七色の花の露
「のりこは無事か?」
「おかえりなさい。早かったですね」
妖精女王の宮殿に戻ると、ノリコの傍らには出発前と同じように帽子の男がいた。
「帰りは転移で一瞬だからな」
「本当に使いこなすの早いですね」
帽子の男は呆れてため息をついた。
「その袋に花が入ってるんですか?」
「いや、花は手に入らなかったんだ。これは妖精王からのお土産で、薬籠のおまけにもらった。なんか役に立つかもしれない雑貨がいろいろ詰め合わせで入っているお楽しみ袋だって言ってたな」
川畑はお楽しみ袋を寝台の脇において、薬籠の中身を再確認した。傷薬の他にも、痛み止めや、体の緊張や強張りを解す薬など色々入れてもらった。いざというときに間違えないように種類と入れ場所を覚える。
「よし」
「花なしでも大丈夫な解呪薬でも貰えたんですか?」
「解呪薬はないけど、何とかする。被害者がおかしくなるのはせいぜい丸1日で、その間だけついていてやればいいようだから」
「ええっ?危なくないですか」
「できるだけ好きにさせてやれば時間は短縮するらしいから頑張るさ」
「妖精に任せた方がいいんじゃないですか」
狂乱したノリコを妖精達が手荒に取り押さえるところを想像する。
「絶対にイヤだ」
静かに眠っているノリコを見る。
「俺のせいだから、俺が責任もって面倒見る」
「……そうですか」
きっぱり言い切った川畑を帽子の男は心配そうにみた。
室内の割れ物などの危険物を片付け、水や多少の食料など、要りそうなものを続き部屋に用意してもらう。準備万端だ。
「じゃぁ、これからのりこを起こすから、しばらく誰もこの部屋に近づくなよ」
「あ……その……あまり手荒なことはしないようにしてくださいね」
「あたりまえだ」
川畑は覚悟を決めてノリコの傍らに座った。軽く肩を揺する。
「のりこ」
ノリコの目蓋が微かに動いた。
「じゃあ、任せますけど、本当に取り返しのつかないことはしちゃダメですからね」
「わかってる。早く出ていけ」
扉をすり抜けながら、帽子の男は最後に振り返って警告した。
「とにかく、相手は惚れ薬でおかしくなってるだけだって忘れちゃダメですよ」
「わかって……は?惚れ薬?」
ノリコが目を覚ました。
呆然とした川畑と目があったとたん、彼女の表情がパッと輝いた。
「川畑くん!だーい好きっ!!」
ノリコは起き上がるなり、川畑に躊躇なく抱きついた。
「え……これが、数時間から最悪丸1日も……」
川畑の絶望的な戦いが始まった。
半日後……。
「ご心配おかけしました」
「あー、ノリコさん。目が覚めたんですね~」
川畑につれられて、無事、階下のホールに姿を見せたノリコに、帽子の男は喜びの声をあげた。
「お体は大丈夫ですか?」
「はい。私、盗賊の妖精に眠り花粉をかけられて眠ってたんですって?」
「え?いや……ハイ、ソウデス」
帽子の男はノリコの背後に立つ川畑から凄まじいプレッシャーを感じて、話を合わせた。
「女王様はご無事だった?それが心配で」
「あ、はい。とうにお目を覚まされて、今はお部屋で休んでいらっしゃいます」
「そう。良かった」
ノリコはほっと胸を撫で下ろした。
「じゃあ、もういいな。送るから、早く家に帰るんだ」
肩に手を置いた川畑を、ノリコは肩越しに見上げた。
「でも、お世話になった女王様にちゃんとご挨拶してからの方がいいんじゃないかしら」
「女王はお休み中らしいじゃないか。後で俺からちゃんと言っておくから、とにかくのりこは早く帰って休め」
ノリコはちょっと迷ったが、これ以上わがままをいっても悪いかな、となんとなく思って、うなずいた。
「なるほど。君がくだんの異邦人か。可愛らしいお嬢さんではないか。無事だったかね」
帰ろうとした二人に声をかけたのは、妖精王だった。
「はい。おかげさまで。……妖精王様ですか」
