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家に帰るまでが冒険です  作者: 雲丹屋
第10章 太陽の炎が消えた時

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購入

石畳に蹄の音が響く。

遠ざかる辻馬車には目もやらず、若い紳士は自信に満ちた足取りで、路地の奥に入っていった。あまり表通りとは言いがたい通りには、僅かに浮浪者や食い詰め者が薄暗い目をして座り込んでいたりするだけで、人通りは少なかった。

狭い通りを抜けた先はいびつな円形広場で、雑役夫らしき男が掃除道具の入った手押し車を押して出ていくところだった。若い紳士はあたりを見回した。小さな薄暗い広場にはすえた匂いが漂い、汚れのこびりついた石畳を行き交う人影はない。

「ああ、そこの君……」

彼は細い路地の入り口にいた子供に声をかけた。

「ここで"市"があると聞いて来たんだが、何か知っているかい?」

大人用の灰色の帽子を目深に被った子供は、渡された小銭を素早くしまうと「今日はない」と答えた。

「それは困ったな。どこかに"店"はあるかい?」

子供の灰色の帽子が僅かに揺れた。

「何が欲しいの?」

「何でもいいんだが、誰かにお勧めされたものじゃなくて自分で選びたいんだ」

「だったらピカピカに磨かれて飾られたものじゃなくて、誰も欲しがらないクズの奥から自分で見つけ出すといいよ」

子供はうつむいたまま建物の1つを指差した。




「この奥は旦那様のような方がお買い上げになるような身元の者はおりません」

中肉中背というにはいささか下腹に肉がつきすぎた奴隷商は、髪の後退した額の汗を拭きながら、若い紳士を止めようとした。

「かまわない。見せてくれ」

彼は店の使用人に奥に続く戸を開けるように言うと、薄暗い通路にためらいなく踏み込んだ。

「このような場所に旦那様ご自身でいらっしゃらずとも、ご希望をお申し付けくだされば、こちらでお見立てした者をご用意して、上の部屋に順番にお連れします」

あわてて後を追いながら口早に言う店主を無視して、若い紳士は通路の両脇に並ぶ地下牢のような作りの部屋を覗きながら進んだ。


「これで全部か」

青年の落胆を滲ませた声音に、店主は、だから言ったではないかと言わんばかりの顔で慇懃に退出を勧めた。

「待て、あの一番奥の扉は?」

「……あれは物置です」

「明かりを」

格子の入った覗き窓から扉の奥を覗いた青年は顔をしかめた。

「なぜこんなところに閉じ込めている」

「……上客に無礼をはたらいた凶状持ちでございます。頑固者で言うことを聞かない上に、すぐに揉め事を起こすので手を焼いておりまして」

「ここを開けろ。どんな奴か見たい」

「お止めになった方がよろしゅうございます。耳が悪いのか頭がイカれているのか、口をききませんし、暴れると手がつけられません。体は大きいですが、労役に使うならもっと従順な者がおりますよ」

青年は覗き窓の奥をじっと見ながら、なにやら思案していたが、店主にお勧めの数名を用意するように命じた。

「それにこの男もだ。他の者と同じように多少身綺麗にさせてから連れてこい」

「……はい」

店主は渋々承知し、使用人に用意を命じた。




デッキブラシのようなもので体を洗われ、頭から蚤取り粉だか消毒薬だかを振りかけられて、粗末な下履きを与えられた川畑は、鎖をじゃらじゃらいわせながら階上の応接室に連れてこられた。もともとここでは最下級の待遇だったが、特殊性癖の変態貴族に十把一絡げに払い下げられかけた時に反抗して以来、扱いがさらに悪化していた。

「(この店、客筋が悪すぎるだろう)」

本命が来る前に変な客に引っ掛からないよう、できるだけ目立たないように息をころして不良在庫を決め込んでいた川畑だったが、なぜかたまに変な趣味のエロ親父や傲慢な貴婦人がやって来て"反抗的"な奴隷を見たいと言い出すのには閉口した。その度に翻訳さんに印象操作をお願いして全力で相手の購買意欲を削いでしのいで来たが、そろそろ精神的に限界だった。

