閑話: お部屋探し
インターミッションです。
何のようかと尋ねられたので、目下最大の問題を答えた。
「部屋を探してるんだけど」
「うちは不動産屋じゃないよ」
無愛想にそう答えた相手が"不動産屋"なんて言葉を知っていたこと自体に、川畑は驚いた。
「"賢者"がいると聞いて伺いました。あなたがそうですね」
相手は小さな子供に見えたが、異界の生き物の外見なんて、人間の基準で考えても仕方がないのを、川畑は学んでいた。
「自分で賢者を名乗るほど愚かではないが、人がそう呼ぶのをいまだに止めさせられない程度に愚かな愚者だよ」
「韜晦がストレートで分かりやすいのはありがたいです。川畑といいます。よろしくお願いします」
「お前はうちに用があって来たのか、私をおちょくりに来たのか、どっちなんだ?」
"賢者"モル・ル・タールは口を尖らせた。
そこを訪れることになったきっかけは、妖精王のところの居候だった。
彼はどこぞの皇子らしいが、どこから来たのやら、妖精王にも川畑にもわからなかった。唯一の手がかりの妖精女王は休息中で、妖精王としては、面倒な話を妻のところに持ち込まずに、さっさとかたをつけたいようだった。
「賢者モル・ルなら、知っているかもしれない。三千世界の森羅万象を知ると聞くぞ」
キラキラのビジュアルの妖精王が仏教用語を喋る違和感は凄かったが、意味はなんとなく判ったので、翻訳さんの意訳なのだろうと、ツッコミを入れるのは止めた。
「その手の噂は話半分だとしても、そもそも簡単に会えるようなところにいるのか?その賢者は」
「人間が簡単に行けるところではないが、たまたま余は以前世話になったことがあってな。行き方は知っておる。お前なら行けるだろう」
宮殿のテラスに並べたカウチで、軽食をつまみながら妖精王と川畑が打ち合わせをする隣では、くだんの皇子が湯あみを終えた髪を妖精に乾かさせながらはしゃいでいた。
「おお!我が魂の主が、私のために艱難辛苦を乗り越えて冒険の旅をしてくれるとは!」
「黙れ」
「いいから、さっさと服を着ろ」
「着せてくれ、私は着替えなど自分でしたことがない」
げんなりした様子の妖精王が手を降ると、妖精達は服を着せるために皇子を別室に連れていった。
同じくげんなりした様子の川畑と顔を見合わせて、妖精王は賢者に会いに行く方法の説明を始めた。
「という訳で、妖精王のご紹介に与りました。あ、これ差し上げます。桃のジャム。この瓶は妖精王秘蔵の逸品で、"子供には毒だから"とかぬかしやがるのを無視してぶんどってきた奴です」
「ふぅうん。お前と妖精王の関係が今一つわからないが、とりあえずその土産はいただいておこう」
モルは顔をほころばして土産の入った籠を受け取った。
「面倒なお願い、お引き受けくださりありがとうございます」
籠を渡した川畑がすかさず畳み掛けた礼の言葉に、モルの笑顔が固まった。
「なんて?」
「報酬をお受け取りくださり、本件お引き受けいただきまして誠にありがとうございました……と」
モルは口をへの字にした。
「……お前と妖精王の関係がだいたい分かったぞ。お前相当あ奴をコケにしただろう」
「何べんか殺されかけました」
「難儀な性格だなぁ……。ああ、もうその使いなれて無さそうな敬語は止めてくれ。慇懃無礼にしか聞こえない。それで、頼みというのはその皇子とやらのことでいいのか?」
「いや、それは解決した」
あのあと、妖精女王が起きてきて、妖精王と犬も食わない夫婦喧嘩を始めたので、ノリコの言葉を引用して仲裁した結果、邪魔な皇子は無事お役ごめんになって、女王によって里に送り返されたのだ。
「だから、そんなのはどうでもよくて目下の問題は、俺の部屋なんだ」
「うん。そんなの扱いはちょっとかわいそうじゃないかと思ったが、まあいいや。お前の部屋がどうしたって?下宿先でも探してるのか?」
