茶器は買いました
翌日丸一日をどっぷりファミリードラマに浸かって過ごした川畑は、さすがにこれ以上はと、その次の日の午前中に山桜桃家を辞した。
「今晩は伯父も帰宅するので」
「といっても、お家にろくにものがない状態なのでしょう。あなた、送るついでにお買い物できるところにによってあげなさいな。バス通り方のショッピングモールならスーパーもホームセンターも入っているから」
山桜桃の母親に奨められ、川畑は最低限の日用品を買い足しに、ショッピングモールに連れていってもらった。
「何から何まですみません」
「いいよ。いいよ。ちょうど私も見ておきたい買い物があったんでね」
「あ、ではそちらの売り場に先に行きましょう」
「いや、長くつれ回しても悪いし」
結局、山桜桃の父親は少しの間、川畑と杏とは別行動で、それぞれ買い物をすることになった。
「せっかく杏のアドバイスがもらえる状況で買い物できるなら、この機会に台所用品を買いたい」
と言い出した川畑と、山桜桃は小鍋やフライパンを見て回った。
「(まるで新婚みたい)」
つい、ペアのマグカップなんかに目が行ってしまう自分をたしなめながら、山桜桃はガラス製のティーポットを買うか真剣に悩んでいる川畑を微笑ましく見守った。
待ち合わせ場所は、2階の映画館の側のアイスクリームスタンドだった。山桜桃が小さい頃からここにくると食べたがったので、今でも定番の待ち合わせ場所なのだという。
「どれがいい?ワッフルコーンでトリプル?」
「ええっ、そんなには食べられないよ」
「じゃあ、ダブルかな」
注文の列に並びながら、二人でフレーバーを選んでいるとき、川畑は列の先に思わぬ人物を発見した。
「あれ?伊吹先輩?」
「う……」
「あら、川畑くんじゃない。こんにちは」
嫌なところを見つかったという顔をした御形伊吹の隣には、社交ダンス部の八千草がいた。
「鈴菜がまともな服を着ろってうるさいから、それならお前が選べっていう話になってな……買いに来たんだ」
聞いてもいないのに言い訳を始めた御形は、いつもの黒ジャージではなく、随分と見栄えのいい格好をしていた。
「だって変なTシャツでジャージの人と二人でケーキ屋さんに行くのは嫌だもの。伊吹くんは私服のセンスをもうちょっとなんとかするべきよ。ね、こういうの伊吹くんに似合うと思わない」
「ああ、なるほど」
川畑は、先日御形が着ていた"E=質量×校則の事情"などと書かれた変な黒Tシャツを思いだし、八千草の手際に頭が下がった。
「(あの伊吹先輩が完全にリードで繋がれて飼い慣らされている)」
八千草が見立てた服を着せられた御形は、普通にいい男に見えた。
「川畑くんのところもデート?随分大荷物だけど」
さらりと既成事実を堅めながら、八千草は川畑のカートを指差した。御形は"うちはデートではない"と主張し掛けていたが、話題が次に流れて口をつぐんだ。
「えーっと、これは新居用の買い物です。そうそういつまでも山桜桃の実家に泊まっていてもいけないので」
「えっ、新…居?」
「二人で住めるだけのものがまだ揃ってないから」
「川畑くん!説明が足りてない!」
すごい顔で目を見張った御形と八千草に、山桜桃は必死で正しい事情を説明した。
「びっくりしたわ。ご親戚のお宅なのね」
「借りたばかりで引っ越しが終わっていなくて、伯父もまだほとんど住んでいないんだ」
「お前、寮を出てそちらに住むのか?」
「いや、マンションは学校から遠くはないけれど、寮の方が近いから寮を出る気はない。週末に行くぐらいにするつもりなんだが、それにしても色々足りないから」
「遠くはないって、どこなんだ」
場所を説明すると、八千草が「知っている」と言った。
「あの最近出来た、やたらお洒落でスタイリッシュなデザイナーズっぽい高級マンションよね」
「どうだろう?デザイナーズかどうかは知らないけれど、最近出来た奴ではある」
この前まで中世ファンタジー世界や銀河連邦のスペオペ仕様の建築物を見慣れていたため川畑には気にならなかったが、ひょっとしたらヴァレリアがでっち上げたマンションは、ここの世界の基準で見るといささか尖ったデザインなのかもしれなかった。
「いいなぁ。あそこ、中ってどんな感じなの?」
「広めだけど、普通……だと思うぞ」
変に興味を持たれたままだとまずいかな、とちょっと考えた川畑は、うっかり口を滑らせた。
「見に来るか?」
「広くてきれいなお部屋ね」
