調査
"太陽の炎"は博物館が所蔵する宝石ではない。宝石展の間、現在の所有者である銀行家から貸し出されていたのだ。
もともとは遺跡で発見されたものだと言われている。盗難と所有者の没落、いくつかの血生臭いスキャンダルを挟んで、占領軍の将軍や、皇国の貴族の手を転々とした後に、王国の宝石商が入手して、さる富豪が購入した。この富豪が離婚し、破産し、病気で死んで、相続で揉めた結果、"太陽の炎"は、掴み取ればその身は焼け落ちる呪われた宝石……との悪名がついた。元富豪の遺族達は、この宝石を博物館に寄贈することも検討したが、結局、負債の整理のために売却された。
「ガス灯が夜の闇を照らし、鉄道と電信が都市を繋ぎ、飛行船が空を飛ぶ、この科学万能のご時世に、呪いだなんてバカバカしいと思うかい?」
「呪いがどうかなされましたか?旦那様」
ジェラルドは読んでいた"太陽の炎 ~呪われた宝石"というタイトルの本を軽く持ち上げて鼻で笑った。
「宝石の持ち主だった富豪の元妻が書いた本だ。たくましいね。彼女曰く"彼は宝石の呪いで身を滅ぼした"んだそうだ。悪妻の呪いの間違いじゃないのかな?」
「わざわざ図書館で借りたんですか」
「石の写真が載っていたから借りたんだ。こんなでたらめな本だとは思わなかったんだ。凄いぞ。なんと侵略軍の司令官が古代遺跡で司祭を切り殺して高笑いしながら、神像から宝石をえぐりだす話が載っている。虫の息の司祭が"汝を手にした者を焼き滅ぼせ!"って叫んで宝石に呪いをかけるんだ。なんたるナンセンス!」
ジェラルドは本のページを軽くパシリと叩いた。
「この著者が事実に基づいて話をする気がないのが丸わかりだよ」
「来歴の詳細が不明な宝石で、売れる本を1冊書こうとすればそうもなるでしょう」
「それにしたって創作が雑だ。司祭が常駐していたら、それはただの寺院で"古代遺跡"ではないだろう」
「それはそうですね」
「著名人も多数登場するが、何の下調べもしていない。勝手に若くして死なせたり、一族郎党滅びたりさせているが名誉毀損もいいところだ」
文章がなかなか読ませるのがタチが悪いとぼやきながら、ジェラルドは読みかけの本に目を落とした。
「恋人の変節を嘆きながら非業の死を遂げたことになっているこのオペラ歌手は、伯爵家に嫁いで、孫に囲まれて老衰で死んだんだ」
「フィクションより事実が幸せなのはよいことです」
「そりゃあ、そうだけれど……こんな悪名をでっち上げられて石の方はさぞかし迷惑だろうよ」
「ガス灯は闇を照らすにはまだ暗うございます。読書はそのくらいにしてお休みください」
従者はテーブルの上を片付けて、ジェラルドの就寝の支度を手伝った。
「そういえば、石が呪われているかどうかはさておき、今ならノンフィクションで第2部が書けますよ。著者が存命かは存じ上げませんが」
翌朝、ジェラルドのカップにコーヒーを注ぎながら、従者はなんとなくそんな話題を持ち出した。
「何のことだ?」
まだ半分寝ぼけているジェラルドは怪訝そうな顔をして、コーヒーカップに手を伸ばした。
「"太陽の炎"です。現在の所有者のところも大変なようで」
「そうなのか?……僕はこのコーヒーに焼かれそうだ」
ジェラルドはコーヒーの熱さに顔をしかめた。従者はすました顔でミルクをカップに注いだ。
「公にはしていませんが、先月から体調が思わしくないのか屋敷に籠りがちだそうです。投資や銀行以外の経営の方も消極的です。まだ取り付け騒ぎになるほどではないですが、敏感な者の中には危ぶむ筋が出始めています。大口の取引先が資金を移し始めたら本気でピンチになるので、ここが正念場でしょう」
