言葉が足りなくて…言い過ぎ
「植木」
植木の目に涙が浮かんでいるのを見て、一瞬、川畑から殺気が漏れた。川畑の前で野次馬の人垣が割れた。
「どうした。大丈夫か」
人の間を大股に抜けて、植木のところまで来た川畑は、ハンカチを差し出した。
植木の口元がきゅっと結ばれた。
「……大丈夫じゃない」
「何があった」
植木はつらそうに眉を寄せて、川畑を見上げた。黙りこんだ植木は、川畑が1歩前に出ると、目を伏せて後ずさった。
植木の拒絶の姿勢にたじろいだ川畑は、周囲の寮生達に視線を振った。
「川畑、お前こいつの同室だったよな?なんで本人がいないときに引っ越し業者を部屋にいれたんだよ。了承なく荷物運び出すとか、非常識だろう」
「何?」
川畑は思わずドスの利いた声で聞き返してしまった。
「その……部屋の引っ越しの件、本人は知らなかったらしいぞ」
思わず怯んだ寮生に、後ろから声がとんだ、
「待て、川畑は先週末は授業中の怪我のために家に帰っている。寮に戻ったのは休み明けの朝だ」
野次馬が遠慮して空けた隙間から御形は川畑の隣に出た。
寮生達は顔を見合わせた。
「寮長、あんたは植木の部屋移動知ってたんだよな。どういうことか説明しろよ」
「俺は希望者が部屋を移るとだけ聞いていた。それが植木だと知ったのは休み明けの朝だ」
「立ち会わなかったのか?」
「俺も週末は外泊してたんだ。朝、こいつが植木の荷物が部屋から消えてるって言って、相当ショックを受けてたから、事務室に確認した」
御形は、眉を寄せた川畑の肩に手をかけた。
「こいつずっと植木から連絡がないって、気を揉んでいたし、生徒会長戦の間も態度が煮えきらなくて、正直、鬱陶しかったんだが……植木、そこんとこ何がどうなってる」
御形は険のある目付きで、植木を見下ろした。
「俺はお前からリコール請求されたことに納得はいってないし、今のお前の態度も変だと思っている」
植木はピクリと肩を震わせた。
「御形。そう怒るなよ。植木にも事情があったみたいなんだ」
そうだそうだと、植木の援護に回った周囲を、御形は睥睨した。
「だろうな。で、なんでそれをお前らが知っていて、川畑が知らないんだ?そこがおかしいんだよ」
御形はその場にいた者の中から、まっとうな証言が取れそうな数人を選んだ。
「今、名前呼んだ奴は共有ラウンジに行ってくれ。ここで何があったか確認したい。植木、川畑!お前らは俺の部屋に行ってろ!そこでケンカでも仲直りでもいいから、とにかく話をしておけ。お前ら会話が足りてねぇんだよ」
植木はうなだれて小さな声で返事をした。川畑は黙ってうなずいて、渡し損ねて持ったままだったハンカチをもう一度、植木に差し出した。植木はハンカチを受け取ると、川畑の手が引かれる前に、その人差し指と中指をきゅっと握った。
「行こうか」
「うん……ごめんなさい」
優しくかけられた声に、震える声で植木は小さく応えた。はっきり言って、その様子は女の子そのものに見えた。
「(ヤバい。植木、めっちゃ可愛い)」
「(これはあれだ。男でも関係ないって思う奴が出ても仕方ない。というかよく川畑平気だな)」
「(お前ら付き合ってるの!?いや、あいつ、彼女持ちだった……いかん、視覚情報で脳がバグる)」
「(アレ相手に同室で問題起こしてなくて、ひたすら親切なだけで、彼女持ちの川畑って、植木にとっては、すごく貴重な安牌なのか。なるほど、そりゃ、一人部屋よりあいつと同室のが安全だわ)」
手を繋いだまま御形の部屋に向かった二人を、野次馬達は生暖かい目で見送った。
解散!との御形の号令に、野次馬から不満の声が上がった。しかし、御形がピックアップした人選が、それなりに寮内の各層に影響力のある者だったこともあり、特に大きな騒ぎも起きずに、その場は収まった。
御形の部屋に入って戸を閉めたところで、植木はすがり付くように川畑の腕を引いた。
「川畑くん、ごめんなさい、私……」
「いいよ。伊吹先輩が言ってたことは気にしないでくれ」
川畑はさっきまで御形と茶を飲んでいたテーブルに、植木を連れていって座らせた。勝手知ったる風に棚からプラカップとペットボトルを出して、茶を注ぐ。
「……いいの?」
「ああ、気にしないでいい」
川畑は自分のマグカップにもおかわりをついだ。植木は何をどう言えばいいのかわからないといった様子で、川畑が茶を飲むのを見つめた。
緊張した面持ちの川畑は、カップを置いて「俺こそ、すまない」と切り出した。
「ちゃんと君の気持ちや事情を確認すべきだった。勝手にあわてて、一人で悩んで、挙げ句のりこを危険な目にあわせた。……ごめん」
川畑はテーブルに額がつくほど頭を下げた。
「嫌われたかもしれないと思ったら、正面から聞きに行くのが怖かった」
ノリコは慌てた。
「ちょ、ちょっと待って、川畑くん!顔あげて。私、あなたのこと嫌ってなんか」
