そしてジョーカーは消えた
「ちょうど良かった。俺も先輩に頼もうと思っていたことがあったんだ」
「あら、なにかしら?」
神納木シズカは川畑と並んでドアの脇に立つと、軽く首を傾げた。彼女は正統派の美人だが、そういう仕草をすると可愛らしかった。
「先に先輩のお話を伺いますよ。頼みって何ですか?」
川畑が後輩の立場で譲ると、彼女は遠慮合戦はせずに、自分の要件を切り出した。
「それがね。あなたのお宅にお邪魔していると言ったら、うちの父がぜひお父様にご挨拶をと言うのだけれど、お帰りは何時ごろかしら?」
「すみません。ここは叔父のマンションなんです。父……」
川畑はその単語に違和感がありすぎるというように一度口ごもったあとに言葉を繋げた。
「……はここには住んでいません。忙しい人なので今日は連絡をとるのも難しいと思います。お父様にはお気遣いなくとお伝えください」
「そうなの。わかったわ。気にしないで。なぜか父が一度ゆっくり話がしたいから家にお誘いしなさいとか言い出して……。これまで、そんな事言ったことないのに、変よね。ごめんなさい、父には私から断っておくわ」
「いえ、ありがとうございます」
珍しくやや早口になったシズカに、川畑は落ち着いた声音で柔らかく礼を言った。
彼女は不本意だったのか、ややむくれた様子で上目遣いに川畑を見上げた。
「川畑くんって、第一印象と大分違う方ですね」
「そうですか?」
「普段は大人しく控えめそうにしているけれど、実はあなた全然そういう人ではないでしょう?」
「どうでしょう?」
「ほら、いつもは不器用で無害そうな顔をしているくせに、そういう笑い方をする。要くんと一緒だわ」
「ああ。悪い人ですよね。先輩も」
シズカは「も」については言及しないことにした。
「……要くんは、私に見せたくない面は徹底して隠す人なのよ。今日みたいに慌ててボロを出したところは始めてみたわ」
「それは悪いことをした」
「私にだけじゃなくて、彼は隠したいことはかなり頑張って隠すから、あなたにバレたのも想定外だったのだと思うわ」
「そういうところまで把握されていて、かつ見て見ぬふりをしてもらっているというのは、男としては複雑でしょうね」
同じく隠し事をしたい性分の川畑は、苦笑した。
「あら、それはお互い末永くうまくやっていくためのマナーよ。私は彼が隠し事をしているのを知ってもそれを暴こうとは思わないから知らんぷりしてるの。……これ彼には言っちゃダメよ」
「承知しました、お嬢様」
川畑は恭しく大袈裟に一礼した。
「でも、先輩がそういう方だと、お願いしたかったことが言いやすいな」
「なあに?ちょっと怖い切り出し方ね」
シズカは警戒して一歩身を引いた。
「いや、実は先輩に個人的な隠し事の共犯者になっていただきたいんですよ。そういうのに便利な特殊技術をいくつかご存知でしょう?」
「ずいぶん突拍子もない話だわ。どこでその便利な特殊技術とやらの話を聞き込んできたの?」
「別にどこというわけではないですが、先輩、全校集会でこっそり術を発動させていたでしょう。あれは怪獣騒ぎをみんなの記憶から消す効果があったのでは?」
彼女はわずかに目を細めて微笑みを浮かべた。
「その笑顔、外交用ですか?戦闘用ですか?」
「川畑くん、そういうことをいちいち指摘しないのが、よいお付き合いをするためのマナーよ」
「勉強になります」
シズカはこめかみに指を添えて、悩ましそうに小首を傾げた。
「あなた、要くんと同類かと思ったけれど、もう一段か二段タチが悪いみたいね」
「そりゃぁ先輩は人徳のある良くできた方ですから。俺のような凡愚は色々いたらないところが多いものですよ」
これ以上、戯れ言に付き合っても仕方がないと思った彼女は、本題に入ることを促した。
「それで、いたらない後輩さんは一体どんなお願いがあるの?」
川畑はかなり身勝手なお願いを、彼女に伝えた。
彼女は首を横に振った。
「悪いけれど私は、あなたが思っているほど強い効果のある術は使えないわ。特定の事柄や人物、場所の記憶に対する関心を少し下げる程度なの。記憶の削除や改変なんて言う大がかりなものじゃないのよ」
