舞台袖
「やぁ、川畑さん。調子はどうですか?」
相変わらずのんきな声で、帽子の男は空中に現れた。これが時空監査官の標準ではないと信じたいと思いながら、川畑は橋の下の細い通路で腰を降ろした。
「ぼちぼちやっている。それで、俺はこのまま今の境遇で行動していていいのか?」
「はい。問題ないらしいです」
「微妙に伝聞形ということは、直接確認はしていないんだな」
「私は下っぱですからね」
帽子の男は肩をすくめた。
「どうも今回はここの世界のとある主の要望で調整しているみたいなんですが、クライアントとの交渉はメインのスタッフが担当しているので、お手伝い組は指示をもらうだけです」
「ふーん。ちゃんとした組織っぽくて何よりだ」
川畑は、ふよふよ頼りなく浮かんだ帽子の男を見上げた。
「ところでここの世界の主って、どれぐらいいるんだ?わりと建築物なんかもしっかりしているし、小大陸1つサイズとはいえ、それなりに広そうで作り込まれた世界みたいだけど。俺の元いた世界とか銀河連邦世界とかみたいに住人の多数が無意識下で支えているタイプなのか?」
「ここは少数の有力思考可能体の合議で成立している複層世界です。上位構造に存在する主が下位層を意識的に管理しています」
「その上位、下位というのはどういう違いなのかぴんとこないな」
「もちろん3次元的に上や下って訳じゃないですよ。同一世界が多重構造になっていて、主がいる上位層は下位層の世界とは、適用される原理も違います。管理人室が別にある感じですかね?」
「俺が今認識している方の下位層?の存在は全員眷属なのか?」
「はい。この下界は基本的に眷属が住む階層です。極まれに思考可能体もいますが、それは主に欠員が出たときの予備とか、主同士で折り合いのつかない下界の問題に決着をつけさせるときの駒で、世界属性の改変は基本的に下界からはできないようになっているそうです。川畑さんもやっちゃダメですよ。悪目立ちしますからね」
「わかってるよ。大人しくしてるって。世界属性も無意識の干渉を起こさないための概要参照しかしてない」
「参照はしてるんですね……」
帽子の男は咎めるような目で川畑を見た。川畑は不本意そうに口をへの字にした。
「無意識に改変するよりましだろ。わりと地球の産業革命頃に似てるから、ついそっちで考察して影響を与えそうになるんだよ。確認していなかったら危なかったぞ」
「何をやらかしかけたんですか」
「この人口密度の大都市で各世帯が石炭を使用している場合の、大気汚染と塵灰処理問題とか、これだけ馬車が行き交う場合の馬糞処理とか……」
「気にしちゃダメです!問題が起きていないときは、なんとなくうまく処理されていると思ってください」
「当時のロンドンは酷かったって文献を読んだことがあってだな」
「似てても同じ街じゃないから出身世界の事例を全部適用して考察しちゃダメです。だいたい同時代の他の大都市できれいだったところもあるんでしょ?市民の公衆衛生概念がちょっと違うだけでかなり変わるんですから」
「そうだよな。石炭ぽいのや馬っぽいのだって、同じじゃないんだから、燃焼や消化の原理が違うし」
川畑はしみじみと嘆息した。
「ここ物理科学系じゃなくてがっつりファンタジー魔法系の構造の世界だもんな。世界属性を確認して驚いたよ。……そういえば、魔力・魔術運用構造が整備されているわりに、街で全然魔法技術を見かけないのが不思議なんだが、ここも魔法学園的な専門機関だけで魔術が囲い込まれてるのか?」
「さぁー、どうなんでしょう?街で見かけないなら、川畑さんも使わないようにしてくださいとしか、今は言えないですねぇ。使うとしたらバレないようにこっそりやってください。なんかみんな使ってる感じだったら、合わせて使う分にはいいと思いますけど」
「やっぱりそうだよな」
帽子の男と川畑は揃って腕を組んでうんうんとうなずいた。
生真面目な正規の時空監査局員が聞いたら絶叫したであろうアバウトな認識だったが、それを指摘できる者は残念なことにこの場にはいなかった。
「ところでさ。有力思考可能体の合議で成立してる世界で、その中の一人に時空監査局が肩入れして大丈夫なのか?なんかパワーバランス崩れそうだけど」
「逆ですよ」
帽子の男は川畑の隣に漂ってきて、仲良く並んで座ったぐらいの高さに降りた。
「パワーバランスが崩れてヤバめだから、テコ入れしてるらしいです」
「へぇー、いいのか?それは」
「下界の人が下界の枠内で動く分には大丈夫みたいですよ。主が自分の眷属を動かすのとあまり変わらないから」