「その通り。わかるかね」
「はい。女王様がお好きな色そのもののお方ですもの。そちらも女王様のお色を身に付けてらっしゃるし。思った通り、相思相愛なんですね!」
絢爛豪華な金装飾に飾られた白亜の宮殿の真ん中で、金髪の美丈夫は白い頬を赤く染めた。
「女王様が心配で来てくださったんですね。良かった」
ノリコは微笑んだ。
「つまらないことで喧嘩してしまったって、女王様がずいぶん気になさってたから、私、お慰めしてたんです。お仕事上なかなか会えないのですれ違ってるだけで、きっと心の中では王様も女王様を大事に思ってくださってますよって」
妖精王は赤面したまま、むにゃむにゃと相づちらしきものを言うと、ひとつ咳払いして、川畑に声をかけた。
「良い子ではないか。……お楽しみ袋は役に立っただろう」
その瞬間、ノリコ以外のその場にいた全員が、ノリコの背後の川畑から大魔王級の威圧感を感じて押し黙った。
「おたのしみぶくろ?」
「何でもない。妖精王が用立ててくれた雑貨だよ。使ってない」
うっかり口を開きかけた妖精王は、殺されそうな視線を浴びて、口を閉じた。
「よく分からないけれど、妖精王様もいろいろお力添えくださったんですね。ありがとうございました」
ノリコは妖精王に丁寧にお辞儀をした。
「挨拶も終わったろう。帰ろう」
川畑はノリコをさっと抱えあげた。
「えっ、ちょっと王様とか妖精さんたちの前でこんな……」
あわてるノリコを、なれた手つきで抱き抱えて、川畑は穴に消えた。
「あ~、恐ろしい奴だった」
「惚れ薬の件で相当参ってたみたいですね。目が据わってましたよ」
「惚れ薬?何のことだ?」
妖精王は帽子の男の言葉に首をかしげた。
「"七色の花"の露は、かかった当人の心の傾向をちょっと大袈裟に表現させるだけだぞ。裏表のある奴には凶悪な効果だが、あの娘のように裏表のない健全な精神のものには大した効果はでん。まぁ、二人っきりでムードを盛り上げてから使えば、惚れ薬っぽく使えはするがな」
「ええっ!?じゃぁ、ノリコさん、半日もどうなってたんでしょうねぇ」
「あの二人、恋人同士なのだろう?奴が散々、大事だのなんのと深刻な顔をするから、どうせ相手が目を覚ましたところで、大したことにはならんと思って、嫌がらせ……もとい、親切でいろいろ持たせてやったのだが」
「あの二人、知り合ったばっかりでまだ付き合うとか何とかそういう時間なかったはずですよ。あ。そういえば勢いで"好きだ"って言って、彼女に引かれたことは1度ありましたけど」
「ええ……」
妖精王と帽子の男は顔を見合わせて黙った。何があったかはわからないが、何があったか掘り返すのは危険だということだけは二人ともわかった。
「我が魂の主が部屋から出てきたと聞いたぞ!」
突然現れた、黒髪で浅黒い肌の美青年に、帽子の男は目をぱちくりした、
「誰ですコレ」
「ああ、余が馬に変えておった異邦人の間男だ。人に戻したのだがうるさくて叶わん。こちらにくる時にどうしてもついてきたいと言うからつれてきたのだが、こいつ、元の世界に送り返せんかな。どこぞの王子らしいぞ」
「連れて来た妖精女王陛下なら送り返せると思いますが、私ではなんとも……」
川畑を探してキョロキョロしていた皇子は、帽子の男を見つけて駆け寄った。
「貴様!我が魂の主と一緒にいた精霊だな。苦しゅうない私をあの者のところへ案内せよ」
あ、これは面倒くさい人だ。
帽子の男がそう思ったとき、時空に穴が開いて、川畑が帰って来た。
「すまん。のりこがこっちに来たとき来ていた服とかはないか?制服や生徒手帳がないと明日困るそうなんだ」
「ちょうどいいところに」
「主よ!私をブラッシングする約束はどうした!」
「なんだお前は」
川畑が自分の部屋に戻るまでには、まだまだかかるようだった。




