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家に帰るまでが冒険です  作者: 雲丹屋
第10章 太陽の炎が消えた時

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帽子店

扉の脇のくすんだ真鍮の看板には"婦人用帽子"の文字が店名と合わせて流麗に綴られていたが、その小さな建物にはウィンドウもショーケースもなかった。表戸はしまっていて、通りに面した窓にもカーテンがかかっていたが、幅の狭い出窓の張りだし部分に、古風だが洒落た帽子を被った婦人の絵が飾られていた。

隣の建物との狭い隙間にある庭には、低木や花の鉢が沢山あって、こんな季節なのにそこだけ少し明るくて暖かい感じがした。

ジェラルドが庭の方から奥のテラスの様子を伺おうとしたところで、「どちら様でしょうか?」と誰何の声がかかった。


「申し訳ありません。最近ではもう新しい帽子のご注文は承っておりませんの。母もすっかり歳なものですから」

人の良さそうな丸顔の夫人は、奥に座っている老婦人をちらりと見た。髪の白い小柄な老婦人は膝掛けをかけて、窓際でゆったりと刺繍をしていた。

「今は古くからのお客様の帽子のお直しを少々承っている程度なんです。ほら、古いものですと昔のやり方を承知している職人でないとちゃんと元のように直せないところが有るのですよ。その点、母は昔気質で腕利きの職人でしたからね。若いお針子さんしかいない他所の店から仕事が回ってくることもあるんですよ」

ちょっと誇らしげにそう言った夫人は、でも自分は帽子は全然作れないのだけれどと笑った。

「そうですか。僕の女神に素敵な帽子をプレゼントしようと思ったのに残念だ」

ジェラルドはがっかりした様子で肩を落とした。

「まぁまぁ。あなたの好い人にはもっと大きなお店の華やかな帽子を贈って差し上げた方が良いわ。うちは表の看板こそ外していないけれど、開店休業も同然のこんな裏通りの小さな店ですから」

「上品な佇まいの良いお店ですよ」

「お上手ですわね。母の作業場みたいなところですよ」

「若い手伝いの方を入れては?」

「いえいえ、今さらそんな。母のお弟子さん方はそれぞれもう独立されましたし。それにもうここも直に閉めようと思っているんです。昼間だけとはいえ母が独りでいるきりですと、何かと物騒でございましょう?」

「ここいらは随分治安はいいように見えますが、近所で盗難でもあったんですか?」

「いいえ、そういうわけではないのですが、少し前から少々人相の悪い男がうろついていたりすることがありまして……昔はそんなことはなかったんですけれどね。嫌なご時世になったものですよ」

噂話が好きそうな夫人の話題は、ご近所のあれこれにあっちへこっちへと飛んだが、そのうち博物館での盗難騒ぎの件にも行き当たった。結果としては何も盗まれたものはないというオチの小事件だったのだが、日頃静かなこの界隈では、それなりに一騒ぎだったらしい。

「夜警が何人も走り回って、この辺りまで来ていたそうですの。うちの庭の鉢も倒されていい迷惑でしたわ」

「それは災難でしたね」

幸い割れてはいないが、重い鉢でここのご婦人方では、棚に戻せないから、起こしただけで放置しているという。

「よろしければお手伝いします」

夫人は恐縮しきりだったが、ジェラルドの従者は、力仕事が全く苦にならなさそうな大男だったので、ありがたく申し出をうけた。

「あらあら、やっぱり若い方は違うわね。うちの主人などは腰を痛めてしまって全然役に立たないのよ」

「本当にありがたいねぇ」

老婦人も庭のことは気になっていたようで、ついでにあれもこれもと、従者に頼み始めた。見た目のわりに器用な従者は嫌な顔もせずに細々とした用をこなした。

「ここの戸もガタついているな。道具があれば多少は直せるかもしれないが」

「そこは今度職人さんにお願いするわ。随分前からきちんと閉まらなくなっていて、すきま風がひどいのよ。縫い物は明るい窓際でしたいのだけれど、最近は寒くてねぇ」

老婦人は膝掛けを直して目を細めた。老婦人のいた奥の部屋から庭の小さなテラスに出られる戸は、傷んで立て付けが悪くなっていたが、鍵は新しい物がついていた。


「鍵だけは先日、新調しましたの」

夫人は、年老いた母親の肩にショールをかけて、少し言い訳をするように声を潜めた。

「そりゃあ、うちは博物館みたいに高価なものは何一つ置いてございませんけれど、帽子の飾りの中には、パッと見が宝石みたいなものもありますでしょう?物のわからない狼藉ものに間違えて押し込まれて、万一、お客様からの預かりものに何かあったら大変ですから」

