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家に帰るまでが冒険です  作者: 雲丹屋
第10章 太陽の炎が消えた時

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取引

「(顔がいいって得だなぁ)」

川畑は部屋の隅で、ジェラルドとグートマン卿のやり取りを聞きながら、かなり身も蓋もないことを考えていた。

「(たいしたこと言っていないのに、気がついたらあのおっさん、うちのご主人を拝まんばかりになっているもんなぁ。雰囲気詐欺だ)」

実は川畑自身も翻訳さんのせいでこれまで何度か似たようなことをしてきたのだが、それについては基本的に翻訳さんの独断だったために、彼は無自覚だった。

「(そもそも、こんな部屋で会談するから……)」

昼間だというのに重いカーテンが閉じられた室内は薄暗い。ガス灯の明かりにエキゾチックな調度品が影を落としているのが、重苦しく不気味な雰囲気を醸し出している。

「(うーん……グートマンさん、ちょっとオカルト寄りの宗教っぽい趣味の気がある人なのかもしれんな。コレクションがそんな感じだ)」

どこかで見たような意匠だと思いながら美術品を眺めていた川畑は、戻ってきた秘書に注意を戻した。

薄い色合いの金髪を丁寧に撫で付けた眼鏡の秘書は、昨夜、さんざん酒を飲ませた相手だ。ずっと眉間に皺を寄せているところを見ると二日酔いなのかもしれない。

「(今日も朝から勤務だったのか。悪いことをした)」

川畑は心の中でそっと謝ったが、秘書の方はそもそも川畑の存在にすら気づいていないようで、ここに来たときから一瞥もなかった。



「お待たせしました」

秘書が差し出した銀のトレイの上に、仰々しく乗せられた宝石入れを、グートマン卿は震える手でテーブルに置いた。

ジェラルドは石を持った手を重ねて卓上に置いたまま尋ねた。

「では、あなたが入手した石を僕が受けとるということでよろしいですね」

「はい」と答えたグートマン卿を秘書は驚いた顔で見た。卿は「よい。下がりなさい」と言って秘書を下がらせた。


秘書を見送ると、ジェラルドは控えていた従者を視線で呼んだ。

「失礼します」

テーブルの脇に進み出た従者に、グートマン卿は、まるで誰もいないところから人が突然現れたかのようにぎょっとした。どうやら彼が同じ室内にいたことを全く認識していなかったらしい。

従者は、周囲の反応は気にせずに、宝石入れを手にとって蓋を開けた。

ケースの中には、古風なカッティングの赤い石が納められていた。

従者はジェラルドの見やすい位置にケースを置いた。ジェラルドはケースから石を取り出した。

「良くできた模造品だ」

「はい。大きさもカッティングも定められた様式にほぼ従ったものですが、ただの柘榴石(ガーネット)です」

ジェラルドは自分の左手の石を、ケースから取り出した石と並べて、光に透かした。

「並べれば輝きが違うが、よく似た色だ」

「だが"太陽の炎"というにはあまりに安物です」

「なるほど」

ジェラルドは左手に持っていた石をケースに納めた。

「それではこちらのあなたの"太陽の炎"は……これは何ですか?紅玉(コランダム)でもないでしょう?」

尖晶石(スピネル)です。この色のものは大変珍しい。しかもこの"女神の瞳"のカッティングができるサイズのものはさらに希少だ」

グートマン卿は自慢そうに身を乗り出した。

「しかも大きさもカッティングも定められた通りの様式に完璧に従ったものです。素材以外は完全な"女神の瞳"です」

代わりを探すことは難しいし、石の細かな鑑定結果も博物館に展示する前に録られているとグートマン卿は語った。

「私が入手するまで"太陽の炎"の記録は与太話も同然の不確かなものしかありませんでした。わずかに存在した鑑定書も失われています。しかし、今は十全な記録があります。私の手元にだけではなく、博物館の公式記録にも」

「諸々の手配やご準備は大変だったでしょう?()()石を"太陽の炎"として周知し公認させるために、なぜそこまで?」

ジェラルドは首を傾げた。

卿は信念に満ちた目をして胸を張った。

「それが責務だと思ったからです。私はそれができる立場にあったし、それをする手段もあった。ならばそれは神のお導きです。違いますか?」

ジェラルドは謎めいた笑みを浮かべて「あなたは敬虔な方だ」とだけ応えた。

「この身は一介の信徒でしかないですが僭越ながら志は同じと思っております。あなたの望むところは、我がなすべき務めでもあるのです。あるべき物をあるべき場所に戻すためには、名の広まった"太陽の炎"は公にはこの尖晶石(スピネル)として認知された方が良い」


