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家に帰るまでが冒険です  作者: 雲丹屋
第10章 太陽の炎が消えた時

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輸入商

リージェントポートの輸入商の店には拍子抜けする程、問題なく到着した。


ジェラルドが「では僕はあなたの婚約者という建前にしましょう」と言い出して、ヴァイオレットが慌てふためいたのが一番のトラブルだった程だ。

親類でも婚約者でもない男が同行しているのは不自然だし、親類や親しい友人というには、あなたと僕は互いにまだ気のおけない態度は取りづらいから、勤め先の主人に無理やり薦められた婚約者ということにしておきましょう……などと言いくるめられて、ヴァイオレットはやむなく了承した。


「ねぇ、ヴァイオレット。君の手紙にあった商店はここのようだよ」

「……あの、ホーソン様。わたくしやはり」

「やだなぁ、僕のことはジェラルドと呼んでくれと何度もお願いしたじゃないか」

「いえ、しかし……」

「さぁさぁ、入ろう。そもそも今日訪ねることは連絡済みなんだ。先方もお待ちかねだよ」

ヴァイオレットが止める隙もなく、ジェラルドの従者が店の戸をノックしてしまった。短いいらえの後で開いた扉から顔を出したのは、船員あがりという感じの体格のいい粗暴そうな男だった。男は険のある目付きで表を確認して、自分より背の高い客にぎょっとしたようだった。

ジェラルドの従者の後方で、ヴァイオレットは、あのような男と一対一で話をしないですんだことにほっとして、内心で同行を申し出てくれたジェラルドに感謝した。

店の男もヴァイオレットの訪問のことは承知していたらしく、2、3の簡単なやり取りの後、ジェラルド達は店の2階の応接室に通された。




彼女らを出迎えた支店長は、四角い顎によく手入れされたあご髭をたくわえた男だった。彼は「お待ちしておりました」とにこやかに挨拶し、案内した店員を下がらせた。

支店長の話したところによると、タミルカダルの古美術商は老齢で店を畳むことにしたとのことだった。店じまいの前に得意客への挨拶や貯まったツケの精算、倉庫の整理をしている時に、ヴァイオレットの父親から預かった品もどうにかしたいということになったそうだ。

「あちらで処分して、料金のみこちらでお受け取りいただくというのでいいのではないかと言ったのですが、本人に無断でそんなことはできないと強く申しまして」

ならば品物をまとめて他の商品と一緒にこちらに送ってはどうかと提案しても、古美術商の老店主は首を縦に振らなかったらしい。とにかく本人にしか渡せないとの一点張りだったそうだ。

本人も奥様もすでに亡くなっていると伝えたところ、娘ならと譲歩はしたものの、必ず本人が来るようにと主張しているというから相当なこだわりだ。


「そういえば、娘本人であることを証明するために、父上から送られた"真実の愛"を持参するようにと指定されたのですが、何のことかわかりますか?愛情などという目に見えないものを証明に持ってこい、とはよく分からないのですが、あちらの店主はまるで物のように言っておりました」

「"真実の愛(トゥルーラブ)"というのは帽子のことだと思いますわ」

ヴァイオレットは少し思案してからそう答えた。

「父が母に贈ったもので、内側に"真実の愛(トゥルーラブ)"という刺繍がございます。母が愛用しておりましたが、母の死後は私が譲り受けました」

支店長は合点がいったという顔をした。

「なるほど。そちらの帽子は今、お手元にありますか?」

「はい。父母のものは大半を処分してしまいましたが、あれは手元に残しています」

「状態は良好ですか?その、被って出掛けられるかという意味で」

「ええ。大丈夫です。先だって奥様のお供で参りましたガーデンパーティーで被るために、帽子屋に直しに出したばかりです。そうですね……その席でお会いしたとある方から、帽子の飾りについた石が少し曇っているので、磨きに出せばもっときれいになると言われましたが、帽子本体は何も問題ないです」

「そうですか。帽子の飾りはその後、磨きに出されましたか?」

「いえ、それを仰られた方というのが、実は高名な鉱石の学者様なのだそうです。石の専門家の目で見て気になったということだと思いますわ。それほど高価な帽子でもないですし、飾りも帽子屋さんで整えていただいたばかりですから、そのままにしています」

