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家に帰るまでが冒険です  作者: 雲丹屋
第9章 それはいつまでも続くと思っていた刹那

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手を伸ばせど

魔方陣に横たわった植木の、もともと色白の顔は蒼白で、胸の上に重ねられた手は、異様に黒く染まっている。死体のように見える植木の体からは、赤い魔力が血のように吹き上がっていた。人の魔力を吸い出して拡散させる術式が、発動し続けているのだ。

黒い瘴気は、自分に捧げられた贄を取り込むために、植木の上にじわりと覆い被さっていった。


「どけぃっ!!」

川畑が大きく左腕を振ると、彼の前の数人が吹き飛ばされ、Bホールにいた全員の自核と腕輪が消灯した。

倒れた赤陣営の奴らを乗り越えて、川畑は植木に駆け寄り、手を伸ばした。

しかし、彼の手が届く前に、黒い瘴気は植木を完全に呑み込んだ。贄を取り込んだ瘴気は渦を巻き、繭のように丸く集束した。


川畑は無理やり繭に手を突っ込んで植木を引っ張り出そうとしたが、強力な結界で弾かれた。

繭状だった黒い瘴気は、再びうねうねと形を変え、膨れ上がり始めた。消灯のショックで床に座り込んでいたSプロスタッフ達は這って逃げようとしたが、瘴気に追い付かれ、魔力を吸われて意識を失った。


「(人の多いところでこいつの相手をすると、犠牲者が増える)」

廊下で戦った獣よりも大きくなっていく凝固した黒い塊を見上げながら、川畑は一旦、人の少ない側に下がって、距離を取った。


ぶるぶる震える不定形の表面が何ヵ所か盛り上がった。軟体生物の肢のように突き出した部位は、ヒタヒタと周囲を探りだした。大小の突起は先の方で枝分かれして細長く伸び、人の指を思わせる形になった。人間とはバランスの違う歪な触腕に、細長い人の指が不規則に生えているのは異様だった。

粘性の高い液体のようでもあり、つるりとした固体のようにも見える黒い怪物は、()()()で何かを探しながら、周囲の人間の魔力を取り込んで、どんどん膨らんだ。


川畑は自分の腕にカーテンの端を巻き付けながら、怪物の体内に取り込まれた植木を引っ張り出しやすそうな部分はないか、様子をうかがった。黒い塊は大きすぎるうえに、内部が渦を巻いていて、どこに贄を包んだ核があるのかが、分かりにくかった。

これ以上、相手が大きくなると身動きが取れなくなりそうだ。

「(ダメもとで、突っ込むか)」

川畑が身構えたとき、横手から聞き覚えのある叫び声が上がった。


「アホかーっ!!何してんねん。はよ逃げぇっ!」

多目的室からつながる小会議室の出入口で、橘が無駄に腕を振り回しながら変な踊りを踊っていた。悪い持病の発作でなければ、必死で川畑を呼んでいるのかもしれない。

川畑は些事を無視して、怪物に向かって踏み込んだ。


「どアホーっ!そん中のはホンマの植木ちゃうわー!!」


「何!?」

触腕の1本の付け根に、腕を突っ込んだところで、川畑は橘の方を見た。

「どういうことだ!説明しろ、がらくたウサギ」

「ギャー!前!前、見んかい。アホ〰️。話してる場合か!!」

黒い怪物の体は、手応えなくヌルリと川畑の腕を包み込んだ。肩まで引き込まれて、強く締め付けられる。

川畑は魔力を吸い出されないように抵抗した。


関節のない太い触腕が川畑の胴体に巻き付いた。触腕の表面から大小の指が生え、ヒタヒタと川畑の身体をまさぐる。川畑は空いた方の手で触腕を引き剥がそうとしたが、怪物本体から新たな触腕が伸びて、上腕部から押さえつけるように、巻き付いた。本体や太い触腕から枝分かれして伸びた腕が、川畑の足首や太腿にも取りついて、自由を奪う。


「あっ、あわわ……アカン、アカン。どないしょ、どないしょ……」

泡を食った橘は、両手で手近にあったパイプ椅子を引っ掴むと、怪物に向かってぶん投げた。

しかし、小柄な橘の腕力では、十分に届くはずもなく、パイプ椅子は大きな音を立てて床に落ちた。はずみで少し滑って行った椅子は、怪物の体を支えていた肢のひとつにコツンと当たった。