ジェラルドはグートマン卿の目を見た。

「それで、本物はどうしました?」

グートマン卿は、ぐっと力を込めてジェラルドを見返した。

「いつかしかるべき方にお渡しするつもりで大切に保管して参りました」

「まだお持ちなのですね」

「はい」

グートマン卿は席をたつと、部屋の隅に垂れた呼び鈴の紐を引いた。


やって来た秘書にグートマン卿は懐から小さな鍵を取り出して渡した。

「ヘルマン君、奥の金庫に入っている宝石入れを持ってきなさい」

「奥のですか?」

秘書は怪訝そうに眉を寄せた。

「急いで」

「はい」

卿に急かされて秘書は眉間に皺を寄せたまま部屋を出ていった。




「ではこれをお受け取りください」

ジェラルドはケースの蓋を閉めて、グートマン卿に差し出した。

「まだ対価をお渡ししていませんが、良いのですか?」

「僕はすでにこちらの石をいただいていますから」

ジェラルドは朗らかに笑った。

「それにどのみちあなたがその気なら、この場で石を渡そうが渡すまいが、僕がこの屋敷を出る前に、隣室の怖いお兄さんがたに命じて僕をどうとでもできるでしょう」

「お戯れを」

グートマンは自分の前に置かれたケースにはまだ手を触れなかった。

「……おりをみてこちらは博物館に寄贈する予定です」

「いいのですか?」

「確かに希少な石ですが、資産価値としては私の総資産と比べたら、そこまでのものではないです」

「確かにそうでしょうね」

国内有数の資産家で銀行家であるグートマン卿の言を、ジェラルドはさらりと流した。


グートマン卿はそんなジェラルドの様子を見てしばらくためらっていたが、思いきったように口を開いた。

「あなたはあるべき物をあるべき場所に戻したくて、ここに来たとおっしゃいましたね」

グートマン卿はいくぶん緊張に強ばった笑みを浮かべた。

「でしたら、もうひとつお願いがあります」




ほどなく戻ってきた秘書が懐から取り出したのは、テーブルの上の物とよく似ているがやや地味な宝石入れだった。

蓋を開けようとするグートマン卿をジェラルドは止めた。

「それにはおよびません」

ジェラルドは2つめの宝石入れを取り上げた。

「ちょうどいい。良いケースだ」

不思議そうな顔のグートマン卿に、ジェラルドは満足そうに微笑んだ。

「では僕は、このイミテーションと()()()をいただいて参ります。卿のお手元の()()の"太陽の炎"も拝見できて大変興味深かったです」

ジェラルドは柘榴石の模造品を指の間で転がした。

「本日は、"太陽の炎"のイミテーションを譲ってほしいという厚かましいお願いをお聞き届けいただき、誠にありがとうございました」

ジェラルドはケースと模造品を従者に渡すと、席を立った。

グートマン卿は一瞬あっけにとられたものの、ジェラルドの意図に気づいたらしく、鷹揚な銀行家の笑顔を作って同じように立ち上がった。

「いえいえ、お役に立てて何よりです」

卿はテーブルを回り込んでジェラルドを扉まで案内した。

「私も"太陽の炎"に興味のある同好の士とお話ができて大変興味深かったです。俗な流言ばかりが広まって、今では本当の知識を持つ者は随分と少なくなりましたからな」

「本当に」

微笑むジェラルドに、グートマン卿はやや声を低くしてささやいた。

一番目のお方(ファーストマン)にお会いすることがあればよろしくお伝えください」

ジェラルドは笑みを深くして、グートマン卿の手を取り握手した。

「承知しました。善き方のご協力でつつがなく取引ができたと伝えましょう」

「感謝します」

「あなたに加護と繁栄があらんことを」

グートマン卿はその場で膝を折りかけたが、秘書の視線があることに気づいて取り繕った。

「ヘルマン君、お客様をお送りしなさい」

眼鏡の秘書は、難しい顔をしたまま扉を開けて、ジェラルド達を案内した。




二人になったところで、川畑はジェラルドに尋ねた。

「それで旦那様、いったい全体何がどうなっていたんですか?」

次回、解説

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