恐れ知らず
凶悪な牙がずらりと並んだ大きな口を開けて、獣は川畑に飛び掛かってきた。
川畑はロッカーの扉で、獣の横っ面をぶん殴った。
獣の巨体がふっとんで、トイレと空き教室の境の壁に当たり、空き教室の扉のガラスが割れる。
「すみません!伊吹先輩。弁償します。現在時刻と状況、後で証言お願いします」
「バカ野郎!今は校舎の物損は気にするな。来るぞ!」
すぐに立ち上がり再び襲いかかって来る獣をはたき落とすように、川畑はロッカーの扉を打ち下ろした。
獣の頭部が床に叩きつけられる。
川畑は追い討ちをかけるように、ロッカーの扉で、獣の頭部を容赦なく上から叩きまくった。
怒った獣は、べこべこになったスチールの扉をはねあげるように頭を振り上げて、恐ろしい声で吠えた。
川畑は浮き上がった扉を片手で強引にスイングして、吠える獣の口内にそのエッジをぶちこんだ。獣が扉を噛み砕こうと口を閉じかけたところで、彼は扉を獣の口内に向かって蹴り込んだ。
獣の牙が数本折れて、黒い瘴気となって宙に消える。上顎が上がったせいで、獣の喉元が無防備にさらされた。
「伊吹!ホース」
伸ばされた川畑の手に、御形は持っていたホースの端を放った。投げられたホースを掴んで、川畑は獣の胸元に低い姿勢でショルダーアタックをお見舞いした。
獣は大きく頭を振って、咥えさせられたロッカーの扉を吐き出した。廊下の窓が派手に割れて、扉は窓の外に落下した。飛び散るガラスに周囲の生徒が悲鳴を上げる中、獣の死角になる側に回り込もうとした川畑を追って、獣は頭を逆に振った。
川畑はホースの端を手繰り寄せると、獣の背を越えた反対側の御形に投げた。
獣の牙が川畑にせまる。
御形はホースを力いっぱい引いた。
一瞬動きが阻害された獣の隙をついて、川畑はその鼻面に蹴りを叩き込んだ。
御形はその間にホースの端を、異常に手際よく複雑に結んだ。
川畑は狭い廊下で獣の牙をギリギリで避けながら、御形がホースをさばく時間を稼いだ。
「なんであんなのを相手にできるんだ……」
「むちゃくちゃだ」
消灯して行動制限がかかっているせいで逃げ遅れた生徒は、廊下の隅で震えながら身を縮めた。
突然現れた怪物は、その姿を見ただけで身の内から恐怖が沸き上がり体が硬直するような、恐ろしい姿をしていた。ところが、鬼の風紀委員長と、もう一人は、恐れも怯みもせず怪物を翻弄していた。
特に風紀委員長をさっきから呼び捨てにしている2年生の方は、人の上半身を丸呑みし胴体を苦もなく食いちぎれそうな大きな口のすぐ前で、表情一つ変えずに、えげつない攻撃を続けていた。
「(恐れ知らずとか言うレベルじゃないだろ)」
「(あんなん人間が食らったら一撃で死ぬ)」
風紀委員長が手にしたホースを、なにやら複雑にさばいていたかと思うと、化け物がホースに脚をとられて一瞬よろけた。それを見計らったように、ごつい男二人の見事にシンクロした回し蹴りがきまる。たまらず化け物はもんどりうって倒れた。
風紀委員長がホースの端を思い切り引くと、ホースが化け物の首や四肢を締め上げて、その自由を奪った。
「でかした!変態」
「誰が変態だ!」
風紀委員長はホースを全力で引きながら、失礼な後輩に向かって怒鳴った。
「(いや、まじで恐れ知らずとか言うレベルじゃないだろ)」
逃げ遅れた生徒達は、廊下の隅で震えながら頭を抱えた。
「川畑、この召喚獣は物理で倒せん。こいつの召喚核を、取り出すか魔法攻撃で破壊する必要がある」
ホースにからめとられた四肢を上にして、ガラスの割れた窓枠に縛り付けられるように拘束された獣を警戒しながら、御形はその牙の届かないところまで下がった。
「召喚核ってどれだ?!」
「この黒いのが邪魔でわからん」
川畑は眉根を寄せた。
「俺は攻撃魔法はまだここで習っていない。時間は稼ぐ。当てずっぽうでいいから、それっぽい場所に魔法攻撃してみてくれ」
「バカ野郎、俺の専門は風系統だ。殺傷力のあるような魔術は使えん」
「かまいたちっぽいのとかはないのか」
「ゲームと一緒にすんな。だいたいそんな物騒なもの、あっても学生が習得できるわけねぇだろ」
「ごもっとも」
獣がホースを外そうと暴れる。
「ふはははは、バカめ。そいつは暴れれば暴れるほど絞まるぞ」
愉快そうに、かなり危ない人な笑い方をした御形は、個人用にアレンジした高速短縮詠唱で術式を展開した。
【突風】
青い魔方陣が空中に出現し、その面から獣に向かって強い風が一瞬吹いた。獣の頭部は壁に打ち付けられた。体表から黒い瘴気が幾分か散るが、吹き払われることはない。
獣は頭をもたげて、また暴れ始めた。
「やはりこの程度ではどうにもならんな。川畑、何か手段探せ」
「魔法攻撃手段か……」
川畑はポケットから、紙を1枚取り出した。辺りを見回してチリトリを1つ拾い上げる。どうやらさっきのロッカーの中から落ちたらしい。
「なんだ?プラスチックのチリトリでは、どうにもならんだろう」
「これは持ち手です」
川畑はポケットから出した紙をチリトリに合わせると、紙の上端に書かれた直線の部分で山折にして、線がちょうどチリトリの端に揃うようにした。
「結界陣?」
「はい。2m×1m程の平面の結界が発生します」
川畑は人や物のない方にチリトリの先を向けて、結界を発生させた。
「発生中は用紙は裏面の接触対象に固定されるので、これで……」
川畑は獣の方に向き直ると、先端に結界面が突き出したチリトリを構えた。
「ちょっとした魔法剣代わりになるかもしれません」
大段平を振るうように、川畑はチリトリを獣に向かって振り下ろした。




