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家に帰るまでが冒険です  作者: 雲丹屋
第10章 太陽の炎が消えた時

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依頼人

グロウスター通りの東にあるその下宿は、なかなか快適なところだった。灰色の建物は隣家と棟続きで、間口のわりに奥行きのある典型的なタウンハウスである。やや古典的なファザードはシンプルで、歩道から階段数段上がった玄関部だけが多少装飾的なデザインだった。

川畑は地下室の石炭貯蔵庫から炭入れの小振りなバケツを持って、建物と歩道の間の狭いドライエリアに出た。今日は朝から霧が濃い。階段を上がれば玄関脇だが、そのまま向かいの扉を開けて建物の地下室に入った。暗い廊下を通り、明かりとりの中庭のある台所の手前で階段を上がる。家主の未亡人が住む1階は、掃除が行き届いていてチリ1つない。古いがしっかりした建物は天井が高く、玄関前の細長いホールからまっすぐ上がる階段は1階から2階だけで17段もあった。

2階と3階が彼の主人となった青年の住む部屋で、居間とささやかなバスルーム、それから2つの寝室があった。通りに面した広い居間には大きめの張り出し窓があったが、あいにく今日は霧の向こうに馬車が行き交う通りの向かいの建物の影がぼんやりと見えるだけだ。

マントルピースの上の時計はもう朝とは言いづらい時間を指している。しかし、夜更かしで朝寝坊の主人はまだ起きてこない。裕福な身分の若い主人は特に定職があるわけでもないらしく、悠々自適の不規則な生活を謳歌している自由人だった。

来客がある予定の1時間前になったところで、川畑はさすがに主人を起こすべきだろうと判断した。彼は暖炉の火をおこし直して、家主のマーサ夫人に軽食の用意を頼んだ。




「ブレイク!着替えを手伝ってくれ。寝過ごした!!」

暖め直したポットと朝食の盆を手に階段を上ったところで、3階の寝室からあわてた主人の悲鳴が聞こえた。

「すぐに着替えをご用意します。そのままで結構ですから、ひとまず上からガウンだけお召しになって、朝食にしてください」

階段をかけ降りてきた青年はひどい格好だった。朝が弱いのか今一つ冴えない様子だ。

「たいして食欲はないんだが……」

彼は盆の上の食事に目をやった。

「おや、それはなんだい」

「バターをたっぷり塗ったマフィンの上に、ポーチドエッグ、カリカリに焼いたベーコン、ソースはオランデーズ。飲み物は濃くいれたコーヒーです」

「食べるよ。急に腹が減ってきた」

川畑は居間の小テーブルに食事の用意をした。


寝癖のついた金髪をあっちこっちにはねさせたまま、青年は居間の暖炉の前の椅子に座ると、小テーブルに出されたコーヒーカップを手に取った。

「熱い!何だってコーヒーをこんなに地獄みたいに熱くする必要があるんだ」

「目が覚めます」

「飲めやしないじゃないか」

「ではミルクをどうぞ」

「結局、毎回ミルクを入れる羽目になるんだから。そろそろちょうどいいコーヒーの温度を覚えてくれよ」

「お急ぎを。お客様とのお約束の時間まで間がありません」

大ぶりのカップになみなみとミルクを注ぎ足して、反省しない従者は何食わぬ顔で服を用意しにいった。

カップのサイズと最初のコーヒーの量を考えると、絶対最初からミルクを入れる気だったのに違いないと思い当たる程度に目が覚めてきた若い主人は、ぶつくさぼやきながら朝食をミルク入りのコーヒーで流し込んだ。


約束の時間になるころには、彼はすっかり身だしなみを整え、快活な好青年になっていた。

「よし、ばっちりだ」

「口の端を拭いてください。卵が付いています」

従者は主人の顔を、湯を含ませてから絞ったタオルでぐりぐり拭いた。

「ちょ、むぐ……お前、それ、さっき寝癖直すのに使ったタオルじゃないか?」

「未使用のものです。多めに用意したので」

タオルが載ったトレイを片付けた従者は「お客様がいらしたようです」と言って、階下に降りていった。

「……気はつくし、手際はいいんだけれど。なんかこう……今一つデリカシーが足りないんだよな」

青年が己の従者の残念さを嘆いていると、玄関の呼び鈴が鳴った。




「ようこそおいでくださいました。僕がジェラルド・ホーソンです」

青年は立ち上がって、居間に通された客人を出迎えた。

「ヴァイオレット・ウィステリアと申します。お忙しいところ、突然このようなお願いに上がりまして、不躾なとお腹立ちかと存じますが、どうぞお許しください」

やって来たのは品のいい若いご婦人で、良い教育を受けた発音で話す頭の良さそうな女性だった。控えめな暗い色合いの服は、流行りの型ではないが清潔できちんとしている。

「ウィステリアさん、どうぞ火のそばにお掛けください。今日はずいぶん冷え込みますからね」

「ありがとうございます」

青年と婦人は天気についての差し障りのない話題を2つ3つ交わしてから、本題に入った。

「それでご用件と言うのは?」

「はい。わたくし死んだ父にまつわる奇妙な手紙を受け取りまして、対応に悩んでおりますの。勤め先の奥様から、こちらにうかがえばご相談にのっていただけるだろうと伺いまして。何の面識もない方に個人的な問題をご相談するのはためらわれたのですが、わたくしにはこのようなときに助言をしてくれる両親や親戚がおりません。ですから聡明なあなた様にご協力いただければとお伺いしたのですわ。奥様はジェラルド様はたいそう慧眼で行動力があり、しかも大変ご親切だと仰っていました」

ジェラルドはまんざらでもない顔で、渡された紹介状に目を通した。

「アメリア様のご紹介とあれば、喜んでご相談に乗りますよ。詳しい話をお聞かせください」

「はい」

ヴァイオレット嬢は、ことの次第を話始めた。

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