小話: 塔の少年と烏⑦
「どうした?怪物」
一分の隙もない服装の黒髪の男は、座り込んだまま立てない川畑に近づいた。背筋を伸ばしたまま、きれいな所作で腰を屈め、川畑の顔を覗き込む。
「何か迷いや悩みがあるなら、力を貸してやろうか」
男は、鳥の仮面で被われていない頬から顎に指を這わせると、川畑の顔を上げさせて、自分の方を向かせた。虚ろな表情の川畑はぼんやりと男を見上げた。
「名を持って、血の契約を結べ。さすれば、お前に協力してやろう」
「あ…」
古き一族を統べる男は、その冷たく整った顔を、川畑の顔の正面に寄せた。
「お前の名は?」
「俺は……」
「ダメだ!」
悲鳴のような叫びと、金属製の燭台と杯が石の床に落ちて転がる音が、奥の間に響いた。
「彼に手を出すな!」
飛び込んできた少年は、古き一族の男と川畑の間に無理矢理割り込んで、川畑を床に押し倒した。自分の体で可能な限り川畑を隠そうとでもいうように、少年は川畑の腹の上に座って大きく手を広げて、古き一族の男を睨み付けた。
「ほほう……お前があの男の末裔か」
男は一度身を引いて、その赤い眼で少年を値踏みするように眺めた。
「血を濃く継いだな。その燃えるような青い目は初代によく似ている」
このような者を、単なる贄として、飢えた未熟者どものエサに投げて寄越すとは、玉座というのはほとほと人の頭を腐らせるものらしい、と古き一族の男は嘆いてみせた。
「感謝するのだな。お前のその資質、そこな怪物がいなくば、そうして育つことはなかっただろう」
「わかっている。彼は僕の恩人だ。だから、お前が彼に触れることは絶対に許さない!」
あと少しで大人になる年齢にやっとなったばかりの少年は、人の何代分もの歳を経た男に、一歩も引かぬ決意で立ち向かった。
「お前の契約者は僕だ。僕の血を以て僕の命に従え」
男は面白そうに少年を見下ろしていたが、その言葉を聞いて、悠然と手を差し出した。
「傲岸さも継いだか。いいだろう。我に血を与え、我が血を受けよ。汝を我が契約者として認めよう」
少年が男の手をとろうとしたとき、川畑は身を起こして後ろから腕ごと彼を抱き締めて止めた。
「止めてくれ……この子は…この子は見逃してやってくれ」
川畑は顔を伏せたまま、絞り出すように途切れ途切れの小さな声で懇願した。
「やっと最近、背が伸びて…食べる量も増えてきたんだ……それでもまだ体が弱くて無理はできなくて……お願いだから、この子は無事に……」
少年は川畑の震える腕に手を添えた。
「大丈夫。僕はもう一方的にあなたに守って大事にされなくては生きていけない子供ではないし、あなたを守ることだってできる。それに古き一族との契約は僕と僕の一族の話だ」
川畑は背を丸めて、少年の薄い肩に顔を埋めた。
「俺は……今ここに居るのに、君を守れないのか」
「異界の者よ、手を離せ」
古き一族を統べる者は、冷たく告げた。
「その者は契約を以て我が庇護下にはいる」
川畑は無力感に歯を食い縛った。
少年は川畑の強ばった腕をそっと撫でた。
「ありがとう。手を離して」
腕は緩まず、少年の肩に押し付けられた頭が僅かに横に振られた。
「何を躊躇う。この者の安全はお前の望むところでもあるのだろう?心配なら共に来てもよいぞ。お前は面白そうだ」
川畑は大きく息を吸い込んだ。そして、がばりと顔を上げて、男を睨んだ。
「この子はまだ子供だ!」
少年はムッとして、自分を抱えたまま離さない川畑の横顔を見上げた。
川畑は厳しい表情で叫んだ。
「俺というファクターがあるこの異常な状況で雰囲気で丸め込んで怪しげな契約をさせようったって許せるわけがねーだろうが!人生決める契約をしたいってんなら契約内容を書面で提供して説明会の場を設けて質疑応答受け付けた上で保護者の了承得やがれ!こんちくしょー」
特に国家の安全保障が関わる案件なら、国の法務部と軍事トップの意見なしで決めたら、絶対に後で揉めるぞ!だの、根回しの段取りなしで重要案件決定すると貴族社会はめんどくさい、だの捲し立てた川畑を、黒髪の男は呆気にとられて見ていたが、堪らずに声を上げて笑いだした。
「面白い。だが、今は時間がないぞ。夜明けにこの者が神殿をでなければ、迎えが来る」
「だったら、日を改めろ。この子が落ち着いてよく考え直して、十分に信頼できる相談者を確保し、しっかりと自分で判断できるようになるまで、この話は仮としろ」
「なるほど……大人になるまで待て、と?」
「ここの成人年齢が何歳だか知らないが、こいつはバカじゃない。この場の雰囲気に流されなきゃ、冷静な判断の元に必要なことは手配できる。機をみるのが重要なら、成人年齢に達するかどうかは問わん。この子がまっとうに判断できる準備が整ってからにしてやってくれ」
川畑は男を睨みながら低い声で続けた。
