甘え下手
「それで結局そこんちにお邪魔になってるのかい?バカだねぇ」
ヴァレリアは、魔術の特訓を休むと詫びに来た川畑から事情を聞いて、呆れた。
「布団にいないことがばれると心配されるんで、早めに帰ります」
「わかったよ。しかし、よくまぁ、本業の魔法医の診察なんか受けて不審に思われなかったね。お前の身体も魔力もこの世界では異物以外の何者でもないだろうに」
「そこはヴァレさん直伝の魔力操作と翻訳さんの認識補正でうやむやにしました」
「ああ、なるほど。相変わらずインチキくさい男だ、坊主は」
「インチキさ加減ではここの世界も大概ですから、お互い様です」
「不貞腐れているところを見ると、何か気に入らないことがあったんだね」
ヴァレリアに促されて、川畑は嫌そうに眉を寄せた。
「山桜桃の父親の設定がバージョンアップされてたんです」
「というと?」
「以前、彼女の家にお邪魔したときにちらりと見かけたのは、この世界によくいるモブ系の人物造形だったんだ。それが今回、急に個性と人格が生えてて……家の間取りとか微妙に変わっているし、カーポートはできてるし、欠き割りの変哲のない住宅だったはずの隣家は、山桜桃の父親の個人病院になっていたし。しかも杏はそれをまったく不自然に思っていない」
「あー、いい加減な世界ではありがちな現象だね。私も最初に遭遇したときは面食らったよ」
「いい人なんだよ、山桜桃のお父さん。いい人なんだけど、インスタントに都合よく現れた人物だと思うと、どうにもやりきれなくて」
「親の存在が子供の後から確定する世界で、真面目に魔術の因果関係を定義するのは馬鹿馬鹿しくなるから、気持ちはわかるよ」
「山桜桃自身もそうやって都合よく造形されたんだろうなと思うと、なんというか、ひどく空しさを感じます」
ヴァレリアは同情するような眼差しで川畑を見た。
「私もそうだが、あんたは私よりもっと世界への干渉力が高いからね。どこでどう無意識に世界を改変してるかわからないのが怖いってのはわかる。自分の言動ではなく、存在そのものや無意識下の欲求が、他者を根本から改変してしまう世界で、他人と対等に付き合うのは難しいと感じるのは、ある程度仕方ないよ」
「俺……一般的な家庭の団欒っていうのに縁が薄くて。ああいう優しいお父さん、お母さんと、ちょっと生意気だけどかわいい妹がいてっていう家族は、いいなぁってとても思うんだ。でもそこに居心地のよさを感じれば感じるほど、もしこれが自分の欲が具現化させた妄想なら、あさましいなって思えてしまって……」
ヴァレリアはうなだれた川畑の頭を撫でた。
「馬鹿者もここまでくると可愛いものだな」
「なっ、やめてくださいよ」
あわてて身を引いた川畑にヴァレリアは笑った。
「幸福に違和感を覚えて拒絶するのは止しな。それは満たされない育ち方をした奴にありがちな悪い癖だ。相手が存在として底が浅かろうが、自分に都合が良すぎようが、いいじゃないか。気にするな。相手はそれでも精一杯お前に向き合ってくれているんだろう?だったらお前もその気持ちを受け取って、応えてやればいい。茶番しかない世界では茶番こそが最も深遠な真実なのだから」
川畑はソファーの上で、今一つ納得できていない表情で黙り込んだ。
ヴァレリアはローテーブルを回り込んで、川畑の隣に座った。
「たとえばだ。私がお前のことを"私に都合の良すぎる存在だから私の妄想の産物に違いない"と断じて拒絶したら、お前、嫌だろう」
「俺は俺です。ヴァレさんにそんなに都合のいい男でもないです」
「そうでもないぞ」
ヴァレリアはニコニコしながら指折り数えた。
「武器防具の開発に熱心なクライアントで、かつNGなしの被験者。取ってこいといえば素材は調達してきてくれるし、素直で筋のいい魔術の弟子な上に、家事にこまめで気が利く世話焼きときたもんだ。私がやりたいことをやるためには、ほとんどパーフェクトなパートナーだぞお前は」
「そ、それはどうも……」
「私が魔女だから、女だからという目で見て、そういう扱いをしてこないのも非常にありがたい。さあ、こんなに私にとって都合のいいお前は、私のために用意された男かな?」
ヴァレリアはソファーの背に片腕を掛け、脚を組んだ。
「違います」
「じゃあ逆に、私はお前のために用意された女かも知れないぞ?」
川畑はヴァレリアから目をそらせた。
「……違います」
「そういうことだ。私もお前も高次存在からみれば底の浅い存在さ。それでも自負もあれば好悪の感情もある」
顔を背けたままの川畑の頭を、ヴァレリアはまたわしわしと雑に撫でた。
「お前は馬鹿なんだからじっくり考えろ。だが考えすぎて今をおろそかにするなよ。永遠が尊くて、刹那が芥ということはないんだから」
「わかりません。でも、わかりました」
頭を下げて呟いた川畑の髪を手櫛で整えながら、ヴァレリアは微笑んだ。
「しっかし、そおかぁー」
ヴァレリアはニヤリとした。
「お前も人の子だったんだなぁ。親が欲しくて寂しがるとは!」
「えっ、ちょっ、そんなこと言ってないぞ!」
「ママのおっぱいが恋しい小僧っ子なんだろう。どうだ?真似事ぐらいしてやろうか?子供も家庭も持ったことはないが、俗な"母親"のイメージで良ければゴッコぐらい付き合ってやるぞ。ほれほれ、甘えにおいで」
「いらん!あんたに母性とか感じん」
「そりゃぁ、自分でもあるとは思ってないからな。求められてたらびっくりだ」
ヴァレリアはカラカラと笑って、ソファーの上で行儀悪く片方の膝を立ててあぐらをかいた。
「しょせん私は子供の抱き方も、男の抱き方も知らんから、女としてお前の孤独は癒せん。だからただの年長者としてお前の弱音も意地もそのまま受け取っておいてやるよ。さぁ、早めに戻った方がいいんだろう?いっといで」
ヴァレリアは緑色の目をゆらゆらと光らせて、口の端を少しだけあげた。
「お前が求める団欒とやらが得られる場所があるなら、そこで癒されておいで。それがかりそめでもいいじゃないか。孤独な真実だけと向き合って過ごすには永遠の生は永すぎる」
川畑はヴァレリアの方を向いた。
「ヴァレさんも、どこかに癒しを求めに行けるところがあるんですか」
「馬鹿だなぁ、私はお一人様上級者だから、今さらそんなのなくてもいいんだよ」
「ずるい……」
「ロジックとギミックのマジックが我が伴侶さ。お前もずるくて強い大人になれるように、今は足りないものを埋めてきな」
川畑はこの魔女に子供扱いしかされないことと、実際に自分が子供な振る舞いしかできないことが、無性に悔しかった。いっそ悪ノリして「お母さん!」とでも呼んで抱きついてやったらどんな顔をするかとも考えたが、それで万が一、照れて狼狽されたり、想像以上に満足そうにされたら、自分では収拾がつけられそうにないので止めておいた。
「(何が腹が立つって、少し気が楽になった自分に腹が立つ)」
川畑は仏頂面のまま、口の中でもごもごと退出の挨拶をし、転移で山桜桃家に戻った。
誰もいなくなったソファーを眺めて、ヴァレリアは立てた膝に頭を持たせ掛けた。




