氷の制圧、風の蹂躙
クラスの通信係の鈴城ユズは、画質の悪い中継画像に見いった。
「(また、脱いでる……)」
どういうわけか、川畑はまたしてもシャツを着ていなかった。
「(いいけど……いや、よくはないけど)」
半端に意識した相手の映像から、目が離せない。普通の格好で戦っていてくれたら、単に安否の心配をするだけだったのだろうが、川畑が上半身裸なせいで、鈴城は自分がひどく邪な動機でその姿を目で追っている気がして、変にドキドキした。
「(ヘッドセットのコードが肌の上を腰の電池ボックスまで延びてるところがいい…って、それは私、感想が変態すぎるっ)」
先日、保健室で見た実物の記憶をつい反芻して妄想が暴走しかける。乱戦の廊下の奥から望遠で撮っているらしき映像は、ちょっと隠し撮り風で、鈴城はこっそり覗いている気分になって余計に後ろめたかった。
"「ユズ」"
「ひゃはいっ!」
突然、イヤホンから当人の声がして、鈴城は飛び上がった。
"「3階に増援頼む。あとそこか2Bに結界用紙の予備が残ってたら、高3A前まで持ってきてくれ」"
「は、はい!じゃなくてマイク設定をONにして……わかった。すぐに手配する」
その時、映像に映る川畑の後ろに迫る赤帽子の姿に気づいて、鈴城は思わず声をあげた。
「川畑くん、後ろ!」
川畑は振り向きざまに、手にしたモップで背後の敵が構えていたバケツを叩き落とした。
バケツの水が廊下にぶちまけられる。
「足元注意!滑るぞ」
川畑は消灯者を搬送中の緑十字軍の奴らに警告すると、鈴城にこちらが見えているのか尋ねた。
"「少し前から中継されてる」"
「(木村か……)」
川畑は廊下の向こうを見た。
連絡をとろうとしたが、通信のためのピンバッチはシャツに付けたまま御形に渡してしまった。距離があるとさすがに戦闘しながらの通信は難しい。
鈴城に連絡を頼むと、川畑は獣の1体をぶん殴りつつ、御形の脇に寄った。
「川畑、すまん。ガラス片が危険で風系の魔術が使えん」
「そこ、床濡れてるぞ」
「ああ、くそっ。スケートリンクじゃねえぞ」
滑る床に悪態をつく御形を川畑は引き寄せた。
「それだ!解決手段を思い付いた。合わせてくれ」
「おう?任せとけ」
至近距離で川畑を見返した御形は、雑な説明であっさり了承した。
「(こういうところ、やり易くて助かるなぁ)」
川畑は御形と二人で獣を牽制しつつ、来ているはずの人物を探した。
「ジャグラー!」
乱戦の向こうに、ジャグリング部のひょろ長い姿を発見し、川畑は叫んだ。
「ライトくれ!」
緑十字のメンバーを護衛していたジャグリング部は、かけていたバックから小さなマグライトを取り出すと、川畑に向かって投げた。
「芹沢!みんなを下がらせろ」
川畑はマグライトをキャッチすると、その改造されたライトの脇に付いたダイヤルを操作した。
「(起点がいいわけ程度に濡れてりゃいいから、こんなもんかな?)」
川畑はモップで水を廊下に広げると、ライトを構えた。
正面から獣が牙だらけの口を大きく開いて飛びかかってくる。
川畑は獣の口内に腕を突き込むようにして、モップの柄を獣の喉奥に突き刺した。
召喚核を貫かれて黒い霧と化した獣をモップごと背後に投げ捨てる。川畑は、獣の巨体が散った後の濡れた床を、マグライトで照らした。ぼんやりとした光の丸い図形が床に映った。
「(えーと、イメージはあれだ。ネコさんが台所でスケートするやつ)」
川畑はチビ妖精達が好んで見ていたカートゥーンのワンシーンを思い出しながら、発動させる魔術をイメージした。リアルな物理法則は頭から閉め出す。この世界の魔術で発生させる現象は、質量保存もエネルギー保存も無視した謎現象だ。ご家庭用冷蔵庫のパワーで台所中が一瞬で凍りつくカートゥーンレベルの条理で成立させるのが正しい。
川畑は改造マグライトが映し出した光の図形に沿って魔力を床の水に展開した。
「何かする気だ。奴を止めろ!」
赤陣営から声が飛んで、数人がこちらに来ようとするが、川畑は魔術の発動に集中した。
「……氷結」
詠唱の最後を御形風の短縮節で〆る。
青白く発光して発動した魔術により、床に大きな氷の華が開いた。
花弁のような氷の結晶は、最初は正六角形、その後その花弁の間を埋めるように細かく枝分かれしながら、たちまちのうちに床に広がり、廊下を埋め尽くした。
廊下の中央に立った川畑はマグライトを握った手をゆっくりと上げて、まっすぐ正面に伸ばした。二重の青い腕輪がひときわ青く輝いた。
ライトの明かりが床を照らすのに合わせて氷が伸びていく。双子の片割れと赤帽子の数人が足元を氷の蔦に絡めとられて悲鳴をあげた。
空き教室の前から共用棟に向かう廊下はあっという間に白い氷に覆われた。
「伊吹、風」
「おう」
御形は川畑の隣に並び、川畑の伸ばした左手に、自分の右手を添えるようにして前方を指差した。
指された先に青い魔方陣が展開する。御形は自分の術式に同期して別の術式が重ねられるのを感じた。御形の青い魔方陣に重なるように、もう1つ別の魔方陣が現れる。御形はそれが川畑の部屋で製氷ケースに使われている魔方陣であることに気がついた。御形は川畑の詠唱句にタイミングを合わせた。
「アイス【竜巻】」
発動に合わせて、隣から自分の中に力が流れ込む。異質で強烈な力が自分の魔力に混ざり込みながら一体化して出ていく感覚に、御形は身を震わせた。消費量以上に注がれる圧が強いため、実質ゼロどころか過剰回復気味で体の芯が熱い。
術式側にも過剰供給された魔力により、強烈な竜巻が廊下にいた獣達を吹き飛ばした。
御形は非難の意を込めて、隣の男を睨んだ。しかし相手はいたって満足そうに御形を見返すと、力強くうなずいた。
「どんどんいこう」
川畑はマグライトを御形に握らせると、その手を握った。
「発動方向を指す」
御形は一方的に手を握られるのに抵抗して、互いに組んだ指の間にライトを握る形に直した。
「こうだ」
「……どうぞ」
若干の呆れを含んだ反応を無視して、御形は立ち直りかけた獣達に向かって、次の術式を展開した。




