銀行家
「お願いします。私の"太陽の炎"を取り戻してください」
銀行家のサー・アーネスト・グートマンは、立派な口髭と整えられたあご髭、そして対照的に広い額……というにはいささか後退しすぎた生え際の頭部が印象的な男性だった。理知的で精力的だったであろうその目元は、心労ですっかりやつれて隈が浮かんでいる。本来、華やかなはずの応接室も主の様子を反映して重苦しい雰囲気に沈んでいた。
部屋に飾られている石像や宝剣の異国情緒溢れるコレクションは、南方の植民地シダールのものだ。もともと皇国出身の卿は、それらの土地の開発に投資して成功を納め、この国で騎士章を受勲していた。今や高位貴族や王族とも親交のある人物である。そんな名士が、初対面の年若いジェラルドにすがるように助けを求めるなど、普通では考えられなかった。
重厚で威厳のある造りの屋敷を訪れた時点では、明らかにジェラルドは警戒されていた。応接室に案内されたときなどは、私兵らしき男達がこれ見よがしに控えている前を通らされたぐらいだ。
公にはできない問題を抱えている相手に「お前の悩みを知っているぞ」と言わんばかりの手紙を送りつけて訪問したのだから仕方がない。常識的に考えれば、会ってもらえたのが不思議なほどである。
しかしジェラルドは相手が自分との面談に応じるであろう自信があったし、いささか強引な方法だったが、相手との面会さえ取り付けてしまえば、口八丁で相手を丸め込む勝算があった。
インパクトのある言葉で先制攻撃して焦らせ、手持ちの情報の小ネタでさも自分は何もかも見通せる天才であるかのように演出し、相手の後ろ暗い弱点をつついて追い込み、苦境に同情して、たっぷり共感した善良な様子で協力を申し出れば、グートマン卿は激しいジレンマの末に、降参した。
「あなたには隠し事は無意味なようだ」
グートマン卿は憔悴した様子で項垂れた。
「ご推察の通り、博物館で展示された時"太陽の炎"はすり替えられました」
「だが、卿は盗難届けを出さなかったばかりか、おそらく博物館側にもすり替えを知らせずに、ただ宝石を引き上げた……事件が大きく報道されることと、宝石が詳しく鑑定されることを、避けたのですね」
グートマン卿は苦り切った顔でうなずいた。
「もちろん内々に調査はしました。宝石の盗難に荷担した犯人も特定しています」
「学芸員の一人が2週間前に退職したのはあなたの手配でしょう」
そこはジェラルドも従者から聞いている。彼が何をどうやって調べてきたかはともかく、ここはすべて心得ているというフリで、訳知り顔で押し通す。グートマン卿はすっかりジェラルドを頼ることにしたのか、知っていることを惜しまずに語った。
「家族を人質に脅されて無理やり協力させられたと言っていましたが、本人の賭博の借金が原因なのはわかっています」
「その学芸員が展示の入れ換え作業に乗じて、"太陽の炎"をすり替えた?」
「先に渡されていた石とすり替えて持ち出したそうです。ただ、自分は言われた通り外にいた男に渡しただけで、それ以上のことは知らないと申しておりました」
「その後、庭園側の門で不審者騒ぎがあったのを新聞記者が面白おかしく書き立てたと言うわけですね」
「新聞記者などというものはろくでもない奴らですがたまには役に立ちます。記事に気づいた私は博物館に行って、石がすり替えられているのに気付き、すぐに展示を差し止めました」
「そして偽物をそのまま持ち帰った」
「あの石を"太陽の炎"の名で一般展示される訳には参りません」
「見せていただいてよろしいですか」
グートマン卿は後ろに控えていた秘書にひとつうなずいた。秘書は一礼して石を取りに部屋を出ていった。
あの細い銀縁の眼鏡をかけた痩身の男が、うちの従者と飲みにいった奴かと考えて、ジェラルドはちょっと機嫌が悪くなった。
「何か?」
ジェラルドの様子の変化を感じ取ったのか、グートマン卿は気がかりそうに尋ねた。
「いえ。先ほどの人物はあなたの秘書ですか」
「はい。まだ若いですがよく勤めてくれる優秀な男です。彼がどうかしましたか」
「失礼、忘れてください。昨日、このようなところで働く者が足を踏み入れるような場所ではないところで、よく似た人物がいたという話を小耳に挟んだだけです。人違いでしょう。申し訳ありません」
ジェラルドのおざなりな謝罪に、グートマン卿は青ざめた。
「ああ、なんということだ。あなたはどこまでご存じだというのだ」
卿は古い魔除けの句を呟いた。
ジェラルドは、とりあえず相手の動揺には乗っかることにした。
「事情がおありなようなので詮索するつもりはなかったのですが、もしよろしければそちらの詳細も打ち明けていただけると、よりお役にたてると思います」
名画の大天使のような顔で、ジェラルドは微笑んだ。
「グートマン卿、犯罪者と裏取引をして宝石を買い戻そうとなさいましたね」
グートマン卿は蒼白な顔で、震える両手を祈りを捧げるように組んだ。
罪を告悔するように、グートマン卿は事情を説明した。ジェラルドの指摘通り、卿は実行犯の学芸員から聞き出した組織に渡りをつけて、盗まれた宝石を取り戻そうとしていたらしい。しかし、彼らは要求金額を吊り上げようとするばかりで、なかなか取引に応じようとしなかったという。
「それはそうでしょうね」
目新しい情報がないのに落胆したジェラルドはいささかつまらなさそうに言った。
「奴らの手元には"太陽の炎"はないのですから」
「なんですと!?まさかもう売り払われてしまったのですか!」
「ある意味ではそうです。だが、卿がお考えのような状況ではありません」
「教えて下さい。石はどうなったのでしょう?それにあの代わりの石を奴らは一体どこからどうやって調達したのですか?あれは、そのう……あのようなチンピラどもが用意するにはいささかよくできすぎているのです」
ジェラルドは目を細めた。
「偶然です。彼らがあれを手にいれたのは、偶然の巡り合わせです。……そして、その偶然の成り行きを解決するために、僕はここに来たのです。ご協力いただけますね」
グートマン卿はジェラルドに盗まれた"太陽の炎"を取り戻してくれるよう懇願し、高額の報酬を申し出た。
「そのような大金は必要ありません。善き人アーネスト・グートマン。僕はただあるべき物をあるべき場所に戻したいだけなのです」
ジェラルドは柔らかな笑みを浮かべて左手を上げた。グートマン卿は天の御使いに出会ったかのように目を見開いて息を飲んだ。
「あなたは"太陽の炎"がどのようなものかよくご存じですね?だとすればあなたの望むところは、我がなすべき務めでもあります。ですからあなたが協力してくださるなら、すぐにでもあなたの石をお返ししましょう」
ジェラルドの手には、大粒の赤い宝石が光っていた。
「何なりとお申し付けください」
グートマン卿が頭を下げたところで、扉が開いて秘書が戻ってきた。




