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家に帰るまでが冒険です  作者: 雲丹屋
第9章 それはいつまでも続くと思っていた刹那

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閑話: 楽しいキャンプ(上)

煌めく陽光、澄みきった湖水、爽やかな木々の香り。

「全体に色味に若干違和感があるのを気にしなければ、いいところだな」

川畑はログハウス風のコテージのテラスに手荷物を下ろした。

「さすが政府高官用の保養施設。ダーリングさん、ご招待ありがとう」

ダーリングは金糸の混ざった銀髪の頭を振った。

「休暇の間中、一人きりで過ごす必要もないからな」

「彼女とか他に呼べる相手は?」

「こちらの身元を知っていて近づいてくる女は信用できないし、身元を伏せて女を漁りに行く趣味はない」

「難儀だな」

ダーリングはこの話題を続ける気はないらしく、さっさとコテージに入っていった。


「寝室は2階だ。主寝室は使っているが、それ以外はお前達の好きなところを使っていい」

案内されたコテージの中は、ログハウス風の外観から想像したより、10倍ぐらい高級かつオシャレなラグジュアリー空間だった。

「おおお、グランピングって奴かこれ。すげぇ」

「保養施設だからな。不便さを楽しむ趣味はないので、設備は整っているところを選んだ」

「キッチン周りとかバーカウンターとかエウロパのリゾートホテルのスイート並みだ」

「……お前、意外に贅沢知ってるな」

「資金と機会はあったので」

「可愛いげのない。学生ならああいう反応でもしてくれるとこちらも甲斐があると思えるんだぞ」

ダーリングが指した先では、御形伊吹が目を丸くして口を開けたまま立ち尽くしていた。




「何がどうなっているんだ!?」

御形は切実な問いを発した。

「真実に踏み込む覚悟はあるか?って、ちゃんと確認したじゃないか」

川畑はテラスのテーブルで茶を注いで、ダーリングと御形に差し出した。

「事前確認に了承したなら問題ない」

ダーリングは当たり前のように落ち着き払って茶を飲んだ。

「確かに俺は、詳しい事情が知りたいって聞いたし、守秘義務も了承したし、ダーリングさんの別荘で休暇を過ごすついでにトレーニングしてもらう話にも乗り気だったけど、だからといって寮の自室から一瞬で湖畔の別荘に連れてこられてもワケわかんねーんだよ!」

ダーリングはしみじみと感慨深く御形の様子を眺めた。

「君の気持ちは大変によくわかるし、その態度には共感し好感を持たざるを得ない。悪いようにはしないから、まずは席に付きたまえ」

「あんたが黒幕か」

御形はダーリングを睨み付けた。

「とんでもない。私も被害者だ。しかも巻き込まれたときの状況は君よりも選択権がなく一方的だった」

ダーリングの紺碧の瞳は誠実そうで、嘘をいっているようには全く見えないのが悲劇的だった。


「ダーリングさん、ここのキッチンの食材なに使ってもいいの?」

奥から川畑の声がした。ダーリングも被害者だとすれば、自ずからこの件の犯人は一人に絞られる。

「かまわないが、まだ夕食には早い時間だ。せっかくだから皆で釣りをしよう」

ダーリングは御形に向かって同情のこもった優しい笑顔を向けた。

「釣りをしながらゆっくり話をしよう。君にはたくさんの説明とそれを納得するための時間が必要だろうから」

御形はとりあえずこの人が一緒に居てくれて良かったと思った。




釣りは楽しかった。

小さなボートで湖に出て釣った鮭か鱒に似た大きな魚は、綺麗で美味しそうだった。

レシピ集を見ながら唸っていた川畑が、やっぱりわさび醤油!と叫んで消えるのをみる頃には、御形はダーリングのお陰で、異世界が存在する事や川畑に転移能力があることをある程度把握できていた。

