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家に帰るまでが冒険です  作者: 雲丹屋
第9章 それはいつまでも続くと思っていた刹那

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小話: 塔の少年と烏⑥

「お前の前で醜態をさらした一族の愚物どもは粛清した」

紳士然とした男は、埃を払った程度の何気なさで、そう告げた。彼の綺麗に撫で付けられた黒髪は一筋の乱れもない。ランプの光で半分影になった顔からは、なんの表情もうかがえなかった。


「こちらとしては、事をこれ以上荒立てるつもりはない」

「手を引くということか」

「そうだな。これほど契約の不成立が続けば、我々としてもこの古い面倒な約束に縛られる理由はなくなる」

川畑はぎょっとして男を見た。男は胸に差していた飾り羽根を石像の前に置いた。

「その意味ではお前に感謝してもいい。実際、不公平極まりない契約だったからな。わずかばかりの血の提供で、かのものの末裔を守るというのは」

「……末裔を守る?」

「勝手に広義に解釈されて国ごと守らされたのは不本意だが、初代国王(あの男)との約束だから仕方がない」

川畑はゾッとした。

この先一年以内に、この国は敵国の侵攻を受け、王都が陥落する。


「まさか……俺の介入のせいで国が滅びるのか?」

「さあな。滅びるかどうかは奴等次第だ」

青ざめて言葉を失った川畑の方を見もせずに、男は爪の先を拭った。

「気になるならば、お前が守れば良いではないか。我々の契約の代わりに」

川畑は答えられなかった。

感情移入した1人のために、大量殺人するような真似をするなと忠告する帽子の男の声が、頭の中をぐるぐると回って吐き気がした。


「どんな契約だったんだ?」

かろうじて絞り出した問いへの答えは、川畑の想像と違っていた。

「あのもの達は直系の血筋の1名を毎年ここに寄越す。我々はそれが気に入ったならその血を得る。気に入らなければ、そのまま返す。血を得ても返しても我々はかの国を守る」

「血を啜るのか?」

黒髪の男は蔑みの視線を川畑に向けた。

「下賤の発想で愚弄するな。我らが必要な"血"とは、体液のことではない。生命力や活力とも言うべき無形の力だ。あの男の末裔、特に直系の血族はその力が強い。健康な成人ならば我らが求める量を与えたところで死ぬことはない」

「だが、あの子はほんの小さな子供だった」

「そこが奴等の狡猾なところだ。わざと弱い幼子を選んできおる。しかもタチの悪いことに丹念に弱らせてからここに寄越す念のいれようだった。いっそ病気ならば契約違反で代わりを要求できるが、それもできぬ。あれでは我らとて手を出す気にはならん。うっかり死なせれば何年分ものペナルティが課せられるからな。まったく腹立たしいやり口だ。我らに与えず、益のみを享受する。そうやって弱らせて扱いやすくした我らを、配下に置いて隷属させるつもりだったのだろうが、小賢しいことよ」

川畑はその場にへたりこんだ。

「では、俺のしたことは……」

男は川畑の前に来て、彼を見下ろした。

「感謝してもいいと言っただろう」

男の薄い唇が弧を描いた。

「お前のおかげで、我々はたっぷりと濃い血を得ることができる」




神殿での儀式の大半は祈ることだ。

特別な杯に清水を汲み、台座に供えて、大小の燈明に火を灯して、冷たい石の床で祈る。小さな敷物を一枚敷くことは許されているが、長時間の礼拝はとてもつらい。小さな頃は耐えられずうずくまって泣きながらしばらく眠ってしまったこともあった。

怪物と仲良くなってからは、そういう時はいつもあの怪物が抱っこして守ってくれている夢を見た。本当に来てくれていたのかどうかはわからないが、彼がいてくれると思うだけでも寂しくなくて、僕は救われた。