「(この際、本命かどうかわからなくても、相手が変態じゃなきゃ、いったん就職しよう)」

そう決意した川畑は翻訳さんによるごまかしのレベルを調整した。


応接室にいた客は20代前半とおぼしき男で、華やかな金髪の巻き毛を綺麗に整え、良い服を上品に着こなしていた。明らかに上流階級の若様で、なんの生活の苦労もない身分であることが一目でわかった。整った顔立ちは女受けする甘い雰囲気で、影がなく快活。夜会でもどこでも相手には事欠かないタイプだ。

彼は目の前にひざまづく数人の奴隷を順番に検分していた。

小突かれて列の一番端に並ばされた川畑は、無遠慮に青年の様子を観察した。

「(こいつ奴隷になんの興味もない顔をしているな)」

店主の売り文句を聞き流しながら、冷めた目で一人一人の様子を確認している青年は、ひどくつまらなさそうだ。市でもない日にわざわざ店を訪ねて来た客とは思えない。

紹介されているのは店でも上質の部類の奴隷で、家の事情でやむなく売られた元貴族の子弟だの、戦争捕虜崩れの元軍人だの、素性や技能が保証された折り紙つきの人材だった。彼らはここでも比較的まともな扱いを受けているので、清潔で身なりもしっかりしている。上客そうに見える青年に気に入られようと質問にも素直にハキハキと答えてアピールしている。

「(これはダメか)」

川畑は早々に就職を諦めた。

店主の口上を聞く限り、この青年が求めているのは従者か屋敷の使用人だ。反抗的で無学という体裁で通してきた川畑には相手へのアピールポイントがない。

案の定、店主は川畑の手前の奴隷の紹介が終わったところで「以上です」といい、青年も川畑には目もくれなかった。おおかた、興味本意で連れてこさせたものの、明るいところで並べてみると思ったより見劣りしたのでガッカリしたのだろう。


気分転換にはなったなと思いながら、川畑がまたあの独房に押し込められる覚悟をしていると、青年がポツリと「窓の外のあれはなんだろう?」と呟いた。川畑は振り替えって窓の外を見たが、向かいの軒に小鳥がいるだけだった。

「"それは私と雀は言った"」

青年は口の中でぼそりとそう自己完結した。

「(コマドリ殺しかよ)」

川畑は思わず心中で突っ込んでしまった。この世界はかなり文化的な相似点が多いが、詩の類いも共通するものがあるらしい。久しぶりの文化的なフレーズが嬉しくて若干口の端が緩むが、笑うのも不敬だろうとすぐに素知らぬ顔をして頭を垂れた。


青年は店主お勧めの中から、十代半ばの少年と体格のいい元軍人の二人を選んで価格交渉に入った。常道の低すぎる見積もりと高すぎる要求金額から入って、慣習通りに落とし所を探る。多少でも色をつけてもらおうと美辞麗句を並べる店主に苦笑しながら、青年は引き立てられて行く川畑をちらりと見た。

「ならばその金額で、あの持て余し者も合わせて引き取ってやろう。こちらのわがままで用意させてしまったついでだ」

通常の落とし所を考えると、この時点での提示価格は見切り品の奴隷の価格を足しても、十分利益がでる金額だ。店主はこの金払いのいい若い相手にもう少し価格をつり上げられるかどうか素早く脳内で検討したが、下手にごねてこの客の機嫌を損ねてもつまらないと判断して、その条件で手を打った。




連れてこられたのはダブルフロンテッドの大きな屋敷だった。砂利の敷かれた短い私道の先の玄関で馬車から下ろされた川畑は、他の二人の奴隷と違ってそのまま家には上げてもらえず、玄関前で使用人に引き渡された。

「不衛生だな。それに臭い」

川畑を買った青年は、何が楽しいのかニヤニヤ笑いながら、そう言って川畑を風呂でよく洗うようにと使用人に命じた。

「(まともそうな人に見えたんだけど……新手の変態だと嫌だなぁ)」

坊っちゃんがドブに落ちた犬を連れ帰ったという感じの反応の使用人に連れられて歩きながら、川畑はとりあえず風呂に入るのは賛成だと思った。

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