沈丁花さん…好奇心は猫を殺しますよ
高級っぽいマンションのエントランスの手前で、緑十字軍の勇者達は躊躇していた。
「おい、芹沢~。やっぱり止めておこうぜ。なんか俺達、場違いだよ」
「ううーん。でも、せっかく兄貴の家に招待されたんだし……」
「本人からの連絡じゃなかったんだろ?いたずらだったら俺達ただの不審者だ」
入る決心が付かずうろうろしていると、背後に高級車が止まった。
後部座席から降りてきたのは、清楚な美人だった。
「わっ、生徒会長!?」
うろたえる中学生に神納木シズカは穏やかな微笑みを浮かべて挨拶した。
「君まで呼ばれたのか」
「要くんもいるというから伺ったのだけれど、これは何の集まりなのかしら?」
「電子情報部の打ち上げ会……のはずだったがもはや何の会だかわからん」
クラスも学年も部活もバラバラなメンバーが集まったリビングを見回して、生徒会副会長黐木要はため息をついた。
「すみません、会長さん。橘のバカがろくな説明もなく連絡したようで。ご迷惑でしたらお帰りいただいても結構ですよ。むさ苦しいところでおもてなしも十分にできないですし」
川畑が申し訳なさそうに頭を下げる。次々とくる相手くる相手に口調の多少の差はあれ似たようなことを言っているので、すっかりしょげている。
お嬢様な生徒会長と川畑は、謙譲と気遣いの応酬を重ねたが、結局、彼女もしばらくここで皆と遊んでいくことになった。
「だって日頃、なかなか教えてもらえない要くんの裏側が見れそうなんですもの」
素敵な笑顔でそう言いきったシズカに、川畑は「そういうことなら」と切り出した。
「ネットのインテグラ名義のサイトもお教えしますよ」
「バっ…バカ!お前何を!」
黐木は慌てて川畑の口を塞ごうとし、その行動が自白行為であることに気づいてさらにうろたえた。
「インテグラ?」
「黐木の学名です。洒落たネーミングですよね。辛口の評論が面白いですよ」
「川畑……覚えてやがれ」
黐木は歯を食い縛りながら、早急なサイトの移転と隠蔽、および幼馴染への誤魔化し工作について頭をフル回転させた。
「川畑先輩、お邪魔いたします!」
「不肖、緑十字軍有志参上しました。お招きに預り光栄です!」
「おい、橘!こいつらまで呼んだのか!?」
「ええやん。この子らも役に立ってくれたし」
やっぱりお邪魔でしたか帰ります!と腰が引けた中学生どもの首根っこを捕まえて、川畑は奥に案内した。
「ほら、そこに座れ。中学生がいなくて山桜桃の妹さんが恐縮しちゃってるから話してやってくれ」
「えっ、あっ……ども」
緑十字軍の勇者達は、流されるままに山桜桃カリンの隣に座ってまごまごした。
「緑十字軍というと、君たちが緑色点灯の仕掛人?」
生徒会長に問われて、中学生達はあわてて正座した。
「は、はい……いいえ、その…仕掛人というほどのことはしてません。やり方はこちらの山桜桃さんに教えてもらっただけで……」
「それでも、そのお陰でずいぶん再投票の時に助かったわ。ありがとう」
美人の生徒会長に礼を言われて、中学生男子は頬を染めた。
全校集会の最後に行われた再投票では、避難のために中断された時点の、各クラス核と個人核の状態がその場で再現された。
その時、緑十字軍をはじめとする魔力変調された緑色点灯組の核は、再現エラーとなり、無効票となったのだ。Sプロ支持の赤色組を多数無効票にして、生徒会支持の得票率を押し上げた緑十字軍は、たしかに生徒会勝利の立役者だった。
「俺は兄貴の高潔さに感銘を受けてその志を継ごうとしただけです!」
「兄貴…さんというのは?」
芹沢は川畑の姿を探してあたりを見回した。
「あいつは買い出しに行ったよ。人数増えたから色々足らないってさ」
「会長さん、グリーンジャイアントなら映像あるけど、見る?」
藤村がそういうと、木村が大きなテレビの映像入力を藤村のパソコンに切り替えた。
"嘆きと倦怠に満ちた戦場に死神はやってくる"
薄く白煙がたなびき、沢山の生徒が倒れている廊下をゆっくり横移動する映像に、映画の広告のようなテロップが被さる。
"「なんだ……あれは」"
バリケードの間から様子を伺う生徒が漏らした呟きをきっかけに、アップテンポで激しい曲調の音楽が入り、曲に合わせて画面が目まぐるしく切り替わる。
白煙の向こうから現れる大柄な体躯のシルエット。手振れで揺れる肉弾戦の接写。発光する魔方陣。吹き飛ぶバリケード。望遠で拡大したせいで画質の荒い映像の中央で輝く自核と腕輪の魔力光。ネットに流れる恐怖と絶望のコメント。
ふっと曲が止まって、廊下に倒れていた女の子に大きな武骨な手が差し出される映像になった。