椅子の当たった肢の先から、細い触手が爆発するように伸びた。

「ギャー!」

橘はすぐ脇で腰を抜かしていた赤帽子の腕を掴むと、無理やり立たせて自分の前に突き出した。

長く伸びた触手が、赤帽子に触れると、不幸な赤帽子は気を失った。


「外道!被害者を増やすな」

川畑は怪物の体内から無理やり腕を引き抜こうとした。そちら側の腕はカーテンでくるんでいたので、直接、粘着質な体に包まれているわけではない。しかし、全身に巻き付かれて身動きを封じられているので、腕だけ抜くというのも難しかった。

「うっさい!触手に捕まって気絶なんかしたないわいっ」

「だったらさっさと逃げろ。この部屋に誰も来させるな」

「そいつの目的はあんたや!あんたこそ、さっさと逃げぇ」

「橘ぁっ!3歩下がって、知ってること全部吐けっ」


「ただで情報吐くのんは、イヤやぁ~」

いっそ清々しいほど、自分のポリシーに忠実な発言だった。

「旦那!とにかく下がれ」

小柄な橘の後ろから川畑に声をかけたのは、背の高いジャグリング部の男だった。彼は指の間に挟んだトランプ大のカードを怪物に向かって投げた。

魔方陣が仕込まれたカードは川畑を拘束していた一番太い触腕に突き刺さり、次の瞬間に閃光と爆発音を撒き散らした。イベントのとき体育館をパニックに陥れたなんちゃって爆弾だ。カードに付与されているのはイリュージョンマジックのため、衝撃や威力はまったくない。目や耳のない怪物にどれ程効果があったのかはわからなかったが、拘束が多少緩んだ。川畑はそのタイミングで一気に腕を引き抜いて、怪物の拘束から逃れた。

さっき橘が投げたパイプ椅子を拾って、しつこく絡み付く触腕を殴り付ける。

「ジャグラー、ナイフ貸せ」

「ホイヨ」

飛んできたゴム製のオモチャのナイフを空中でキャッチすると、川畑は絡みつく細い触手を切り飛ばした。

切られた部位は、黒い瘴気になって散って消える。

「こいつ、基本はさっきの獣と同じか」

「そいつは贄によって姿と獲物が定められる呪術の猟犬や。使われた贄はバッタもんの植木コピーやけど、多分、本人の意識の影響がでる」

橘の手にはいつの間にか、食堂のプリペイドカードが握られていた。

「ジャグラー、感謝する」

「そっちかいな!?」

「感謝が欲しけりゃ人道と福祉に無償貢献しろ」

「イヤやぁ、ジンマシンが出るわっ」

「ジャグラー、そのアホ連れて逃げろ」


川畑を取り逃がし、触手を切られた怪物は、伸ばしていた触手た触腕をすべて引っ込めて丸くなると、ぶるぶると身震いした。怪物の体はさらに膨れ始め、天井がたわんで、照明が壊れた。

川畑は窓際に下がり、可能な限り魔力を収束して気配をころした。


「川畑ぁっ!無事か!?」

「御形さん、まだ暴れちゃダメです!」

橘達を押し退けて、突撃してきたのは応急処置を切り上げてきたらしい風紀委員長だった。

川畑によって魔力をフルチャージされて、彼と似通った匂いを発している御形に向かって、怪物の体の一部が盛り上がった。


肩や肋骨をやられている今の御形が、怪物に掴まれると危険だ。

「俺はこっちだ!」

川畑は気配隠しを解除し、魔力を解放して、怪物の意識を自分に向けさせた。御形に向かってまっすぐに伸びかけた触腕が、ガクンと向きを変えて、川畑を襲った。

つるりとした触腕は、大きな手の形に変形し、掬い上げるように川畑を掴もうとした。寸前で後ろに引いた川畑を追った手は、そのまま勢い余って川畑の体を背後の窓に叩きつけた。窓ガラスが割れ、川畑は怪物の手に押し出される形で状態で、窓の外に放り出された。

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