「うん。君は優しいから面と向かっては文句が言えないのは知ってる」
「そうじゃなくて!」
「気を使わなくていい。今回のことでわかった。一緒にいることで君にばかりストレスを感じさせて、負担をかけてしまった末に、黙って出ていかれるのは物凄く辛かった。だから、俺のやることで嫌なことがあったら、その場、その場でその都度ガンガン文句を言ってくれ。俺は無神経だけど、君が不快だと思う行動はできる限り直すから」
妻に逃げられた夫の土下座謝罪みたいな言い様だったが、川畑はいたって真面目だった。
「同じ部屋が嫌なら、俺が寮を出てもいい。でも、お願いだ。今度みたいなことがないように、連絡だけはいつでもとれるようにさせてくれないか?君が危険な目にあって苦しんでいるときに、気づかないで助けにいけないなんて嫌なんだ」
「えぇ……あ…ぅうん」
頭を下げた状態から、少し顔をあげただけで、すがるように見上げられたノリコは動揺した。
なにせ、嫌どころか、同室で四六時中一緒に暮らせるのは天国以外の何物でもなかった上に、惚れた弱味で川畑のすることはどんなことでもいとおしく思える重症患者である。不要な譲歩をされた上に、こんなことを言われたら、困るやら嬉しいやらで、完全に脳が沸騰していた。
ろくに返事ができずに言葉に詰まったノリコの反応を誤解した川畑は、ひどく情けない顔つきで、弱々しく言葉を続けた。
「もちろん、君のやりたいことは妨害するつもりはないし、交遊関係に口を出す気もない。でも、その……今回のリコールは、その……伊吹先輩にはお世話になっているし、生徒会の人達も悪いとは思えなかったし……まさか君があっちについてるとは知らなくて先に協力をOKしちゃってて……ごめん」
川畑はうつむいて、言い訳がましく小声でボソボソ喋った。
「でも、その……一つ言わせてもらうなら、あの海棠って人は、あまりいい人じゃないと俺は思う。もちろん、君にとってはいい人なんだったら、悪口を言いたい訳じゃなくて……でも……俺の見る限りちょっとどうかと思うところがあったから…ええっと、つまり、その……付き合うならそういう面もある人だっていうのは冷静に見た方がいいというか……」
どんどん小さくなって口の中に消えていく川畑の繰り言を聞きながら、ノリコは微笑んだ。
「私、海棠先輩からラブレターもらったの」
川畑は、弾かれたように顔を上げた。
「それで、川畑とは付き合うなって言われたんだ」
川畑は腱が白く浮かぶほど拳を握りしめた。
「……だから、連絡くれなかったのか」
「うん」
ノリコは川畑の拳に自分の手を重ねた。
「川畑くんと縁を切ったら、川畑くんと山桜桃さんに文句はつけないって言われたから、我慢しようって思ったんだ。……でもね」
ノリコは苦笑した。
「川畑くんと縁を切るなんて、私には無理みたい」
苦笑なのに、その笑顔はとても綺麗だった。
「ごめんね。川畑くんと山桜桃さんのこと応援するって言ったのに、我が儘で」
力が緩んだ川畑の手に、ノリコは指を絡めた、組んだ手を包むように、もう片方の手を重ねて、ノリコは川畑の顔を見た。
「私には川畑くんが必要みたい」
川畑は完全にフリーズした。
「とにかく!川畑くんが誤解しているみたいだから、この際はっきりいっておくけど、私、あの海棠って人だいっ嫌い。独善的で、こっちの気持ち無視して一方的に私を"俺のモノ"扱いしてくるのホントに気持ち悪いし、私の知らないうちに私に関係すること勝手に決められちゃって実行されるの迷惑でしかないわ。ちょっとちやほやされたからって、いい気になって、自分はモテるって勘違いしてキザなことするの痛いし、こっちが遠慮して優しくしてればつけあがって、まったく冗談じゃない。本当に輝いている本物のカッコいい人と比べたら、自分なんてその辺の石っころみたいなモノだって自覚するべきなのよ」
「あ…ああ、……おう…」
ノリコの言う"本当に輝いている本物のカッコいい人"がまさか自分を指しているとは露ほども思いつかない川畑は、身に覚えがある所業の数々をあげつらわれて、滅多刺しのボロボロになった。
「そもそも、曲がりなりにも男の子の身体の今の"僕"に対して、色恋の視線を向けるっていう感覚がわからない。川畑くんもそう思うでしょう?」
生まれてきてスミマセンと口走りそうになる気持ちをなんとか支えながら、川畑は機械的にうなずく人形になった。
ノリコさん。これまで恋愛に関してはガードを固めて撃退に専念してきたせいで、致命的なタイミングでオートガードが発動。
もちろん、川畑くんになら"俺の"って言われたいし、独占欲丸出しで嫉妬されても嬉しいし、カッコいいからなにやっても許す!……という驚異の乙女心ダブルスタンダードなんですが、そんなもの、この恋愛偏差値と自己評価が低い男にわかるわけがないのです。