話題に出そうと積極的に思わなくなるとか、固有名詞がパッと思い出せなくなるとか、思い出せなかった詳細をあえて思い出そうとする意欲がなくなるとか、その程度だと彼女は説明した。
「それで十分です。そうやって無関心と忘却の海に沈めることができれば」
神納木家の娘は、もの問いたげに目の前の青年を見つめた。
「呪術産の怪物と、その戦闘で使用された魔術を、というのはわかるけれど……あなた自身のこともなの?」
「ええ」
隠し事の多い転校生は、穏やかに答えた。
「勝者の手札にジョーカーは不要です」
ハイテンションでジャックと肩を組んで帰って来た竹本が、無理やりヴァレリアをこっちの部屋に引きずり込んだ結果、なし崩しにその場は宴会モードになだれ込んだ。
何せ女子勢にとっては、女性の養護教諭立ち会いとなったので、安心の交流会ですというお墨付きを得たようなものである。その上で、監督する立場の大人組がガンガン酒盛りを始めるという暴挙に出たのだ。ジャックと竹本とチビッ子達が無邪気にはしゃぐ姿に、これは遠慮してないでハイになったもの勝ちという雰囲気が全員の羽目を外させた。
一同は単純なパーティーゲームで大盛り上がりして、笑い転げた。
「今日はありがとう。楽しかったわ」
ババ抜きで連敗していた神納木シズカは、ようやく勝ち抜けしたところで席を立った。
「いえ、こちらこそお世話になりました」
川畑はカードの山に最後の一枚を捨てた。
「では、お先に失礼させていただきますね。皆さんはまだゆっくり楽しんでいらして」
「シズカ、家まで送る。荷物取ってくるから待っててくれ」
「ありがとう、要くん。でも迎えの車を呼ぶから……わかったわ。待ってる」
彼女は幼馴染の顔を見て微笑んだ。
「では、下までは送ろう」
さきいかをアテにのんびりビールを飲んでいた養護教諭は、自分の役目を思い出したらしく、立ち上がった。
「今日は1日ありがとう、要くん」
自宅の門の手前で、シズカはあらためて礼を言った。
「一応、家の人には生徒会の集まりだったってことにしておいてくれよ」
「わかってます。……二人でデートしてたなんて言いにくいものね」
「おい」
相手の顔を見て彼女はクスクス笑った。
「こうやって二人で隠し事をするのは初めてね」
シズカは、そういえば最近"隠し事"の話題を誰かとした覚えがあるなと思ったが、たいしたことでもないので特に深くは考えなかった。
「さようなら」
彼女は、そのままその件を忘れた。
「終わったよ」
誰もいなくなった部屋を掃除していた川畑に、ヴァレリアは告げた。
「皆、それぞれ適当な思い違いをして帰ってもらった」
「お疲れ様。なにかいかがですか」
「今日はもういい」
ヴァレリアはダイニングの椅子に座って足を組んだ。
「あのシズカという娘の術は面白いな。使いやすいし、他の術との組み合わせで応用が効く。お前も習得しておくか?」
川畑は「そのうちに」とその話題を軽く流した。
「お前のところのバカとおチビどもはどうした」
「こっちの部屋は風呂と布団がいまいちだから、向こうで風呂入って寝るって」
「あの男も随分贅沢を言うようになったな」
「この後、どうするんだろう」
心配そうに呟く川畑を横目に見ながら、ヴァレリアは頬杖をついた。
「そういうお前はこれからどうするつもりだ。せっかくできた友人関係を精算するような真似をして」
川畑は使い捨ての紙皿やプラカップを分別してゴミ袋に詰めた。
「別にどうも。予定通りのりこの研修の間はここにいて、終わったら去るだけのことだから」
彼は自分のマグカップを丁寧に洗って、片付けた。
「(情が薄いわけではないが、人間関係に淡白な奴だな)」
自分は彼にとってどちら側なんだろうと、ヴァレリアはマグカップとゴミ袋を眺めた。
ふと視線を落とした先に、彼女は1枚のカードを見つけた。片付け忘れだろうか。遊びに使っていたカードだった。道化の絵が描いてある。
「ああ、それ、忘れ物だな。ババ抜きの時に取り分けていたからしまい忘れたのか」
川畑はヴァレリアの手からカードを取った。
「最後に残った敗者の手札か」
「いや、最初から配られていなかった誰の手札でもない奴。まぁ、無くても支障がない予備札だから、なくなっても気にされないと思うよ」
川畑の手の上で、カードは小さな黒い穴に吸い込まれた。




