その日彼は「じゃあまたな」と言った
「お、ちょうどいいところで会った。川畑、お前、放課後は暇だよな。付き合え」
廊下で川畑を捕まえた御形は、魔術と武術の自主練習の相手をしろと言ってきた。
「伊吹先輩、受験生でしょう?そんなことより勉強したほうがいいんじゃないですか」
「実技試験ってものもあんだよ」
「進路はどこ志望なんですか?」
「うちは元々、最終的には皇宮護衛官一択だ」
聞いたことはないが、さもありなんという職業名が出て来て、川畑は「はぁ」と間の抜けた返事をした。
親からは、高卒で入らず大学で法でも学んでから受けてもいいと言われていたので、御形は普通に進学するつもりだったそうだ。
「ところが妙なところから勧誘が来てな」
その受験先に魔術や武術の実技試験があるらしい。
「そんな胡散臭い進路、やめた方がいいんじゃないですか?」
「俺もそう思うが、祖父経由で話が来ていて、関係者の顔をたてるためにも夏にある一次選考ぐらいは受けておかざるを得ない」
「手を抜いて落選……はできないんですね」
「圧倒的な成績を示して、こんな温いところに行けるか!って蹴るのはOKらしい」
あの母上なら言いそうだと川畑は納得した。
「それで自主練ですか」
大方、募集元は立ち上げ中のヒーロー組織だろう。御形がヒーローチームの隊員をやっている姿も悪くはないだろうが、怪獣騒ぎの時にやって来たへっぽこレベルのチームに組み込まれるのは、可哀想な気がした。
「そもそも皇宮護衛官ってどんな仕事なんだ?」
「あん?簡単に言うとその名の通り皇室警備の国家公務員だ。広報ページはこんな感じだぞ」
どうみても堅実な安定職で、広報写真に映る儀礼服姿の護衛官は、物凄く格好良かった。
「伊吹先輩。こっちになりましょう。人生設計は初志貫徹が良いです」
川畑は即断した。
「自主練ご協力します。圧勝して目にもの見せてやりましょう」
「お、おう……」
御形は川畑の勢いに若干引きぎみに頷いた。
「とは言うものの、俺、学校辞めるんで、どうやって一緒に特訓するかは考える必要がありますね」
「なに!?辞めるってどういうことだ。聞いてないぞ!」
「今日、決まりました。これ、退寮の書類です。俺と植木の二人分」
御形は書類を引ったくるように受けとると、ざっと目を遠し唸った。
「ガチじゃねぇか。くそっ」
御形は険しい目付きで川畑を睨んだ。
「どっかから圧力でもかかったか」
「そういうんじゃないから」
剣呑な雰囲気の御形をなだめるために、川畑は場所を変えようと提案した。
「といってももうすぐ授業だな」
御形は舌打ちして、後でちゃんと説明しろと言い残して立ち去った。彼は私事で授業をサボるような男ではなかったし、この手の約束をうやむやにしてくれる男でもなかった。
川畑はこれは放課後に拘束されるのは確実だとあきらめた。
「まいったな」
やることリストを頭のなかで更新しながら教室に戻ろうとした川畑は、馴染みのある声に呼び止められた。
「なんだ?ジャグラー」
ひょろりとした友人は、悪役顔を作っていない時の素朴な表情だった。
「すまん。つまんない用事で悪いんだけど、俺、お前んちに忘れ物してないか?」
「え?」
川畑は内心でぎょっとした。ヴァレリアの話では、週末にマンションにいたメンバーはその事を認識しにくいか誤認した状態になっているはずだった。よほど強い意志か執着がないと思い出そうと言う発想にも至らないはずだと魔女は話していた。
「はっきり覚えてないんだけど、たぶんお前の家に忘れてきたと思うんだよ。俺のカード」
彼はジョーカーのカードを1枚取り出した。
「これと似た奴だ。悪いけど探してみてくれないか?お気に入りの1枚なんだ。何に使うというわけでもないけど、本来あるはずのカードが他のカードとセットで入っていないとどうにも寂しくて」