「下宿先に引っ越したんだが、戻れない」
「ああ。お前、迷子なのか。見たところ"地球19~21世紀"系列っぽいけど、妖精に拐われたのか。それにしては、こんな辺境世界の地方言語を流暢に話すってのが腑に落ちないが……」
「ああ、言語は時空監査局でリアルタイム翻訳してもらえてるから」
川畑は、出力側の翻訳をOFFにした。
「翻訳なしだとこんな感じだ」
「一応、分かる。"日本人"だな」
「凄いな。さすが賢者。分かりにくいときは言ってくれ、こっちはどの言語でも手間は変わらない」
「時空監査局の多元翻訳機構なら多少協力した。そのままでいい。で、どこに戻りたいんだって?」
川畑は、この一連の騒動に巻き込まれて初めて、まともに話ができそうな人が現れたことに安堵した。
下宿の住所と、最後にそこを出た日時を伝え、問われるままに、いくつかの常識問題に答えた。
「だいたい絞り込めたんだけど、決め手にかけるなぁ。仕方がない。髪の毛1本寄越せ」
川畑が怪訝な顔をすると、モルは面倒くさそうに説明した。
「時間結晶って概念は知っているか?」
「小耳に挟んだ程度には。論文は読んでないから正確には理解していない」
「いいよ。どうせ正確には違うから。物や体の中には、そのものが通過した時間なんかの影響が残る部分があってね。それを精密に分析するとどこの世界から飛ばされてきたのか分かることがあるんだよ」
川畑は賢者が歌い出したりせずに、まっとうな説明をしてくれることに感動した。
「髪の毛1本でいいんだな。これでよろしくお願いします」
「ちょっと待ってな」
モルは川畑に椅子をすすめると、部屋の奥に行った。
川畑は改めて部屋の中を見回した。
古い木の梁や柱が目立つ天井の高い洋風の部屋だ。雑然といろんなものが置いてあって、天窓から差し込む光とランプの明かりで埃がチラチラ光っている。薦められた椅子は木の丸椅子だが、賢者の座っていた椅子は、いかにも座り心地の良さそうな大きな椅子だった。その椅子から手が届く範囲にものが積みあがっているのが、賢者の日頃の生活を物語っていた。
モルは背伸びして、奥の棚から水差しやらガラス瓶やらを持ち出して、小皿に載せた髪の毛を水と薬品できれいに洗った。
ついでにお湯を沸かして、お茶を入れる。もらったジャムを一匙掬って、カップに添えた。
「運ぼうか」
「お、すまんな。じゃあ、お茶は椅子の脇のテーブルの上のものをちょっと寄せて、おいとくれ」
モルは髪の毛の入った小皿を持って椅子にちょこんと座った。
髪の毛をつまみ上げて、まじまじと見つめる。
「うええ。改めてみると、硬くて太くて真っ黒だな。やだなぁ」
青灰色の柔らかそうな髪をした小柄な賢者は、一度、川畑の方をちらりと見上げた。
「お願いします」
何をどうする気なのか興味津々で、川畑は椅子の正面に座って、モルをじっと見つめた。
「うう……仕方がないなぁ。やってあげるよ。……あーん」
モルは口を開いて、舌を突き出した。そのまま小さなピンク色の舌の上に髪の毛を乗せて、パクンと口を閉じる。
「えっ?」
予想外の展開にあわてた川畑をよそに、モルは目を閉じて口をモゴモゴさせながら、なにやら難しい顔をした。
「おい、大丈夫か。そ、そんなもの舐めて」
「んべぇ、苦い……薬で洗ったの失敗した」
モルは涙目で川畑を見上げた。
「早く吐き出せよ」
「ううう、間違えて飲んじゃった。喉がイガイガする。目で視るだけより、体に取り込んで調べる方が解るんだけど……あんまり解らなかった。ごめん」
「うわぁ、想像以上に体はる調査方法だな。無理すんなよ。気持ち悪かっただろう。ほれ、茶飲め、茶。ジャムもあるぞ」
カップの茶をすすりながら、川畑が差し出す匙をじっと見つめて、モルはきまり悪そうに口をむにむにさせた。
「指を出せ」
「今度はなんだ」
「指を出せといってるんだ。お前の体は解りにくい。髪の毛程度では判別できん」
