小話: 塔の少年と烏①
次の章に入る前に短いのを小話としてお送りします。(分離して書くか迷いましたがこちらに入れます)
想定外に長くなったら後から章にしよう……。
「いやー、すみません、川畑さん。ありがとうございました」
帽子の男は能天気な声で礼を言った。
「本の上から顔だけ出すな」
机に積まれた本の山の上から、半透明の頭が生えている様は、生首のようだった。
「あー、はいはい。失礼しました」
帽子の男は幽霊のようにすーっと浮き上がった。本の山から肩から下が現れるが、腰の辺りから透明度が上がり、脚は虚空に溶け込んで消えている。ちょっと古くさいスーツ姿で帽子を被った時空監査官は、川畑の脇に漂ってきた。
「それにしても助かりましたよ。おかげで勤務評定が下がらなくて済みそうだって、先方も喜んでいました」
「それは良かったな」
川畑は帽子の男に頼まれて、異界のトラブル解消に少しだけ協力していた。時空監査局も人手不足だったり、不測の事態で人員調整がつかなかったり、正規職員の労働基準が煩かったりで色々大変らしい。
「また何かあったらこっそり便宜をはかってくれるそうです」
「ありがたい。よろしくと言っておいてくれ」
こういう細かなことで人間関係を良くして人脈を作っておくのは大切だ。特に川畑はいささかグレー(ほぼ真っ黒)な非正規時空転移者なので、時空監査局内のツテに恩を売っておくのはとても重要である。
「川畑さんは、仕事が独創的で外連味があって面白いって好評なんですよ」
「いや、それは堅実で確実の間違いじゃないのか?」
「堅実な人は101匹羊大脱走事件とかヒヨコ津波事件とか起こしません」
「その場で調達しやすいもので、あまり怪我人を出さずに、最大の効果を得る……堅実な策じゃないか」
「感性が独特って、誉め言葉か貶し言葉かどっちに分類されるんでしたっけ?」
「喧嘩を売る気ならそこになおれ」
時空監査局内のツテに恩を売っておくのはとても重要であるが、この帽子の男に敬意を払う気は、川畑にはさらさらなかった。
「冗談はさておき」
帽子の男は突き立てられた短剣からするりと抜けて、川畑の正面に座り直した。
「実はもう一件、川畑さんに手伝っていただきたい案件がありまして」
「なんだ」
川畑は魔導書のページをめくりながら、どうでも良さそうに返事をした。
「物資調達に協力していただいている方のお友達の同僚のお世話になった方のご紹介で時空監査局の現地協力員になった方が困っておいででしてね」
「……一息で複雑な人間関係を一気に説明しやがったな。掛かり結び関係が分かりにくい文例に推薦してやろうか」
「人事秘を含みますので、ご内密にお願いします」
帽子の男は、川畑が引き受ける前提で事情説明を始めた。
その男はとある世界で定点観測員をしているらしい。人里離れた場所でひっそりと1人で住んでいるという。
「人嫌いなんでちょうどいいんだそうです」
問題は年に一度、数日の間だけ彼が住んでいる近くに人が大勢来ることらしい。相手をしたくないのに表向きの立場上、相手をせざるを得ないのがつらいという。
「山奥の小さな城で普段は最低限の管理人がいるだけなんですが、夏のある時期だけ、そこの持ち主の縁者とその使用人が来るらしいんです。これまではそれでも我慢できる感じだったんですが、代替わりで来るメンバーが変わってから、使用人の対応の質が落ちてストレスがはんぱないと泣きが入りましてね」
ローテクノロジー環境で長期間孤独に任務につける人材は貴重なので、局としては、できるだけ精神的負荷を下げて、気持ち良く仕事をして欲しいという方針らしい。
しかし、年に数日だけそこの世界で他人のふりをしてストレスの多い対人関係をこなす仕事を、何年も引き受けてくれそうな人がすぐには見つからず困っているらしい。通常、時空間転移は精神的な負荷が高いため、数日だけの滞在で別の世界に行く仕事はそれだけで適正者が少ないのだとか。
「へー、そうなんだ」
「私や川畑さんは非常に特殊な例外なんです。使っているデバイスの転移機構も高性能ですし」
川畑は自分の左腕を見た。もはやどこにどう組み込まれたかわからないが、この帽子の男にもらった転移機構のデバイスは、時空監査局の基準でも良いものだったらしい。
「通常は局員でも転移には慎重なカウンセリングや医療サポートが不可欠です」
「お前、ひと欠片も俺にそんな事しなかったよな?」
「なんか平気そうだったので、いいかなって……面倒だったし」
「こいつ……」
川畑ににらまれて、帽子の男は「あ、でも!」と指を立ててワイパーのように振った。
「ノリコさんはきちんとやってますよ。適正試験とカウンセリングと医療サポート。彼女は採用試験の審査中ですから。次の課題の派遣先も彼女の適正を鑑みて、適切に選定されるはずです」
「ならいいが」
「ノリコさんの行く先が決まったら、またちゃんと近いところに割り込みで潜り込ませてあげますから。ね、今回の件もご助力お願いしますよ。同一世界で時間を飛ばしながら年に数日づつ活動って、以前もやったことありますよね。得意でしょう?潜入と面倒な対人折衝と体力仕事」
「おい、最後のは事前説明に入っていなかったんじゃないか?」
「ローテク世界で僻地で一人住まいと来たら、体力仕事だらけでしょう」
「そういうことか」
「静かな湖畔の森のなかで風光明媚なところらしいですよ。釣りとかして過ごせばいいそうです。夏休みだと思っていってきてください」
帽子の男は呑気な笑顔で明るくそう言った。
川畑は先だってダーリングの保養所で釣りをしたときのことを思い出した。あれはなかなか楽しかった。
彼は読みかけの魔導書を閉じて、しぶしぶ帽子の男の持ってきた仕事を引き受けた。
羊とヒヨコの件は、シリーズ内の別連載「絶賛ループ中の悪役令嬢の私は最近モブの彼が気になっている」(完結済)参照
自重している体を装いながら、相変わらずやりたい放題です。




