お前か
「川畑さん、撤収です」
いきなり目の前の階段から生えたように現れた帽子の男を無視して、川畑は足を進めた。
「ちょっと、ひどいじゃないのですか。踏もうとしないでくださいよ」
文句を言う帽子の男を連れて、川畑はそのまま屋上に上がった。
「バカ野郎。いくら視線避けができても朝の登校時間の階段なんて人通りが絶えない場所で出てくんな」
「すみません。出現場所の微調整は苦手なので」
「ポンコツめ」
「どこでもすぐに精密制御する川畑さんがおかしいんです!これだけ多数の異界を柔軟に行き来できるだけでも、私はけっこうすごい方なんですからね」
「自慢はいいから本題に入れ。撤収と言ったな」
川畑に話をぶったぎられても、帽子の男はまるで気にせずに説明を始めた。
「川畑さんをこの世界に突っ込むのに協力してくれていた思考可能体が、世界統合のあおりで、相対的に世界への影響力を失ったんです。ボロが出る前にこの世界から撤収します」
「世界統合?」
帽子の男の説明によれば、もともとの学園世界に、似たような設定の別の泡沫世界がくっついて1つになってしまったらしい。通常は一瞬交差することはあっても、設定の不整合ですぐに解離するものなのだが、今回はこちらの学園世界も相手世界も緩い上に相性が良かったようで、統合したのだそうだ。
「いいかげんだなぁ」
「なんでもヒーロー世界が接触しかけて不安定になったタイミングで、学園世界側に魔術製の"怪獣"が出て、ヒーロー世界の特殊部隊が出動したせいで設定の混合が一気に進んだんだそうです」
ああ、あの辺りかと川畑は納得した。確かに生徒会長戦の辺りから変なノリが散見されて、"コレはアレじゃないか?"と思っていたら、本当にそういう部隊がわらわら出て来て驚いたものだ。
「しかも怪獣を倒した謎の巨人やそこで使われた魔術っぽい未知の要素を分析しようとしていたヒーロー世界由来の秘密組織施設が、軒並み何者かの破壊工作でやられたらしいんです」
その"巨人"や"何者か"が目の前の川畑だと知っているのかどうかわからない口調で、帽子の男は大真面目な顔で語った。
「その結果、世代交代が急務になって新人をスカウトしたい組織と、魔術学園の設定がジャストフィットしてですね。ついでにヒーロー世界の荒唐無稽な特殊能力持ちの家系の設定が、良家の子女だらけなのに実家の設定が希薄な学園世界とがっちり組み合っちゃったんですよ」
「あー、なるほど」
川畑は突然湧いてでたみんなの実家の話を思い出して納得した。
本来のこの世界には学園の外側はほぼ実在せず、生徒の実家は実態も詳細設定もなかったはずなのだ。
怪獣騒ぎの辺りから急に財閥だの企業だの親だのの話が増えて、どこまで考察して対策をとっていいのか、川畑も当惑していた。結局、真面目なダーリングに怒られて、一緒にガチの情報収集をしたあげく潜入工作作戦の立案まで行い、記録抹消のために各地を奔走したのだが……そもそも"各地"が存在した時点でおかしかったのだ。学園所在地を起点に、ダーリングと川畑が、複数拠点の潜入計画を立案していた辺りで、学園世界がヒーロー世界の一部に固定されてしまった可能性もある。
「(ダーリングさんって、ヒーロー世界と相性が良さそうだしなぁ)」
世界設定への影響力も強そうだ、と自分のことを棚に上げて川畑は嘆息した。
一夜で複数拠点をほぼ同時に急襲した電撃作戦は楽しかった。どうせ緩い世界だから無茶をしても大丈夫だし、せっかく休暇なんだからストレス発散しよう!と誘ったせいで、ダーリングはかなりノリノリでやりたい放題だった。二人とも凝り性で負けず嫌いで無駄に能力は高いので、競い会うように徹底した破壊に勤しんだ結果、現場には証拠どころか何もかも残らなかった。
「(ピンポイントで目的の情報だけ消すと動機から犯人が特定されるってダーリングさんが言うから……さすがに根こそぎはまずかったって今度あったら注意してやろう)」