「ものがないから所帯染みていなく見えるだけじゃないかな」
「おうちの方は?ご在宅ならご挨拶しないと」
「出掛けているようだから気にしないで」
川畑はジャックを呼ぶタイミングを完全に逸して、この後どうするか悩みながら、客達をリビングに通した。
「やっぱり山桜桃のお父さんにも上がっていただけばよかったな。バタバタしてちゃんとお礼を言えなかった」
「ううん、気にしないで」
「それでも気を使わせてしまったみたいで。これだけ世話になったのにお茶の一つも出さないとは、失礼なことをした」
「そんなことないって。お父さんなら後でまた迎えにきてくれるから話をするならそのときに、ね」
キッチンで買ったばかりのティーセットを開封しながら、山桜桃と話している川畑を見て、八千草はほぼ完全に台詞が婿だなと思った。
「ごめんなさいね、なんだかすっかりお邪魔しちゃって」
「特に予定もなかったのでいいですよ。何にもないですがゆっくりしていってください」
「でも、長居しても悪いからもうお暇するわ。ねぇ、伊吹くん」
伊吹は、新品の客用カップでフレーバーティーを飲みながら、含みのある目付きでニヤニヤしながら川畑の顔を見た。
「で、お前はまんまと夕方まで彼女と二人きりというわけか」
「な、何言ってるんですか!伊吹先輩。そちらこそ、この後ランチだの映画だのプランがあるんでしょう」
「いや、服は買ったからこれで帰る」
しれっと答えた御形の隣の八千草の顔を見て、川畑はヒヤリとした。
「そういう照れ隠しは男らしくないですよ。まさかこんな手間を取らせて大事な休日に付き合わせた相手に何のお礼もしないつもりだったということはないですよね」
川畑は御形の今後のために必死でフォローに入った。
「ああ?なんにせよ今日は完全に予算オーバーだ。だいたい休日を潰されたのはむしろ……」
「伊吹先輩!お昼、なにか作りましょう!」
「あん?」
「せっかくだから俺達でここでなにか作って、振る舞いましょう」
「はぁ?」
「パスタとかどうですか?朝食用に買ったベーコンと卵と牛乳を流用すれば、日持ちする玉ねぎと小麦粉とバターも買ってあるからカルボナーラっぽいものは作れます」
「昼飯ならピザとかでよくないか?」
金がないといいつつデリバリーにひよった御形に、川畑は人差し指を突きつけた。
「ビザ生地は強力粉です。そうだよな、山桜桃」
「う、うん。あと、ベーキングパウダー」
「そう。ピザにするなら、近所のスーパーで粉を買ってきて、ピザ屋の原価率を実感してうち震えてください」
「ピザ生地を粉から作る話になんかついていけるか。パスタでいいよ」
折れた御形に川畑は満足そうにうなずいた。
「パスタは今日買った薄力粉と卵でいけます。伊吹先輩も力強いからきっと向いてますよ」
「ちょっと待て、まさかのパスタも粉からか!?」
八千草は山桜桃にこっそり尋ねた。
「川畑くんって、料理男子なの?」
「昨日のお昼に、うちのお母さんの手作りパスタに感動してたから……多分マイブームというか、やってみたくて仕方ないんですよ」
「あっ、理解……」
その後、もっと大きいボールを買えばよかったとか、麺棒がないとか、大騒ぎしつつ、不馴れな男二人が四苦八苦しながら作ったカルボナーラモドキは、見栄えはいまいちで味もそこそこだったが、八千草と山桜桃は大いに喜んで絶賛した。
「ものがないって言ってるうちで、手打ちパスタは無謀だったな」
「完成直前まで皿とフォークが足りないことに気付かなかったのは痛恨のミスだった」
「ティーソーサーに取り分けて、ケーキフォークでいただくパスタも美味しかったわよ」
「丼だと、釜玉うどんだか、きしめんだかって見た目だったからなぁ」
「うーん。要改善項目」
腕を組んで唸る川畑に山桜桃は微笑んだ。
「伯父さんの独り暮らしのうちに食器がたくさん揃っていたら変だよ。私は川畑くんの作ってくれたパスタ美味しかったし、嬉しかったよ。ありがとう」
川畑は納得のいってない様子だったが、それでもまぁ、まんざらでもない顔でちょっとだけうなずいた。
「(それに私の作ったエプロン、使ってくれてるの嬉しかった)」
山桜桃は緩んでくる口元を引き締めつつ、心を鬼にして川畑に告げた。
「ではお片付けもきちんとしましょうね。お料理はお片付けまでがセットです」
「はい」
川畑が素直に返事をする隣で、御形は絶望的な顔で粉まみれのキッチンを見た。