大ぶりのミルク差しを下げながら、表情の乏しい従者はお天気の話をするようにそんな話をした。
ジェラルドはコーヒーカップをソーサーに戻すと、寝癖がついた頭を軽く振った。
「で、お前はどこでそんな話を仕入れてきたんだ?」
「旦那様が図書館で調べものをなさっている間、暇があったので。株価や大手の商取引の公開情報というのはなかなか面白いですね」
「それだけでわかる話じゃないだろう!?」
「旦那様の方がよくご存じかもしれませんが、この街には人々が夜っぴいて遊ぶ界隈がありまして……人間、酒が入ると、初対面の相手と打ち解けやすくなったり、口が軽くなったりする傾向があるようです。旦那様をお気をつけくださいよ。中には酒のせいで記憶をなくす人もいますから」
「僕はそんなところで飲み明かしたりしないよ」
「それはよいことです。でも、そういう場所での対応方法も多少は心得ておいた方がいいですよ。日頃品行方正過ぎて、たまたま知り合った気の会う相手に誘われてその種の店に行って、気がつけば飲みすぎて記憶を無くして朝帰りなんていう人もいますからね。ちょうど昨夜もそういう方をお見掛けしたので、お宅までお送りしましたが、なかなかよいところにお住まいでした」
「おい、それは……」
「真面目そうな良い紳士でしたよ。秘書をなさっているそうです。ストレスが貯まっていたんでしょうね。相当、酔っておいででしたからあの分ではどうやってうちに帰ったかも覚えてはいないでしょう」
「何をやっているんだ。夜中に出掛けて、身元のしれない行きずりの相手と飲んで、家にまで行くなんて、危険だから止めろ」
ジェラルドは眉を寄せて厳しい声で従者を叱責した。このどこか浮世離れした朴訥そうな青年が、怪しげな界隈の飲み屋で酔っぱらいの相手をしているところを想像したら、胸がムカムカした。
「ご命令でしたら、以後控えます」
従者は素直に頭を下げた。
「そうですね。尾行してきたごろつきの所属元の、あまり人相のよくない人間の集まったところに"商談"に来ていた堅気風の人物の後をつけて、チンピラに絡まれたところを助ける狂言で近付いて、飲ませて話を聞き出すというのは、確かに少しリスキーな手段でした」
ジェラルドは何とも言えない顔で、傍らの従者を見上げた。
地味な顔立ちの黒髪の従者は、わずかに首を傾げた。
「ヨーグルトも召し上がりますか?」
「……いや、いい。それから、今後は僕が"ちょっと背後関係が気になるな"っていった程度で、裏稼業の奴らのところに突撃しなくていいから」
「はい。承知しておりますとも。それはご安心ください。組織は潰していないですし、こちらの気配も気取られないように十分配慮しました」
ジェラルドは小さく呻いた。この"ブレイク"と名付けた従者は、想像以上に壊れた人物であるらしい。
「本日はこの後、ヴァイオレット嬢をお迎えに上がってから、帽子店に行く予定ですが、お召し物はどれにいたしましょう?」
付け焼き刃のはずの従者の仕事をちまちまこなす大男に世話をやかれながら、ジェラルドは今後の予定を建て直した。
「買い物の後で人と会うことにする。手紙を書くからアポイントメントを取ってくれ。服は濃いグレーで、タイとチーフは洒落た華やかなものとシンプルなものの2組を用意」
「承知しました」
一礼して部屋を出ていこうとする従者をジェラルドは止めた。
「まず、お前は昨夜の詳細を吐け」
従者は素直にこちらに向き直った。
「では、それほど時間もございませんので、お役にたちそうなところをかいつまんでお話しします」
従者の話に、ジェラルドはもう2、3回呻くはめになった。