「俺を喰うな!そうそう指なんて切り落とせんわ」
「誰が切って寄越せと言った!?」
モルは顔を赤くして叫んだ。
「ちょっとの間、咥えるだけだ。このままなにもわかりませんでしたで引き下がれるか!」
「お前、意地の張り方間違えてないか?止めとけよ。不味いぞ」
川畑はつい、小さい子をなだめるように言ってしまった。
「うるさい!さっさと手を出せ。ほら!そこじゃ遠いから、ここに座って!」
むきになったモルは、川畑の手を引っ張って、無理やり自分の椅子に座らせた。
「ふん!こんなもの、こうすれば苦くないんだ」
そのまま川畑の脚の間に座ると、大きな手を抱え込み、人差し指をジャムを塗りたくってから咥えた。
「お前、実はバカだろう」
「うるひゃい、だまれ、しゅうちゅうしゃせりょ……」
"賢者"に指をちゅうちゅうしゃぶられるという、なんとも間抜けな状況に陥って、川畑は途方にくれた。
「(ふれあい動物園って、こんな感じだったっけ)」
右手の人差し指をえんえんと甘噛みされながら、空いた左手で目の前にある頭をなんとなく撫でる。
たしか、モルモットのふれあいコーナーには"動物の口元に指を出してはいけません"という注意事項があった気がする。
"賢者"は動物に含まれるか、という命題を考えながら、手入れの悪い髪を適当にすきながら撫でていると、モルの頭がぐらぐら揺れ出した。
「(こいつ寝てんじゃねぇか?)」
一応、咥えられた指の辺りに精霊力に似た力がかけられているのは感じる。だが、あるかなしかの力での干渉は正直じれったかった。
「(協力したら、早く終わるかな)」
小柄な体を膝の上に抱え直す。姿勢が安定したせいか、小さな体から力が抜けた。
川畑は、彼女の精霊力っぽい力の流れが最適化する位置を探って、そこに自分の力をアクティブに流し込んだ。
「死ぬかと思ったわ!ボケぇ!!」
「すみません。はい、おしぼり」
「トランス中の他人の口の中いじり倒したあげく、アホみたいな量の魔力ドバドバ流し込むとか、正気か!?」
「悪い。加減を間違えた」
「加減の問題か?最初っから、止めぇ!!」
川畑はモルの顔を拭きながら、しみじみと言った。
「途中から構成が解ってきて反応のパターンが掴めてきたから、ついついリピートしてしまって。確かにあのシステムなら中央軸付近まで試料を入れると解析精度が上げられる。いやぁ、面白かった。先生、天才だな」
「ふぐぐ……人を人とも思わぬ所行をしよって、何が先生だ。お前の中で私のイメージどないなってんねん」
「モルモット?」
「実験動物ちゃうわ!!」
こんな連想がパッと出てくる程、川畑が帰りたい世界の文化を知ってるようだ。
「さすが賢者の言葉は深い。……おっと、胸元まで汚れてるな。着替えは…これでいいか。さぁ、着替えるぞー、両手上げろー」
流れるように着替えさせられたモルは頭を抱えた。
「自尊心が殺される~。デリカシーのない細やかな気配りすんなぁ~」
「あ、自分でやりたい年頃だったのか。すまん」
慰めるように頭を撫でられたモルは、両手で顔を覆った。
「結局、何かわかったのか」
「お前みたいなのが、どうやって出来上がったのか、さっぱりわからん」
賢者モルはため息をついた。
「身体の作りは、あの何十億人も主のいる巨大世界の"物理"固めなんだが、それがなぜかこうやって他所の世界に来ても維持されている。まるでコーティングされてるみたいに外部からの干渉はほとんど受け付けないくせに、妖精王クラスの魔力は任意で放出って、どうなってるんだお前は」
「精霊力の使い方は一応妖精王直伝だ」
川畑は、時空監査官に会ってからのいきさつをかいつまんで話した。
「体に関しては、そんなもの俺の体がいつも通りなのは正常なんじゃないかとしか……」
モルは、とんでもないものを見る目付きで川畑を見た。