「今回のクライアントは自分の眷属はないのか」
「直系の有力なのがいるにはいるけれど、数が減った上に社会情勢的に動かしにくくなって、身動きが取りにくいそうです。ついでにその主さんが下界に干渉する力自身も弱くなっているとかなんとかで」
「情勢変化で力を失った主にテコ入れする理由がわからんな」
「その主さんってここの世界の根元に結構関わってるらしいです。影響力が急に消滅しちゃうと、ここの世界構造がダイナミックに変わりすぎて、周囲の世界に影響が出るから、うちが調整に入ったみたいですよ」
「いろいろ大変だなー。時空監査局も」
「偉い人はずーっと難しい問題を処理し続けなきゃいけないんで大変でしょうね」
下っぱと非正規職員は、二人並んで、他人事のように"苦労する偉い人"に同情した。
「あー、でも、なんだ。俺が直接動いちゃいけなくて、サポートに徹しろって言われてる理由はなんとなくわかった。きっとここの主達のパワーゲーム的には、外世界人が直接、手を下してゴールは反則なんだろうな。できるだけ他の主に目立たないように、駒の軌道を誘導するぐらいは許されている感じなのかもしれない」
川畑は、デッキブラシのようなもので氷上を擦って、ストーンの軌道を変えているところを想像した。
「なんだかあまり適切でない想像をされている可能性がそこはかとなくしますが、そんなところでしょうか……」
「了解した。ミッションの目的だっていう赤いアダマスっぽいものが、手に入りそうなんだが、俺自身が確保するのは止めておく。そもそも入手が目的かどうか指示が出てないしな。うちの旦那様が興味を持っているみたいだから、やりたいようにやらせてやることにするよ」
「そうですね。川畑さんの任務は関係者の護衛とサポートですから」
「……関係者の範囲ってどこまでだろうな?」
「ええっと、その"旦那様"だけでいいのでは?」
「旦那様が守ろうとする相手とか、旦那様が守れと俺に命令した相手とか」
「旦那様と同時に守れる範囲で臨機応変?」
「そっかぁ……そうだよな」
川畑は一人で何やら納得していたが、ふともう1つ疑問が浮かんだらしく、帽子の男の方を見た。
「護衛ってさ。潜在的敵の排除とか殲滅って仕事に入ってる?」
「どういう状況ですか!?」
「襲おうと後をつけてきたごろつきを絞めるとか」
「それは、まぁいいんじゃ……」
「そのごろつきの所属する命令系統を吐かせて、ヤバめの筋の皆さんをまとめて掃除しておくとか」
「え……」
「背景に依頼人が別でいたら、洗い出して、こちらに手を出す気がなくなる程度にダメージを与えておくとか」
「さすがに、そんなのを護衛に含める人なんていないでしょう」
「ダーリングさんとエザキ捜査官が飲み会で言ってたぞ。安全を確保するなら、後で面倒なことになる可能性がある要素は、早めに掃除しておいた方がいいって。地元の悪党は関わらない様子なら見逃してやってもいいが、手を出してくるようなら殲滅しろと……」
「えええ。そうなんですかぁ」
帽子の男は腕を組んで首を傾げた。
「うーん。川畑さん。悪い大人が酒の席でした話を真に受けちゃいけないのでは?」
「いや、あの二人は素面で実行経験がある。具体的事例を沢山聞いた」
「せっかく酒の席で聞いたんだから、酔っぱらいの戯れ言だと思っておいた方がいいと思いますよ。……ああ、でもダーリングさんが言ってたのかぁ」
帽子の男は浮かび上がって、川畑の頭上でうろうろ迷いながら思案した。
「あれぇ、ひょっとしてそっちのが正しいのかな?自分の常識に全然自信がなくなってきたぞ」
帽子の男はダーリング氏に確認してくると言って姿を消した。
「うーん……」
川畑は橋の下の薄暗い通路で立ち上がった。
「それじゃぁこのごろつきは、認識阻害と記憶操作だけして放り出しておくことにして、背後をどうするかは現状、保留としておくか。旦那様の判断に任せてもいいな。……よし、じゃぁそういうことで」
橋の下に適当に転がされた男は気絶したままで、うんともすんとも答えなかった。
<悪い大人解説>
2人とも初出は6章。
・ダーリングさん:
銀河連邦宇宙軍上級将校にして銀河の英雄。時空監査局管理職候補。(苦労する偉い人)
・エザキ捜査官:
銀河連邦保安局特務捜査官。悪党を殲滅するときに不可抗力で災害級の被害も引き起こす。(いずれも不幸な事故だから首にはなっていない)
件の飲み会は、伝統ある火星の保養地を灰塵に帰した騒ぎの後の二次会です。




