとることあります?」
「どうかな。一概には言えないけれど、古い集団だから国の法規とかはあまり気にしない傾向はあるね」
ジェラルドは苦笑した。その顔や口調から察するに、相当過激なこともする集団らしい。
「なるほど。卿があれほど怯えていたのも納得です。私兵をあんなに雇って、妻子は保養地に行かせる念の入れようだったからな」
「お前……妻子の件は報告に入ってなかったぞ」
ジェラルドはじとりと従者を睨んだ。
「言いませんでしたっけ?すみません」
従者はさして気にした風でもなく軽く謝罪した。
この身分格差や主従関係というものが今一つわかっていなさそうな男は、主人と話している最中だというのに、グラスの中から行儀悪く桃を摘まみ出した。
「おい…」
従者はジェラルドの不満の声を無視して、やたらに嬉しそうに桃を摘まみ上げて、大きな口を開けた。
蜜色になってトロリとした桃を食おうとしている口元を見ていたら、やたらにうまそうに見えたのも手伝って、ちょっとムッとしていたジェラルドは思わず立ち上がった。
「僕にも食わせろ」
彼は、かまわず食べようとしていた従者を無理矢理押さえつけた。
「んんっ!?ん…んんーっ!」
無言でしばらく揉み合った結果、息を切らせた従者は、珍しく顔を真っ赤にして怒った。
「バカ野郎!人が食おうとして口に入れている最中のものを無理やり取りに来る奴があるか!あんたいいところの坊っちゃんだろう。飢えて育ったわけでもあるまいし、どういう教育受けてんだ!!」
敬語もなにもかも吹き飛んだ川畑を見下ろしながら、ジェラルドは「甘い……」と呟いて唇を舐めた。
「僕はこれで結構ハードな子供時代を過ごしてるんでね。行儀は悪いんだよ……いいじゃないか。お前を丸ごと食おうとした訳じゃないんだし」
「食われてたまるか!ちくしょう、久しぶりだからゆっくり味わって食べるつもりだったのに。飲み込んじゃったじゃないか。もったいない!」
このところひどい境遇続きでちょっとストレスが溜まっていた川畑は、珍しく出された許可に多少気が緩んで、自分用に用意していた甘味をこっそり自室から取り寄せていた。
代謝という意味ではすでにほぼ飲食が不要な川畑にとっては、仙桃は珍しくきちんと成分を摂取する貴重な食材である。しかもこれは、丁寧に仕込んで寝かせていた逸品だ。絶対にちゃんと味わって食べたかった。
そこに茶々を入れられて、彼は珍しく怒っていた。
基本的には寛容な川畑は普通に頼まれたら自分の食べ物を人に与えることを厭わない。しかし今回は、ものが一般人には劇薬過ぎる仙桃で、この世界の者に食べさせる訳にはいかなかったし、ジェラルドのやり口もよろしくなかった。
彼はいつになくへそを曲げていた。
「もう一切れ出せばいいじゃないか。そうだな。僕の分も一緒に」
「嫌だ!俺はもう金輪際あんたと一緒にものは食わない」
身分差を考えたら割と普通なことを、この不出来な従者が駄々をこねるようにいうのがおかしくて、ジェラルドは吹き出した。
「ブレイク。お前、そんな顔でそんな風に怒ったりするんだな。しかも……原因が蜂蜜漬けの果物…って」
「うるせー、離れろ」
腹を抱えて笑うジェラルドの脇で、川畑は自分のグラスの残りの中身を飲み干して、さっさとテーブルの上を片付け始めた。
「いやぁ、愉快だ。ブレイク、お前、やっぱり取り澄ましているより、そのぐらい無礼な方が似合うよ。これから二人でいるときはその口調でしゃべれよ」
「罵られて嬉しそうにしてるんじゃない。変態か、お前は」
「変態って訳じゃないけどね」
ジェラルドは面白そうに長身で黒髪の従者を上から下まで眺めた。
「素の君がどういう奴なのかには、とても興味があるな」
怒っていた従者は、スッと無表情になって、直立し顎を引いた。
「旦那様、本日はお疲れでございましたでしょうから、お早めにお休みしてはいかがでしょうか」
「膝枕して寝物語で君の話を聞かせてくれるならいいよ」
肘掛け椅子に座ってニヤニヤするジェラルドを、物凄く嫌そうな顔で見下ろした従者は、「別用ができましたので失礼します」と言い残して、さっさと部屋から出ていった。