「あいつ、ずっとああなんですか」

あきらめ気味に尋ねると、ダーリングは耳と口を指差してから、わからない言語で話した。

「えっ?」

聞き返したところで、キッチンにわさびと醤油を持った川畑が再出現した。

「言語はあれが通訳している。いないときには君とは会話ができない」

「は?でも、ご自分で話してますよね?」

御形はキッチンの方を見た。川畑は食器棚の中を確認していてこちらは全然見ていない。

「感覚が補正されているらしい。私が君の主言語を話しているように感じているなら、君もあれの影響下にいる」

御形は全身の感覚をいじられた時のことを思い出してぞっとした。

「脳の一部を乗っ取られているってことですか?」

「単なる通訳なら、私の周辺の事象に影響を及ぼしているようだ。君の世界に行った時にリモートの画面越しの相手にも私の言葉が通じていたからな。今はどちらかわからんな」

本格的にリンクされる場合は、いったん同調すれば、同一世界にいる間は距離は関係なく視聴覚を共有されて、本来見えるはずのないものも見えるようになるらしい。

「プライバシーとか個人の尊厳とか、そういうものを色々あきらめれば、便利ではある」

達観した様子のダーリングに、御形は言葉を失った。

「だが、あいつも悪気があってやっているわけではないので、そう恐れないでやってくれないか」

ダーリングは苦笑した。

「あいつは致命的に人の心の機微を読めないところがあるんだよ。かなり気配りはしているようなんだが、大事なところが欠けているというか、掛け間違っているというか……」

ダーリングは頭が痛いと言わんばかりに片手を額にあてた。

「どうやら親近感が増すほど奴は世話を焼きたがるが、ある一定のラインを越えると、今度は迷惑を掛けることに頓着がなくなってくるようなのだ」

「なんとなく……わかります」

おそらくそれはどこまで正体を晒すかという線引きとも繋がっている。

手元に視線を落としながらなにか思い出している様子の御形を見て、ダーリングは微笑んだ。

「ろくな隠蔽工作もせずにここに連れてきたということは、君はよほどあれに気に入られたんだろう。運が悪かったとあきらめるか……あるいはあいつの不器用な信頼に多少なりとも応えてやってくれないか」

御形はあらためてダーリングを上から下まで見た。

「それ、言わされてたりしてませんよね?」

「私はそこまで悪魔に魂は売っていない」

むっとした様子でダーリングは胸に手を当てて宣誓した。

「悪魔だとは思ってるんだ……」

「むしろおとぎ話の精霊(ジン)だな。恐ろしく巨大な力を持ちながら、気に入った個人のあまりにも卑近な願いに応える異能のサーバントだ。悪魔のように狡猾でも非情でもない」

御形はジンの出てくるファンタジー映画のCMを思い出した。たしかジンだかジニーと呼ばれるキャラクターは歌って踊る陽気な青い巨人だった。

「ジンに願い事をする場合と同様に、あれになにか頼むなら、君は自分の望むレベルを明確化した方がいい。的確に指示をしてやれば奴は非常に有能に仕事をする。だが、それを怠ると勝手に変な気を回したり、妙な思考回路で謎の行動をして、善意とうっかりで過剰な結果を引き起こすからな」

ダーリングは厳しい表情で忠告した。


「君は今回あれに何を願ったのかね」

御形は放課後に魔術と武術の鍛練に付き合ってくれと頼んだことと、望まぬ就職試験のことを説明した。

「なるほど。ではあれが君をここに連れてきたのは、単純に君のトレーニングのためだ。裏はない。基礎のトレーニングは余人より私に任せるのが適切だと判断しただけだろう」

ダーリングはまんざらでもなさそうに頷いた。

「それで、君の目指す強さのラインはどの辺りだ?そういうことなら希望にあわせて私がトレーニングメニューを組んでやろう」

ダーリングは楽しそうに提案した。

「ローカルハイスクールの大会レベルか?それとも地方惑星の地上軍か、宇宙軍の新兵?銀河連邦宇宙軍士官候補生のレベルはかなりきついぞ」

御形は馴染みのない軍組織を例にあげられて目を白黒させた。さすがに本職の軍人並みの訓練をいきなりされるのは遠慮したい。

「あの……本式ではないですが、あいつとは何度か組手をしているので、だいたいあいつぐらいでお願いします」

「ほう……なるほど」

ダーリングは意外そうに目を見張ったあと、なにかを納得したようにしみじみと頷いた。

「了解した。では、明日からあれと一緒に鍛えてやろう」

「ありがとうございます。ですが明日は学校が……」

「君はまだ実感がわいていないだろうが、奴の転移技術は相当いんちきだ。おそらくこちらで数日過ごしても君は元の世界の同日中に帰還できる。今夜は沢山食べて、ゆっくり寝なさい」

「は、はい」


御形は気付かなかった。

ダーリングに対して"川畑並み"を指定するということは、"人外レベル"を指定することであるということを。

川畑は学園世界では目立たないように能力を抑えており、身体強化系の技術を極力使用していなかったために、彼が知っている川畑のレベルと、ダーリングを相手にするときの川畑のレベルとは隔絶していた。

そして、死ぬかどうか気にしないでしごくから、寝食はできるうちにしておけと言われたのだと、御形が気付いた時には、ダーリングは悪魔のような鬼教官となっていたのだった。

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