しつこい汚れもきれいに落ちます
「まったく、無茶をしおって。ああ、そんな瘴気と呪いまみれでリビングに入るんじゃない!バスルームに行け」
ヴァレリアは、マンションの玄関に転移するやいなや、泥だらけの犬を追うように、川畑を風呂場に追いやった。邪険に扱われても上機嫌の川畑は、いわれたとおりバスルームに入った。
「ありがとうございます。師匠のおかげでやってみたかったことが、いい感じにできました」
「何をいっとるか。まったく、お前は思い付きで行動しすぎだ」
奥の部屋から自分の杖と呪い解除用の道具を持ってきたヴァレリアは、川畑を睨み付けた。
「アトモスだのなんだの使いたいから船をこっちに持ってきてくれって、そういうのは事前に言え。大汗かいたぞ」
呪術を発動した後、呑気に屋上で高みの見物をしていた魔女は、急にそんなことを頼まれて、駆けずり回るはめになったのだ。彼女は改装中の宇宙船のドックに転移させられ、係留索を外したり、システムを仮起動したりと、大いに働かされた。
「さすが師匠」
「都合のいいときだけ師匠呼びしおって」
ヴァレリアは青々した葉が付いた若枝を束ねながら、顔をしかめた。
「いやいや。ヴァレさんのことは常々尊敬してますって。船のVシステムが、理力のないこっちの世界でもちゃんと作動するのとか本当に凄い」
「そりゃぁ、もともと魔法技術を理力変換していたシステムだからな。ここは時空監査局が新人教育用にねじ込んだだけあって、比較的ベーシックな魔法適用世界だから、汎用的な変換機構だけでいけた」
「急なリクエストでよくできたなと思ったら、そういうことですか」
「とはいえ、いくら変換機構があっても、基本原理の異なる世界で無理やり動かしたんだ。あとで再調整は必須だな」
「ご面倒おかけします」
川畑はバスルームの隅に所在無げに立ったまま、薬剤を手早く混ぜるヴァレリアの手元を眺めた。いかにも異界の魔女っぽい道具は、白いブラウスに黒のタイトスカートという出で立ちで、マンションのバスルームにいる美女にはそぐわなかったが、その手付きは明らかに熟練のプロのそれで、カッコ良かった。
数種類の薬を用意したヴァレリアは、バスタブに水を入れ始めた。どうやら調合した薬は入浴剤のようにそこに入れるものらしい。
「それにしてもよくもまぁ、分身やら巨人やらを操りながら、同時にあんな大規模な転移を瞬間発動したものだな。マルチタスクが得意と言っても限度というものがあるだろうに」
座標さえわかればあのサイズの宇宙船をまるごと転移できるというだけでも驚異的だが、同時にこなしている作業が質も量もとんでもない。
「いやぁ、あれこれしてたら、ちょっと戦闘が雑になって、伊吹先輩に怒られました。本末転倒も甚だしいというかなんというか……あれはカッコ悪かった」
通常はそれどころの話ではないのだが、どうもこの男はそういう常識が欠けているようだった。
「……精進せい」
「はい。今後ともご指導よろしくお願いいたします」
ヴァレリアはなんとも嫌そうな顔をして、川畑を見上げた。
「もうここで無理して無駄口叩いてなくてもいいから、お前は学校の方に専念しろ。瘴気の掃除と解呪はやっておいてやる。その複製体はそこのバスタブに寝かせて置いてけ」
ヴァレリアは若枝の束を手に、杖でバスタブを指し示した。
「えーっと」
「さっさとしろ」
ヴァレリアは、ためらう川畑を急かせた。
「もう使わないなら洗わないで処分するが、どうする?」
「処分は……困る」
「まだ使う気なら、服は分けて洗浄する。脱げ」
川畑は情けない顔をして、渋々言いつけに従い始めた。
「ううう、何するか知りませんが、大事に扱ってくださいよ」
「ごたくが多い。さっさとそこに横になって意識抜け」
若枝の青い葉で頭を叩かれながら、川畑は制服をバスタブの脇に置いた。
「できるだけこっちは気にしないようにはしてみますが、完全には無理ですよ。……これ俺の本体だから」
「は?」
川畑の意識が抜けた複製体を、個性のない模型のような素体に戻してから薬液に浸けて洗浄しようと思っていたヴァレリアは、固まった。
「ばっかもーん!複製を作ったのにわざわざ本体が呪術の召喚核になるやつがあるか!!」
「本体の方がなにかと操作が楽そうだなと思って」
「どうするんだ!?こんなにべったり呪われて。真っ黒じゃないか!」
「大丈夫。表面だけだから」
「大丈夫なわけあるか!体調や精神に異常はないか?お前が受けた呪いは、興味や関心の対象に強い肉体的欲求を付加して、衝動的に行動させる術式だ。呪い返しを受けると、動物的な欲求を強制的に煽られ続ける感じがするはずだ」
「あー、異常はないんだが……それって、呪いが効いてたら、今、俺はケダモノになりやすいってこと?」
ヴァレリアは、川畑の顔や体をあちこち触って確認していた手を、はたと止めた。
「……なられると困る。なるなよ」
「こういう普通のマンションの風呂場だと、専門家に体調チェックされてるだけって割り切るのが難しくて、正直、この状況は呪いが効いてなくても精神的にかなりキツイんだけど」
ヴァレリアは、そおっと手を離すと。静かにバスルームから出た。
「だとすると、どうする?呪いを解くのに、3日は薬液に漬け込むつもりだったが、本体ではそういうわけにいかんだろう」
廊下でバスルームの扉にもたれて座り込んだヴァレリアは、唸った。
「薬漬け3日はさすがに遠慮したいな。薬は今、学校にいる方のコピーに使ってもらうとして……そうだ。ヴァレさん」
「なんだ」
ヴァレリアは扉越しに、ぶっきらぼうに返事をした。
「ここ、範囲限定でちょこっと異界化してもいいか?」
「なんだと?」
「俺の体の呪いがある範囲の世界属性を限定的に魔術のない世界に書き換えると、体の表面に張り付いた呪いが消えると思うんだ」
「確かに理論上はそうなる…のか」
「あ、取れた。取れた」
扉の向こうの川畑の声は、泥汚れでも取れたかのような、気楽な調子だった。
こいつ、無茶苦茶だ。
ヴァレリアは座り込んだまま頭を抱えた。