とにかくやり過ぎた二人の破壊工作は、その規模と威力から新たなる巨大な悪の組織の世界征服活動または宣戦布告と解釈されたらしい。
個々の金持ちの道楽レベルだったヒーロー組織が、再編されてかなりしっかりした政府機関に生まれ変わりかけていると聞いて、川畑はそれは絶対にダーリングの影響に違いないと思った。各地を転移しながら同時攻略している最中に、ダーリングは川畑に、きちんと組織化されておらず情報連携されていない拠点が外敵の脅威に対していかに脆弱か、こんこんと説いていた。
無意識に秩序と論理的整合性を追及する彼が泡沫世界の設定に影響を与えたのは間違いないだろう。
「元のこじんまりした学園だけの世界じゃなくなって、この学年が終わればリセットって訳にもいかなくなっちゃったので、ノリコさんの研修も中断されます。彼女も今日で引き上げますから、そこは気にしないでいいですよ」
「そうか。それは良かった」
川畑は何はともあれそこが問題ないとわかって安心した。
「……なぁ、学園以外の世界が広がったってことは」
ふと思い付いたことを川畑が尋ねようとした時、バッグの中から通話の呼び出し音がした。
「はい」
川畑はタブレットを取り出した。通話連絡は珍しい相手からだった。
「どうした小柳?欠席連絡か?今週は風紀の集まりはないぞ」
クラスの本来の風紀委員で、欠席の多い小柳は「違うよ」といって小さく笑った。
"「最後に君にお礼をおこうと思ってさ」"
「最後ってなんだ。まさか病状悪化で入院か?おい、顔見せろ、顔!」
"「違うって。そんな心配しないでよ。縁起でもない」"
川畑は画面に映ったネコヤナギのアイコンに渋面を向けた。
「なんの用だ」
"「だからお礼だよ。君のお陰で今回はとても刺激的だった」"
「なに?」
"「君の知り合いのあの帽子の人にもお礼を言っておいてくれ。やはり自分の頭のなかだけで作り上げたシナリオをアレンジしてリピートするだけじゃワンパターンで限界があるんだなってわかった。君や君の友達達が起こした騒動は王道から外れまくっていて雑で無茶苦茶だったけど、自分では思い付かない視点で面白かった」"
「小柳……お前、この世界の主か」
川畑は顔を上げて目の前に浮かんでいる時空監査官を睨んだ。帽子の男は黙ってコクコクと頷いた。
"「そうだね。いや、正確にはそうだったって言うべきかな?主と言うにはずいぶん影響力が減っちゃったから」"
小柳は気楽にそう答えると、短い笑い声を上げた。
"「でもちょうど良かったよ。一人で寝転がって、キラキラしたみんなが王道展開の学園生活をするのをただ見ているだけより、先が見えなくて行き当たりばったりなドタバタを当事者で参加して一緒に楽しむ方が面白そうって、君らを見てて思ったからね。このヘンテコに広がって意味わかんない世界をライブで体験してみるよ」"
川畑は「そうか」とだけ応えた。
"「覚えてる?ダンスパーティーの最後での妖精王子のセリフ……仰ぎ見られる高みからではなく、同じ目線で人々と歩もう。命じるのではなく、共に語らい、共に学び、共に歌おう……あれとてもいいなって思ったんだ」"
小柳という生徒の枠にいながら、世界を俯瞰して見るだけで楽しんでいた元主は、あらためて川畑に礼を言った。
"「もし君が欲しいなら、お礼に眷属を何人か譲るよ。君なら維持できるでしょ。山桜桃杏とかいる?」"
川畑は暗くなったタブレットの画面を見下ろしながら、しばらく沈黙した。
それからおもむろに口を開いた川畑は、少しためらうように尋ねた。
「その提案に答える前に1つ確認したい。学園以外の世界が広がったってことは、ここの卒業生たちはこの後どうなる?」
"「それならたぶん……」"
その答えを聞いて、川畑の回答は決まった。