「そんな短期間に時空転移を十数回、間に主の消失による時空崩壊が2件だと?それで体がいつも通りって、んな訳ないだろ!」
「さっき解析してた時間経過履歴とかの結果は?」
「当然くちゃくちゃでまともに読み取れない……っていうか、それでも何とか読もうと、微小な痕跡を辿る再解析してたんだが、途中でお前が無茶するから、全部吹っ飛んだわ」
「すみません。……再試やるか?」
差し出された指を見ながら、モルは顔を赤くして、きまり悪そうに口をむにむにさせた。
「指……やだ」
「じゃぁ、どうする」
川畑の手を、小さな両手でぐにぐに揉みながら、モルは口を尖らせた。
「お前がいた世界は、だいたいわかったからもういい」
ちらりと視線をあげて川畑の顔を見る。
「でも、お前の身体、絶対変だからな。一度ちゃんと調べた方がいいぞ」
「わかった。それはやってもらえるのか。必要なら今調べてもらっても……」
「あとでいい」
モルはなごり惜しそうに手を離した。
「とにかく、お前の部屋を探そう。
お前の出身世界はおそらく……」
モルの説明によると、どうやら"地球"系列の根源世界と分類されるところらしい。派生世界や従属世界が山ほどくっついている巨大世界で、数十億人の住人のほぼ全てが主だという。周囲への影響が大きいから、時空監査局が苦労して、その数の主が作り出した世界観を一つの設定にまとめて、成立させるなんて狂気の沙汰を行っているそうだ。論理的に破綻が少ない説を採用して、それ以外は派生世界として分離するか、従属世界として"妄想置き場"を作って、何とか維持しているらしいが、お陰で関連世界群の構造は複雑極まりない。住人への啓蒙や誘導で主筋の設定ができるだけぶれないように頑張っているみたいだが、あそこまで詳細な設定が次々構築されると、全容を理解するのが難しいと、賢者は嘆いた。
「そういう意味では、お前の身体が、系外にあっても、あの複雑怪奇なルールを維持しているのは非常に興味深いんだが……」
モルは川畑の腹をつつくと、後で調べさせろよ、と念を押した。
「とにかく、あの世界への転移座標の調整は難しい。しかも、お前がいたという時期は、あの世界が2つに分離しているあたりだ」
何でも、ある時点で原因不明の分岐が発生し、どこが違うのかわからない2つの世界に分離している時期が半世紀ほどあるらしい。時空監査局が必死に統合しようと調整中だが、どうにもできていないという。
「分岐前の世界へは、たしか翻訳機構を手伝った時に作ったマーカーの記録が残っている。だから、分岐前の世界に転移して、そこから時間を飛ばして様子をみれば、正しい方に帰れると思う」
「自力ではその転移は無理だな」
川畑は眉根を寄せた。
「時空監査局の転移機構を利用してるならできるだろ?」
「正規雇用の局員じゃないから、転移したことのあるポイントへのリターン以外は、同一世界内の短距離転移しかやったことがない。時間については同時性がどうなっているのかも不明だ。同一時空に同一存在が重複しないように、過去の転移元へのリターンで転移した場合には、出現時間が自動調整されているのは感じるんだけど、今のところ自分で調整する方法は解っていない」
「そうか……」
モルは顔をあげてにっこり笑った。
「じゃぁ、練習しなきゃな」
「え、送ってくれないのか?」
「やだよ。面倒くさい」
立派な引きこもりは、清々しいほど潔く言った。
「やり方は教えてやる。がんばれ」
結局、川畑は住み込みで賢者に弟子入りすることになった。
川畑が自分の部屋に戻るまでには、まだまだかかるようだった。
やり方を教えるといいつつ、このあと弟に丸投げしました。
外伝「とっとと帰れ!~賢者の弟とカフェにいったり、世界をいくつか崩壊させたりしたときの話」参照
(読まなくても4章5章に差し支えはありません)
次回、新章。
いよいよ人の街がある世界に行きます。