ただ、汚れや埃はないように自分で拭く程度の手入れはしていると、ヴァイオレットは控えめな微笑みを浮かべた。




本人証明に関しては問題無さそうだと、支店長は満足そうに頷いた。

「もしご承諾くださるのであれば、こちらで人を用意して、現地までご案内させていただきます」

支店長の申し出に、ヴァイオレットは首を傾げた。

「ご親切はありがたいですが、どうしてそのようなことまで?」

「かの古美術商の店主は長く当社と取引のあった方で、これまでの恩義に応えたい……というのも確かにあるのですが、実はそれだけではありませんで。恥ずかしながら商売的な欲目も正直あるのでございます。私どもの方でも、それほど店主がこだわるコレクションというものが、どのような品か興味があるのですよ。お嬢様があちらでご確認された後、もし売りに出すと判断された場合は是非とも我が社を通していただきたいと思いまして」

ヴァイオレットは戸惑いを隠そうともせずに、支店長に尋ねた。

「たいそう高くかっていただいていることはありがたいのですが、我が家はそこまでの資産家というわけではありませんでした。確かにあちらに住んでいた頃は何かと古い品が飾られた家に住んでおりましたが、父はただの軍医でしかありません。そのコレクションといっても、そこまでのものではないと思われますが?」

「いえいえ、こういう商売では仕入れ値と実際のその商品の価値が一致しないということはよくあるのです。もしつまらないガラクタばかりであったとすれば、店主のあの頑なな態度は腑に落ちません」

支店長は「差し支えなければ是非ともご足労願いたい」とヴァイオレットに頼み込んだ。


「それにしても、タミルカダルまで行くとなりますと、たいそう期間もかかりますし、何より先立つものがいかほど必要になりますものやら」

王都からタミルカダルまでは、蒸気船と鉄道を乗り継いで片道1ヶ月はかかる。ヴァイオレットは躊躇した。父の遺品が幾ばくかの金になったとしても、往復の旅費にもならない可能性が高いのだ。それほどの長期旅行をするなら、現在の職は辞す必要があるし、失職したあげく無一文では洒落にならない。

「やはりこのお話は……」

断りかけたヴィクトリアに、支店長はあわててもう一つ提案をした。

「いかがでしょう?旅費については、当社で持つということでは。お嬢様がお父様のコレクションを手放される際には当社を通じて売りに出すと確約いただければ、チケットはこちらでご用意致します」

破格の条件に、ヴァイオレットは迷った。

「もちろん。一度ご用立てした旅費を後から精算してくれなどという無粋な申し立てをする気はございません。不安でしたら書面で契約を交わしましょう」

ここぞとばかりに畳み掛けてくる押しの強い支店長の勢いに呑まれて、ヴァイオレットはその条件を承知しかけた。


「失礼」

それまで隣で黙って聴いていたジェラルドが、ヴァイオレットを止めるように身を乗り出した。

「そんな契約は交わす必要はない。旅費は私が出そう。だが、そうだな。チケットは手配してくれたまえ。私と彼女、それに従者1名分だ。もちろん特等で頼むよ」

「ジェラルド様!」

ヴァイオレットはびっくりして、隣のジェラルドの顔を見た。

「当たり前だろう。我が婚約者殿を、さっきの店員のような荒くれ者と一緒に何十日も3等客室で過ごさせるわけにはいかないよ」

「いえ、でもわたくしは……」

狼狽するヴァイオレットに金髪巻き毛の色男は、とろけるような微笑みを向けた。

「一足早いハネムーンというのはどう……いや、失礼。もちろん結婚前に君に指一本不埒な真似を働く気はないとも」

ジェラルドは伸ばしかけた手を引っ込めた。なぜか背後から凄いプレッシャーを感じたのだ。笑顔でその場をごまかしながらそっと振り返ってみたが、後ろには彼の従者が何も聞いていないような顔で置物のように立っているだけだった。

ジェラルドは気を取り直して、てきぱきを話をまとめて、約束を取り付けた。

支店長は、このいかにも暇と金をもて余した有閑貴族風の若い男に、初めは不信そうな顔をした。しかし、潜在的上得意と見たのか、言われた通りに諸々の手配を請け負った。


気がつけばヴァイオレットは、勤め先の奥様宛の事情説明が書かれたジェラルドの手紙を手に、王都の勤め先の屋敷に戻ってきていた。

「なんてことかしら!」

奥様はヴァイオレットに3ヶ月の休暇を許した。

主人公、空気(重め)

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