見えなくても気付けることもある
子供のはしゃぐ声で目が覚めた。
「こらこら、奥でお客さんが寝てるから静かにしろよ」
川畑の声がする。部屋は暗い。
彼のマンションだろうか。
ベッドで寝ているようだ。泊まったときには使わなかった寝室かもしれない。あのときはどっちがベッドで寝るかもめて、結局リビングで雑魚寝した。
「お客さん?誰?」
「俺の学校の先輩だ」
「誰先輩?」
「伊吹先輩」
「イブキ?見たい!」
「趣味悪いけど、いい人のイブキ?一緒に遊びたい!」
「今はダメだ。魔法の使いすぎで疲れて寝てるから」
「怪獣退治一緒にしたの?」
「ずるい!怪獣退治するとこ見たかった!」
「しょうがないなぁ。現場を動画で撮ってた奴がいるから、データもらってやるよ」
「やったぁ!」
「それ見せてやるから、おとなしくしてろよ」
「はーい」
「いいこにしてるー」
「さぁ、もう夕飯にするから配膳手伝ってくれ。今日は一緒に食べよう」
「わーい」
「やったぁ」
にぎやかな声が遠ざかる。
起き上がろうとするが、全身がだるくて力が入らない。体が熱い気がするのに、寒気がする。どうしようかと考えるつもりで目を閉じたら、そのままもう一度眠ってしまった。
次に目が覚めたときも、部屋の状況は変わっていなかったが、体調は多少マシになっていた。
ひどく喉が乾いたので、水をもらおうと起き上がりかけたところで、人の話し声に気がついた。先ほどの子供達ではなく、大人の男性の声だ。
「なぁお前、もうここの学校に通うのやめた方がいいんじゃないか?」
ドキリとして、思わず耳をすませた。
「それなりに楽しそうだから、まぁいいかと思っていたんだが、呪いだの怪獣だのと随分物騒じゃないか。お前のことだから気にしてなさそうだけど、勉強する環境としてそれはどうなんだ?魔法の勉強ならヴァレリアさんに個人的に教えてもらえるんだし、魔法以外の教科は、ここの学校で習ってもお前の将来の"受験"には役に立たないんだろう?」
ぼそぼそと応える川畑の声がする。聞き取れないが、明らかに歯切れの悪い、言い訳をするときのしゃべり方だ。
「今度の騒ぎで、目をつけられたら、ややこしいトラブルになる前にさっさと止めて戻ってこいよ」
返事は聞こえなかった。
「だいたいお前は元いた学校に戻りたいって言ってたじゃないか。それを優先したほうがいいだろう。……まぁ、カタギな生活とは程遠い生き方しかしてない俺が言っても説得力ないだろうけどさ。なんか嫌なんだよ。安全に真面目に勉強してるはずのお前が、突然、呪われただの変な化け物と戦っただのって、わけのわからない危険な目にあって死にかけてるってなんなんだよ」
確かに生徒会長のリコールで死にかけるというのは、わけがわからないだろう。言い方は乱暴だが、この声の主……おそらくこのマンションの持ち主である叔父さんとやらが、川畑のことを心底心配しているのはよくわかった。
「俺の言葉じゃ納得できないなら、ダーリングさんに相談しろよ」
「あの人は関係ない!」
「"身元保証人"なんだろ?都合のいいときだけ責任とらせて、ろくに連絡も相談もしないのはいかんだろう」
「別に血がつながった親ってわけでもないし、何でもかんでも報告しなくてもいいだろう。今回はあの人をこっちに呼ぶつもりはない」
「俺は"お迎え"程度やここの名義人ぐらいにはなるけど、ガチのトラブルの保護者役で呼び出されても役に立てんぞ」
「でも……あの人は仕事で忙しいから」
「お前、人が仕事中かとか気にしたこないくせになにいってやがる。それに、俺もカタギじゃないけど仕事してるからな!」
声からするとわりと若いらしい男は、ぶつくさ文句を言った。
「とにかく!今回のことは早めにダーリングさんに連絡しておけ。大人はな、ちゃんと子供を守りたいし、手助けはしてやりたいと思っているけど、事前連絡がないと動きにくいんだよ。お前はいつも何もかもいきなり過ぎるんだよ」
川畑が謝るしょげた声が聞こえた。
「ああ、くそっ」
男は悪態をつくと、ちょっと出てくるといって、出掛けた。
御形は部屋が静かになったのを見計らって、そっと扉を開けた。
「あ、目が覚めたのか」
「……喉が乾いた」
「わかった。そこに座っててくれ。暖かいのと冷たいのどっちがいい」
「まず普通の水でいい」
もらった水を飲み干すと、キッチンから川畑が飯は食えそうかと聞いてきた。
「腹減った」
「親子丼でいいか?すぐに用意する」
出てきた親子丼は旨かった。
「三つ葉も海苔もなくてすまん」
「いや、要らない」
「おかわりは?」
「くれ」
出されたお茶を飲みながら、御形はキッチンの川畑の様子を伺った。おしゃれな対面キッチンだが、背が高すぎてダイニングからは顔が見えない。
「何で俺、お前んちにいるんだ?」
「ああ。あのあと結局、調査やら復旧やらがあるからって、全員帰らされてな。寮生も可能な限り帰宅しろって言われてさ。お前、目を覚まさないからとりあえずうちに連れてきた。起きたなら家に連絡入れろ」
「ああ……」
「実家に帰るなら、これ食ったら帰れよ。迎えに来てもらうんでも、タクシー呼ぶんでもどっちでもいいけど」
御形は時間を確認した。
「よかったら泊めてくれ。俺んち遠いんだ。今から帰っても、明日、登校できん」
「明日は休校だ。でも、泊まるなら泊まっていってくれてかまわない」
川畑はおかわりをテーブルに置いて、御形の向かいに座り、自分の分のお茶も注いだ。
御形は川畑からその後の学校の顛末を聞きながら、黙々と親子丼のおかわりを掻き込んだ。
怪獣騒ぎでやって来た警備会社や特殊部隊への対応で、先生の手が取られ、学校はかなり混乱していたらしい。とても陣取りゲームの続きという状態ではなかったので、ひとまずリコールの件は保留にして、生徒会長指揮の元で避難が優先されたそうだ。
「会長さんって、おっとりしたお嬢様って印象だったけど、非常事態では恐ろしく頼りになる人だな。なんかあの人が出て来て話したら、パニックになりかけの場がピタリと収まって、ビックリするぐらいみんな冷静に対応しだしてた」
「ああ、あれはあの人の特殊能力みたいなもんだ。個人のオリジナル魔術でヒーリング効果のある魔法の香りを発して、群衆を沈静化できるんだ。"沈丁花"の名は伊達じゃない」
「強ええ……なんだそれ」
「あそこの家は旧家の名門だから、長女の彼女は支配系の古魔術もいくつか使えるはずだ。全校生徒ぐらい簡単に掌握できて当たり前だよ」
「それは……生徒会長になるべくしてなっている人なのでは?なぜリコールなんて話になったんだ?」
「本人が、自分の能力は洗脳みたいで嫌だからあまり大っぴらにはしたくないって隠してるからな。鞘に入った刀を、刃が見えないからって切れないと思うバカはいるってことさ」
御形は、目の前のこの化け物を小者扱いしていた奴のことを思い出しながら、食後の茶を啜った。