小さい方の燈明の火が消えると、祈りの時間は終わりだ。古風な燭台の蝋燭に火を灯して、暗い通路を通って、奥の間に水杯を持って行かねばならない。

奥の間に"古き一族"が居れば、杯を受け取ってもらいその言葉に従う。受け取ってくれるものが居なければ、杯を祭壇に捧げたあとで、その水を持ち帰る決まりだ。


最初の年に奥の間にいた"古き一族"達は、顔をすっぽりと覆う奇怪な頭巾を被っていて、袖や裾の長い白い装束をまとっていた。彼らは僕を見るとがっかりし、嫌悪を隠すことなく罵りの言葉を残してその場を立ち去った。

次の年は人数が減り、そのあとは奥の間には誰も来なくなった。


僕は今年もまた誰もいないだろうと思いながら、奥の間に向かった。

おそらく今年がこの儀式を自分が行う最後になる。これまで一度も杯を受けられることなく、すべて持ち帰った僕は"古き一族"の意に沿わぬものであり、そのようなものを10年続けて儀式に送るのは禁止されていた。

本当は今年はもう交代のはずだったが、出発の瀬戸際でまた僕になった。果たして10年目は良いのかどうかの解釈で、僕の"次"の贄となる子供の親である現国王がごねたらしい。僕の父や兄達を廃して王位を簒奪した男も、人の親という情は我が父よりもあったようだ。強力な集権政治を行う王の周りには追従する臣しかいない。爛熟した宮廷で古いしきたりを厳密に守ろうと主張して、王の機嫌を損なおうとするものはいなかった。


もう一度、怪物に会いたかった僕は喜んで塔にやって来た。無邪気な怪物はいつもの年と同じように僕を迎え、今度来たときはこんな遊びをしようだの、次はこんなケーキを作ってくるだの楽しそうに語った。

僕は怪物をがっかりさせたくなくて、今年が最後になるだろうとは言い出せなかった。

何年経っても年を取らない怪物は、いつまでも僕を小さな子供扱いして、甲斐甲斐しく世話を焼き、子供だましな嘘で自分が何者かを誤魔化していた。心と体が大人になるにつれて、僕は怪物のそんな態度にどこかで苛立ちや物足りなさを感じていたのかもしれない。

怪物を今がっかりさせたくない気持ちと同じくらい、来年、僕が来ないことを知って落胆する彼を望む心もあった。もしかすると、優しく子供好きな彼は、新しい贄となった子供を可愛がって、僕のことなど気にしないかもしれない。そう思うと胸がとても苦しくなった。別れを告げて、彼がなんの感慨もなくそれを受け入れるのは見たくなくて、僕は黙って最後の夜を彼と過ごし、その姿をしっかり胸に刻んだ。


最後の儀式のために、僕は蝋燭の小さな灯りを頼りに、暗い通路を歩いていた。通路を半ば以上進んだところで、奥から吹いてくる風で蝋燭が消えた。

これまでなかった事態に僕は驚いたが、怪物に教えられたことを思い出して心を落ち着けた。暗闇の中で今の自分の状態を確認する。

大丈夫、怪我はないし呼吸も鼓動も落ち着けられる。床はしっかり踏みしめているし、変に動いてもいないから方向もわかる。この通路は一本道で迷う心配はない。このまま戻って祈りの間に行けば、もう一度問題なく蝋燭に火を灯せる。

踵を返そうとした僕は、通路の奥から話し声がすることに気がついた。闇になれてきた目が、奥の間の方から洩れるうっすらとした明かりを拾う。

僕は怪物に習った方法で足音を忍ばせながら、こっそりと奥の間に向かった。

なに教えとんねん。

(かくれんぼとかがちょっと高度なテクニックで行われていました)


いかん。コメディタグが仕事できなくてつらい。

この短編こんなにシリアスにするつもりなかったのに。黒髪オールバックの古き一族の人がシリアス時空を発生させている。


おわかりかと思いますが、実のところ、主人公は戦争と王国の推移に関して大して影響を与えていません。少年を助けなければ、彼は10年死にかけのガリガリで飼い殺されて、やはり血の提供は行われません。どのみち契約は不成立になります。

そんな事知るよしもないので、主人公は絶望的な気分になっていますが……。

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