「それにお前、元の古い契約の話をするときは"我々"で話すくせに、今持ちかけている契約の話は全部"我"じゃないか。何か条件が違うんだろう?そこのところを曖昧にしたまま、勢いで押しきられちゃたまらん」
黒い男は苦笑した。
「心が折れたような様だったのに、喰えん奴よ」
「どうせこいつが思ったより初代とやらに似ていたんで個人的に気に入ったんだろう。一族のうるさどころに見つかる前に抜け駆けする気じゃないのか?優先的に契約を持ちかけたいなら、きっちり契約できるまで、こいつを人間の敵からも、お前の同族からも守った方がいいぞ」
「まったく、異界の化け物は本当にタチが悪い。悪魔や魔物という呼称はお前達こそふさわしいだろう」
男は眉間を押さえて嘆いた。
「いいだろう。契約とは別に協力はしよう。身の安全を確保できる程度に社会的な力をつけてもらうのは、こちらとしても都合がいい」
川畑は腕をほどいて、少年を解放すると、その両肩に手を添えて、彼が立ち上がれるように、そっと後押しした。
少年は立ち上がると、戸惑いながら振り替えって、鳥の仮面を被った怪物を見下ろした。
「僕は、叶うならこれからもずっとあなたとありたい」
怪物は項垂れて首を振った。
「何か制約があるのだな?異界の怪物よ」
古き一族の男は川畑に尋ねた。
「お前はどのような約定に縛られている」
「……彼とはもう言葉を交わせない。そして夜明けにはここを発つ。ここに来る道標は今夜を最後に俺のもとから失われる」
「私にこの者への協力を約束させてから、それを明かすか」
「すまない。俺は無責任で……なにもできない」
「まったくだ」
古き一族の男は腕を組んで鼻を鳴らした。
「そんな事はない!あなたは最後まで僕を助けてくれた。今の僕はあなたがいたからこそある」
「……俺は俺のしたことの結果を自分であがなえない。全部押し付けていなくなるだけなんだ」
川畑はこれは独り言だと言うように視線を外したまま呟いた。少年はそんな誤魔化しを許さず、まっすぐに自分の気持ちをぶつけた。
「あなたは僕を助けてくれた。その事を後悔させない!助けられた僕がどう生きるかで、あなたの正しさを証明してみせる」
そのまっすくな言葉と瞳を無視できなくて、川畑は禁を破った。
「どうか負わないでくれ……自分で自分の人生を決めるなら、俺を勘定にいれちゃダメだ。俺は世界から外れてしまった者なんだ」
「だったら、あなたの名を教えて。あなたは何?なぜ鳥の姿をしているの?……それを教えてくれたら、僕はあなたを名前のついた思い出にできる」
川畑はためらった末に答えた。
「この鳥の名は"暁烏"。夜が明ければ消える鳥だ」
項垂れた川畑の、鳥の仮面で覆われた額に、少年はそっと触れた。
「"夜明けをもたらす者"、あなたに誓います。僕は夜が明けた世界を生き抜きます」
彼は少年の手を両手で取ると、祈るように額を押し当てた。
「願わくば君の人生に幸多からんことを」
彼は起き上がると、床に転がっていた燭台と杯を拾い上げ、少年に手渡した。彼が手をかざすと、蝋燭には明かりが灯り、杯には清水が満たされた。
「さようなら」
"デイブレイカー"は夜明けと共に消えた。
「約束を破りましたね?」
帽子の男は珍しく怖い顔で言った。
怖い顔と言っても、彼にしては……というレベルなので全然迫力はない。元がインパクトの少ない顔過ぎるのだ。それでも川畑は弾かれたように立ち上がると、帽子の男に向かって直角に腰を折って深々と頭を下げた。
「すまん!会う気はなかったし、話すつもりでもなかったんだ。でもあそこで返事をしないわけにはいかなくて」
「やっぱり破ってたんですね」
「ちくしょう、カマかけか!?汚ねぇぞ」
「反省してください」
「……はい」
帽子の男は高い位置から川畑を見下ろした。
「ペナルティが必要ですね」
「え?」
「何かきつい任務を見繕ってもらって来ます」
「ええっ!」
川畑が自分の部屋に戻るまでには、まだまだかかるようだった。
ここの前半を書いている時点で気がついた。
「あれ?この話、川畑じゃなくてなんかいい感じの女主人公設定してたら、現地に残ってハッピーエンドの恋愛短編にできたんじゃね?」
遅かった……。
塗り壁男が配置されているせいで、恋愛要素ゼロ、シリアスなシーンの絵面が完全にコメディに。
……あ、コメディであってた。
というわけで、感想欄で読者様に「学べよ……」とまで言われた迂闊な主人公が徹底的にへこまされる話でした。(かなり懲りた模様)
次回、反省作文もといペナルティ任務に派遣されます。
川畑は反省を生かして最後までおとなしくしていられるか!?(主人公本人の反省の有無にかかわらず、エンタメ的に派手なシーンをいれたい作者の都合により外的要因が押し寄せるため望み薄)
次章までまたしばらくお時間いただきます。
冒険活劇とかスチームパンクとかも、アクションと爆発多めでいいですよね。