"「大丈夫か?」"
低くて優しい声に、ぐったりしていた女の子が顔をあげる。
"「ありがとう……」"
再びアップテンポの曲が、ガンガン流れ始める。さっきより希望と活躍を連想させる曲調だ。緑色の大きな旗がたなびき、大柄な人物が次々と中学生達を救助するカットが入り、ネットの感謝のメッセージが怒濤で流れた。担架で要救助者を運ぶ緑十字軍のメンバーの姿も映り、合間合間に緑色の魔力光が点滅する画像がインサートされる。
最後にブラックバックに煌々と輝く緑色の光と"グリーンジャイアント"のタイトルロゴが表示されて、映像は終わった。
「……映画広告?」
「編集めちゃめちゃカッコいいけど、意味不明」
「これ、生徒会長戦の時に校内イントラネットにアップされてた奴?」
「あれはやっつけ仕事だったので、きっちり編集しなおしたロングバージョンだ。一般からの新入手映像を追加。誰の顔もはっきり写らないように配慮したから一般公開もできるぞ」
「このデータくださいぃ~っ!」
芹沢は藤村に土下座した。
「藤村くん。これがバージョンアップしてるってことは、もちろん風紀委員長様大活躍映像集も、グレードアップしているのよね?」
八千草鈴菜のただならぬ圧力に藤村はたじろいだ。
「一応いくつかありますが……どれから見ます?」
「上から順番に全部」
八千草は有無を言わせぬ目をして、にっこり笑った。
「ユズちゃん!豊野香さん!イブキくんのカッコいい動画上映会始まるわよ」
「はい!お姉様。ご相伴させていただきます!」
藤村はこれは言いなりにデータを提供するより仕方ないと諦めた。
彼女達は多目的室の決定的な音声データ確保の功労者だが、その動機は不純以外の何物でもなかった。
藤村が、証拠品として発言が聞き取りやすくするように録音データに含まれる呼吸音などのノイズを消したバージョンを作成したら、彼女達はとんでもないことをすると言って彼を非難した。
「藤村くん。吐息はノイズじゃないの」
「ヘッドフォンで聞いた時に一番重要なところを消しちゃダメ」
彼女らの求めに応じて、原音から機械的ノイズのみ削除して抜き出した音声データを思い出して、藤村はげんなりした。
TVの前に正座した生徒会書記の豊野香を見て、生徒会長は目を瞬かせた。
「豊野香さんも来てたの?それに八千草さんと演劇部の副部長さんね。どういうつながりなの?」
「八千草さんと鈴城さんは今回、青チーム通信係の取りまとめをやってくれたんだ。うちの豊野香とは…なんかあいつが文芸部のメンバーと一緒に書いてる何かの関係で仲がいいとかなんとからしいが……シズカはそこは踏み込まなくていい」
「それは無闇に詮索する気はないけれど。学年や所属を越えたお友達関係っていいわね」
少しうらやましそうにするシズカに、黐木は「お願いだからあの界隈には首を突っ込まないでくれ」と念を送った。
「あ!会長!神納木会長も一緒に観ましょう」
「沈丁花様いらっしゃいませ。お隣でご一緒にいかがですか?」
「お誘いありがとうございます。ただいまうかがいますわ」
黐木の願いもむなしく、ダメ女子会に引き入れられたシズカの後ろ姿を見送りながら、彼は幼馴染が染まらないことを祈った。
八千草の解説付きで、御形のプロモーション動画を1つ2つ観賞したシズカは、こんなのがどれくらいあるのだろうと、藤村のパソコンのモニタを覗いた。
「ずいぶん沢山データファイルがあるのですね。こちらは音声データ?」
"多目的室録音(無修正)-抜粋リク1_試供品"とかかれたファイルを指差して尋ねてみる。部分抜粋しただけのお試し用データなら、過剰な演出は入っていなくて聞きやすいだろう。
「神納木会長、それはヘッドフォン推奨です」
いつになく強い語調の豊野香の勢いに呑まれて、シズカは渡されたヘッドフォンをつけた。
彼女は、再生を命じられた藤村が死んだ目をしているのに気付かないまま、目を閉じてヘッドフォンからの音声に集中した。
……切羽詰まった呼吸音がする。
「川畑」
苦しそうに喘いでいたのは御形らしい。
「悪い、もう…限界だ」
かすれたささやき声が、まるで耳元に口を当てられたかのように片側から熱っぽく響いた。
「我慢できん」
「伊吹、だがお前……」
川畑の重低音の声は気遣わしげだが、緊張が滲んでいる。
がさごそと衣擦れの音がした。
「許す……」
続く御形の言葉には強い決意がこもっていた。
由緒正しい名家の箱入り娘、神納木シズカは、うっかり宇宙の深淵を覗いてしまった猫のような顔をして、フリーズした。
くだんの録音箇所は下記参照
234話「刺さったのは弾丸でも暴力でもなく」