川畑はとっさに言葉が出なかった。
「ごめん。そういわれてもわからないよな。俺、気に入った大事なものがいつの間にかどこかに消えてなくなっているの、ダメなんだよ。気持ち悪くて。すまないけど今度家に帰ったときでいいから頼む」
「ちょっと待って」
川畑はポケットを探るふりをして、こっそり開けた穴からカードを取り出した。
「これか?」
「そうそう!これだ。ありがとう」
彼は嬉しそうに相好を崩すと、カードに向かって「おかえり~」と言った。
そこで予鈴が鳴った。
「はー、ありがとう。またな」
彼は来たときと同様にフラりと去っていった。
「(そうか。無くても支障がないとか、なくなってもかまわないっていうのは、なくす方が決めるのか)」
こっそりいなくなるのが最善だと思っていた川畑は、少しだけ考え方を改めた。
「(世話になった知り合いぐらいには挨拶に行っておこう。それから……)」
川畑はまたやることリストを頭のなかで更新した。
川畑が自分の部屋に戻るまでには、まだまだかかるようだった。
「それで、その人とはそれっきりだったの?山桜桃先生」
「どうかしらね」
若い小柄な養護教諭は、演習で怪我をした生徒の手当てをしながら微笑んだ。
「あ、またそうやって笑ってごまかす。教えてよ。先生がこの学校の先生になったのってその人を待つため?」
「そんなにロマンチストに見える?さぁ、そっちの腕も見せて」
「痛てて」
彼女は眼鏡の奥ので目を細めて、声を落とした。
「あなた、授業で怪我なんかしてちゃダメ。ヒーローでしょう?」
「えっ、なんでばれて……」
「ほら、その程度で動揺しないの。体内魔力の循環や発動前の変調にもムラがあるし、修行が足りないわね、新人レッドさん」
「うええ!?」
目を丸くした生徒の体内の魔力が外部から強制的に整えられ、患部に精緻な治癒魔方陣が浮かんだ。
「ひゃ、なんだこれ……うぁ…」
怪我がみるみる治って、アザも傷跡も残らず完治する。新人ヒーローは体内に魔力を注ぎ込まれていいように制御される感覚に顔を真っ赤にした。
「はい。治療おしまい。教室に戻っていいわよ」
「先生……」
椅子に座ったまま熱っぽい目彼女を見上げる顔に、山桜桃は濡れタオルを押し付けた。
「ヒーローがそんなにチョロくちゃダメ。世界が滅んじゃうでしょ。しっかりしてちょうだい」
「自分が必ず先生を守ります」
「間に合ってるから大丈夫」
そこにどやどやと、上級生のヒーローチーム仲間が駆け込んできた。
「杏先生!うちの新人が怪我したって!?」
「今、治したから連れていっていいわよ」
「あっ、ダメだこいつ。杏ちゃん先生にやられてる」
「こら、正気にもどれ。俺たちの杏先生に惚れるなんて10年早いんだよ」
「10年経ったら私、かなりいい年よ」
「今すぐ責任とって付き合います」
「何の責任だ!ふざけんな。杏ちゃん先生、しばらくこいつ保健室に出入り禁止にしますんで許してください」
山桜桃は優しい微笑みを浮かべた。
「訓練もお仕事も頑張ってね。私はここで待ってるから」
「はいっっ!」
爽やかな返事を残して、学生達は騒がしく出ていった。
彼らを見送ったあと、山桜桃杏は窓の外を見てもう一度こっそり呟いた。
「……待ってるから」
今日もこの街が壊滅したり、世界が滅んだりするようなことは起こりそうになく、学園はいつも通り平和だった。
本章完結
……長かった。前章の冒頭で脱線してからとうとうそのまま道なき道を走りきってしまった。
次章はもう少しこじんまりまとめたいので、またしばらくお休みいただきます。
閑話はちょっといれると思います。
定期更新ではなくなりますので、申し訳ありませんがブックマークなどしてお待ちいただけますと幸いです。
よろしくお願いいたします。




