捜査
グロウスター通りの下宿に戻ってきたジェラルドは、上機嫌だった。
「いやはや、面白いことになってきたね。そうは思わないか?ブレイク」
主人がコートを脱ぐのを手伝っていた従者は、軽く眉を上げただけで、黙って頭を下げ、コートを手に退室した。
「おいおい、随分ご機嫌斜めじゃないか。僕が彼女の婚約者の立場で旅行することにしたのが、そんなに気にくわないのかい?」
部屋着の柔らかいガウンと、踵のない室内履きを持って戻ってきた従者は、黙々と着替えを手伝った。
「困った奴だな。だが、あれは必要なことだったんだよ。わかるだろう?彼女は巧妙かつ危険な詐欺にかかろうとしていた。それを阻止するには、一番近い位置でずっと一緒にいられる身分が必要だったんだ」
「その忠告をして手を引かせるという選択はお取りにならないんですか」
ひどくつっけんどんな言い様からすると、よほどそれが引っ掛かっているらしい。ジェラルドは肩をすくめた。
「どこまでが嘘かまだはっきりしないんだ。危険だから何もするなというのは簡単だけど、それで彼女の意思と人生の選択肢を狭めてしまうのは、良くないだろう」
「一応、そういうこともお考えになっていらっしゃったんですね。ご自分の都合かと思っておりました」
「信用がないなぁ。……大体、誰だいお前に慇懃無礼な物言いを教えたのは。最初はもっと素朴で素直そうな感じだったじゃないか」
「従者として必要なこと全般はお屋敷の執事長さんに教えていただきました。主人に仕えるという基本の心根や主への敬愛の念はまだまだだが、さしあたって恥を晒さない程度に外面を取り繕えるマナーは身に付いたとお墨付きをいただきました。ただし、念のため余人のいる場所ではできるだけ口をつぐんでいるようにとご助言いただいています」
それは全然ダメなんじゃないかとジェラルドは思ったが、この男をゴリ押しで従者にしたのは自分なので、それ以上の追及はあきらめた。
「まあそれはいいとして。とにかく僕は、この件には全力で関わると決めたよ。僕の勘ではこれは大当たりだ」
ジェラルドは暖炉の側の低い肘掛け椅子に座った。
「ここ3ヶ月分の新聞の切り抜きを持ってきてくれ。大衆紙と、上流向け一般紙の両方を」
新聞記事のバックナンバーを調べながら、ジェラルドは注がれた紅茶を飲んだ。
「君は紅茶を煎れるのは上手いね」
一礼して退室しようとした従者を、ジェラルドは呼び止めた。
「ブレイク、見たまえ。夫人がヴァイオレット嬢を連れていったガーデンパーティーはこれのようだよ。なんと王族主催だ。有名な春のロイヤルガーデンパーティー程、格式のある大規模なものではないが、内外の名士が招待されている。鉱石の学者先生とはこのアルベルト・アドリアという人物だろう。皇国出身の鉱石学の権威だそうだ」
新聞記事の簡単な紹介文では、それ以上のことはわからなかったが、王族主催の会に外国人ながら招待されるということはよほどの人物だろう。
「面白いのはね。このパーティーと同時期に開催されていた自然史博物館の宝石展での事件だよ」
ジェラルドは大衆紙の切り抜きを指した。
隙間埋めのコラムのような小さな記事では、展示品入れ替えの日に、間抜けな警備員が盗難があったと勘違いし大騒ぎをしたが、結局何も盗まれたものはなかったと、面白おかしく書かれていた。
「何か関係があるとお考えですか」
「さあね。あるかもしれないし、ないかもしれない。……ひとつ調べてみようと考えているんだけれど、手伝ってくれるかい?」
ジェラルドはいたずらっぽい笑みを浮かべて、傍らに立つ従者を上目遣いに見上げた。
「お望みのままに」
従者は無表情なまま、いかにも忠実そうにそう答えた。
王立自然史博物館の職員は親切に対応してくれた。
「とにかくここの展示は素晴らしいよ。前回の特別展も大変楽しみにしていたんだけれどね。どうにも商用でこちらに戻ってこれなかったものだから。ところで君は湖水地方に行ったことはあるかい?」
ジェラルドは相手を完全に自分のペースに持ち込む話し方で、職員相手にあることないことをペラペラと捲し立てた。
「ああ、いけない。すっかり話し込んでしまった。長くお時間を取らせてしまって悪かったよ。前回の特別展の出展品リストがあれば一部くれないか?」
「はい、ございます。少々お待ち下さい」
職員はちょっとほっとした様子で奥に戻り、すぐにリストを持ってきた。
「これは全期間のもの?」
「はい。そうです」
「前期と後期で入れ換えたのはどれだい?」
「前期と後期で入れ換えがあったのはこの印のものです」
「ああ、これか。ありがとう。……印がないけれど入れ換えがあった例外はないよね。予定にない入れ換え品とかさ。実は僕の友人が後期を見に来ていてね。話を合わせたいんだが、後期に出ていない出展品の話をすると気まずいだろう」
ジェラルドは、まるで共犯者にこっそり打ち明けるように声をひそめた。
彼の様子から、その"友人"というのが女性であると察したらしき職員は、訳知り顔でうなずいた。
「なるほど、そうですね。……そういえば確かこちらのものは、後期での展示がなくなったと思います。展示ケースを後から片付けた覚えがあります」
「これだけかい?」
「はい」
「ありがとう。それならこれと"前期のみ"の印のついたもの以外をよく予習してから彼女に会いに行くよ」
ジェラルドは後期展示品を今でも見られる場所がないかいくつか質問した後、職員に挨拶して博物館を出た。
「次はまだ他の場所で公開されている展示品を見に行くのですか?」
「いいや、まさか!」
それも興味深いけれどね、と前置きしてから、ジェラルドは博物館の裏手に続く小道を歩いた。
「ブレイク、君は例の新聞記事にあった警備員が騒いだ場所はどこだと思うかい?」
「明言はされていませんでしたが、左手の大通りに続く細い裏道に面した、背の低い格子の鉄柵の門のようでした」
「そうとも。あの警備員は門の向こうに逃げる人影がないかと確認していたし、鍵は持っていなかったのに拳銃を構えたまま門を乗り越えて、大通りの方まで走っていたからね。あの警備員の証言が激しく脚色されていなければ、あそこに見えるあの門だろう」
付属庭園の裏木戸といった風情の門は、人通りはなかったがこの時間帯は鍵も開いており、警備員の姿もなかった。
「宮殿の屋根が向こうに見えるな。もうすぐその先は国立図書館だ」
ジェラルドは視界が通る大通り側とは逆方向に足を向けた。
「僕が犯罪者なら見晴らしのいい通りより、曲がりくねった小道に駆け込むね」
適当に細い通りを選んでその辺りを歩いて回ったジェラルドは、とある店の前で感慨深そうに口笛を吹いた。
「ブレイク、帰りの列車で例の帽子は何色だと彼女は言っていたか、覚えているかい」
「やや赤みがかった濃い臙脂色。小振りな羽根飾りの中央の石はイミテーションガラスか良くてガーネットだと」
「その通り。そして僕は彼女が帽子を修理に出したのが、この店だったとしてもそれほど驚かないよ」
ジェラルドは上品な店構えの小さな婦人用の帽子店の入り口を見ながらニンマリ笑った。
博物館で急遽、後期の展示から外された宝石は、"太陽の炎"という名前の赤い宝石だった。