「なるほど。何よりお母様の身に何かあったら大変だ」

夫人はジェラルドの言葉にうなずいて、気がかりなことだらけで大変だとこぼした。

「私ども夫婦の家が近くにありまして、それほど広くはないんですが、母の部屋の都合ぐらいはなんとかできそうなので、一緒に住もうという話をしているところなんですよ」

「それはいいですね」

若くて愛想のいい色男が、親身に自分の話を聞いてくれるという状況に気を良くした夫人は、かなり長々と話し込んだ後で、付き合いのあるお奨めの帽子店のリストをくれた。




「なかなか興味深い店だったね、ブレイク」

ジェラルドははつらつと細い通りを歩きながら、従者に声をかけた。

「博物館の裏口からさほど遠くなく、通りから侵入しやすい物陰の多い庭がある。庭に面した出入口はつい最近まで鍵が掛けられず、夜には誰もいない建物には自由に入れる状態だった。博物館の騒ぎがあった夜に空き巣に入られたようだったね」

「だが物取りの被害はなかった」

「そう。だからあわてて裏口に鍵を付けただけで、警察には届けなかった。ご近所の目があるから、物取りに不用心な店という評判は好ましくない」

「だが、侵入者の仲間とおぼしき連中が、界隈をうろうろしている」

「だからお母上を引き取る話が出たんだろう。昼間にあの夫人が店に行くようになったのもつい最近のことだ。夫人が持っていた店の入り口の鍵は新しい合鍵だったし、開け方もぎこちなかった。庭の物の配置もすべてお母上に確認していたから、これまではお母上が店の一切を独りで管理していたのだろう。ああ、ただ職人かたぎの人にみえたから、帳簿の関係は娘さんに手伝ってもらっていたかもしれないね。付き合いのある帽子店のリストを書き出してくれたときに、夫人は迷わず棚を開けて、台帳や筆記具を取り出していたから」

「よく見ておいでですね」

「初歩的な観察さ。顧客名簿の台帳の棚は鍵付き。帽子の生地や飾りには無頓着でも、そういうところはきちんとした店だ。きっと最近どんな人の帽子をあつかったか尋ねても何も答えてくれなかったろう。取引先の店舗の情報が得られたのは行幸だった」

「旦那様は詐欺師の才能がおありです」

「ひどいな。人と打ち解けるのが多少得意なだけだよ。君だってあちらのお母上に随分気に入られていたじゃないか」

従者は異論がありそうな間をおいてから、黙って会釈した。

「無表情なまま、言いたいことを飲み込んだ感じをアピールするのやめてくれないか!?」

「良いおばあ様でしたよ。目が悪くなってきたので、明るい昼間の窓際でしか細かい作業がしにくいそうですが、昔ながらの糸針の縫い物仕事は手が覚えているので問題ないと仰っていました」

「作業に熱中すると道具を広げたままにするタイプの職人だよね。机の上や周りの棚の小物入れが、すぐに手が届いて出し入れがしやすいことに特化した作りで、しかも、とりあえず突っ込んでおかれた物や脇に退けられたものが、結構あった。作業の途中で日が暮れたら、台の上の道具や材料をそのままにして帰宅する習慣にちがいない」

夜更けの侵入者が見た室内の様子が目に浮かぶようだと、ジェラルドは思った。

「が、これ以上はもう少し調べてからでないと、ただの妄想だな」

ジェラルドは細い通りを2度ほど曲がってから、大通りに足を向けた。


「この後は紹介された帽子店に行くのですか?」

「いや、帽子店は明日、ヴァイオレット嬢を誘って出かけるよ」

「買い物に託つけて、"真実の愛"の特徴や、直しに出した店を聞き出すおつもりですね」

「わかっていないな。身を飾る美しい小物を買うのはご婦人にとって重要な娯楽だからね。無粋な男がその機会を奪っちゃいけない」

「……では、後でお誘いの手紙をメッセンジャーボーイに届けさせましょう。下宿にお戻りになりますか?」

「まだ戻らない。せっかくだから図書館に寄っていこう。手紙はそこで書くよ」

「かしこまりました……後ろの者はいかがいたしましょう?」

振り返りもせず、何でもない調子でそう尋ねた従者に、ジェラルドも普通に歩きながら「数は?」と返した。

「1人だけです」

「任せるよ。僕が図書館にいる間に何とかしておいて。下宿に問題を持ち帰るとマーサ夫人に悪いから」

「承知いたしました」




ジェラルドは夕方まで図書館で調べものをして過ごし、その間に戻ってた従者に追加でいくつか雑用を片付けさせた。

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